祝100投稿
こんにちは。WAGATSUMAです。
2020年5月から開始したこのブログもとうとう100記事を達成することができました!
ロックと文学をテーマに、自分の気になったアーティストの「歌詞」を中心に掘り下げるというスタイルで書いてきましたが、今日は100投稿突破記念で、ロックを感じさせる文学作品をランキング形式で発表したいと思います!
何をもって「ロック」とするかは人によって違うと思いますが、あくまで自分なりにロックじゃん、と思う作品を紹介していきますのでよろしくお願いします。
第5位 アンドレ・ブルトン 『ナジャ』
元祖シュルレアリスト、シュルレアリスムの王、アンドレ・ブルトン作の奇妙なラブ・ストーリー『ナジャ』
シュルレアリスム⁼超現実というのは、文学だけではなく、美術、絵画、映画などあらゆる芸術作品で用いられた表現スタイルで、「夢と現実の矛盾した状態」にフォーカスして、「無意識」という状態を表現するものだった。だから作品はかなり、ぶっとんだ不条理になるものが多く、正統派の古典芸術を愛好していた人たちは眉をひそめた(ロックじゃん)。そんなシュルレアリスム文学の代表作品がこの『ナジャ』である。
1928年に刊行されたアンドレ・ブルトンの2作目の小説作品『ナジャ』は、自伝的なバラードとも読めるし、シュルレアリスム散文とも読める。この小説が風変わりなのは、風景を描写する代わりに写真が挿入されているところだ。マン・レイが撮影した写真や、シュルレアリストの代表選手たちはもちろん、ピカソなんかも登場するからこの時代のパリの空気にふれたい人はそれだけで楽しめると思う。
ナジャ
ストーリーを説明すると、第一部は「私は誰だ?」という命題が掲げられており、「それを知るには誰と付き合っているかを見ればよい」という諺を踏まえ、ブルトンの交友や偶然を巡るエピソードが写真とともに語られる。
なんで、こんな精神分析的なテーマがあるのかというと、ブルトンはジークムント・フロイトに心酔していたからで、人称の問題に取り憑かれていたのは、アルチュール・ランボー(非人称的自我)とロートレアモン(匿名的自我)に取り憑かれていたから。まず「アンドレ・ブルトンとは誰なんだ?」というところから物語がスタートして、第二部に突入する。
第二部、通りを歩いていると反対側からみすぼらしい華奢な女が歩いてくる。金髪で目の周りを真っ黒に化粧をした女(コートニー・ラブっぽいな)が登場する。ブルトンはためらうこともなくこの女に話しかける。ブルトンは女の神秘的な瞳に魅かれる。
ブルトンは彼女に問う。
「あなたは誰?」
「私はさまよえる魂」
ブルトンはこの女にハマる。取り憑かれるようにめっちゃハマる。
ナジャと名乗るこの女と、次の日にまた会う約束をしてその日は別れる。
ナジャと付き合いだすと、ナジャがエキセントリックな女性だということがだんだんわかってくる。言動はハチャメチャだし、ドラッグに冒されていて、娼婦であったり、人に見えないものが見えたり、気が狂っていたりする。あるときは、ブルトンが車を運転しているときにナジャがアクセルを踏みつけ一緒に死のうとする。
パリの極めて現実的な描写の中に、ナジャという非現実が現れることで、現実を超そうとしているようだ。
ナジャは最終的に狂気に飲み込まれ、精神病院に入れられて最期を迎える。ナジャという名前はロシア語のナディエージダ(希望)のはじまりの文字から取られている。だからこの最後はかなり堪える。
ブルトンは言う。「美とは発作的衝撃のつながりから成る」と。
そして、この小説のあまりに有名な一節はぼくにとって、必殺のギターリフのように響く。
美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。
※ルー・リードの『ベルリン』や、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“宿命の女”を聴きながら読むと雰囲気が盛り上がると思います。

コメント