第2位 チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』
ロックな文学第2位はチャールズ・ブコウスキーの『勝手に生きろ!』
ブコウスキーのどこがロックなんだ? と訊く人はおそらくいないだろう。でも、あえてどこがロックなのかを説明すると「小説っぽくないから」と答えたい。
長年小説を読んでいると、小説には「小説っぽい」言葉がたくさん出てくる。当たり前といえば当たり前なんだけど、「私はその風景の中に立ち尽くしていた」とか「底知れぬ悲しみに誘い込まれる」みたいな文章を読むと「小説らしく書かなきゃ」と作者が思ってるのかしら? と邪知する気持ちが湧いてきて、ときどきその物語に没入できなくなる。
音楽でも、Aメロの次にBメロが来て、その次はサビ、間奏を挟んで、ラストのサビは倍の長さで……なんていうお決まりの展開があるけれど、そうしなければならない理由なんてどこにもない。アートはもっと自由なんだ。
ブコウスキーは率直に書く。決まりきった小説(文学)にアンチを突きつけるように書く。それが痛快だ。イギー・ポップの『ファン・ハウス』やホワイト・ストライプスのようにシンプル。王道のようでいて邪道。誰にでもできそうで誰にも真似できない。むき出しなのにひねりがある。「味」というものがある。それは人生のように苦い味だ。
勝手に生きろ!
『勝手に生きろ!』原題『FACTOTUM』 FACTOTUMは「雑用係」、「何でも屋」という意味。
1940年アメリカ。貧乏白人のヘンリー・チナスキーは職を転々としながらアメリカを放浪する。仕事の募集があれば応募して、嫌気がさすかクビになるまで働く。たいてい一回目の給料が支払われるタイミングで退職して、得た賃金は酒に消える。そしてまた仕事を探し、単純な労働をする。そして酒を飲んで女と寝る。金があるときはギャンブルをする……。
この小説の主人公、チナスキーの行動パターンは、放浪→ホテルにチェックイン→仕事探し→酒、女、→仕事辞める→放浪……というのが基本サイクルだ。
かったるい労働はかったるく、酒は美味そうに、女はみだらに書くブコウスキー。仕事も酒も女も基本はうんざりしながらだらだらと続けている。金が無く生きていても楽しいことは何もないといった、チナスキーの態度(夢を信じて追いかければいつか叶うなんて嘘っぱちだ)はアメリカン・ドリームへのアンチテーゼを感じる。この貧乏白人の「リアル」の中で、「執筆」シーンだけが、いきいきと瑞々しく描かれている。未来の無い現実の中で、ものを書くこと、それがこの小説の魅力であり、孤独という作家の本質を誠実に描いている。
別に孤独を自慢してるわけじゃない、孤独に頼ってるだけだ
ブコウスキーは誰も書かないようなことを書く。それはあまりにもバカバカしくて人が書かないようなことだったり、ハッとするようなことだったり、人生のどん底を経験したからこそ出てくるような言葉だったりする。
例えばこんなシーン。
「あのさ、薬あるかな……」
「なんの薬?」
「クモじゃなくて、ノミじゃなくて……蚊でもハエでもなくって……」
「なんの薬?」
「毛ジラミの薬、ある?」
年寄りはうんざりしたような顔でおれを見た。「ちょっと待って」彼は言った。カウンターの端の下からなにかを取り出した。戻ってくると、できるだけ近づかないようにしながら、おれに緑と黒の小さなボール紙の箱を手渡した。おれはおとなしく受け取った。彼に五ドル渡した。彼はお釣りを、おれから少し離れた場所に置いた。年寄りの女は、店の隅のほうへ後ずさっていた。おれは強盗にでもなったような気分だった。
「ちょっと待ってくれ」おれは年寄りの男に言った。
「今度はなに?」
「コンドームが欲しいんだけど」
「どれだけ」
「ああ、少し、一パックだけ」
「濡れたやつ、それとも、乾いたやつ?」
「なに?」
「濡れたやつ、それとも、乾いたやつ?」
「濡れたやつ」
チャールズ・ブコウスキー 『勝手に生きろ!』 都甲幸治訳
なんというか……なんでこんなシーンを書く必要があるんだろう、という疑問がまず起こり、そして、なんてダサい主人公なんだろうと思ってしまう。「濡れたやつ、それとも、乾いたやつ?」の問いに「濡れたやつ」と答えるシーンが面白い(笑) 自己投影型(と思われる)の主人公にこのセリフを言わせるブコウスキーは凄い。作者の分身たる主人公だからかっこよく思われたいという作家のエゴがまったくない。
空腹がおれの芸術を高めることはなかった。かえって邪魔になっただけだ。人間の魂の根本は胃にある。ポーターハウス・ステーキを食べ、ウィスキーを一パイント飲んだあとのほうが、五セントの棒キャンディを舐めてるよりよほど巧く書ける。飢えた芸術家なんて神話はでっち上げだ。
チャールズ・ブコウスキー 『勝手に生きろ!』 都甲幸治訳
ブコウスキーは、いわゆる芸術家の態度を否定する。貧乏なんてちっともいいもんじゃない。貧乏はただの貧乏だ、というリアルな(身もふたもないというか)声。
一人になったのは五日ぶりだった。おれには孤独が必要だった。他のやつに食べ物や水が必要なように。一人になれないと、おれは日ごとに弱っていく。別に孤独を自慢してるわけじゃない、孤独に頼ってるだけだ。部屋の暗闇はおれにとって陽の光だった。おれはワインを飲んだ。
チャールズ・ブコウスキー 『勝手に生きろ!』 都甲幸治訳
別に孤独を自慢してるわけじゃない、孤独に頼ってるだけだ。
この一行はブコウスキーにしか書けない必殺の文章だと思う。ブコウスキーは決してマッチョな作家ではない。誰よりも自分の弱さを自覚しているからこそ出てくるリアルな声。
そんなブコウスキーだからこそ、彼の作品は弱者を勇気づける力がある。それは優れたロックンロール作品と同質のものだ。
※セックス・ピストルズ、イギー・ポップ、パンク全般を爆音で聴くか、無音で安酒を飲みながら狭い個室で孤独に読むと雰囲気が盛り上がると思います。
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