【ブログ100記事達成】ロックな文学ベスト5 第4位 町田康『人間の屑』

レビュー/雑記
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第4位 町田康 『人間の屑』

ロックな文学シリーズ第4位は町田康『人間の屑』

旧芸名 町田町蔵。伝説のパンクバンド「INU」のボーカリストであり、芥川賞をはじめ様々な文学賞を受賞する作家でもある町田康の『人間の屑』をぼくは4位に推したい。

町田康の傑作といえば、芥川賞を受賞した『きれぎれ』、谷崎潤一郎賞を受賞した傑作長編『告白』が真っ先に思い浮かぶと思うけど、どの作品がロックなのだ? と訊かれたらぼくは『人間の屑』だと思う。

この作品は、町田康の二作目の小説『夫婦茶碗』のカップリングで、町田康の著作の中ではマイナーなほうかもしれない。

ぼくがガツンと町田康にヤラれていた二十代前半ぐらいの頃、アルバイト先の休憩中にこの作品を読んで「ベリークール」と呟いていた。そして労働意欲は下降の一途を辿り、友人とロックバンドを組み、低級な音楽に合わせて低級な歌を歌うことになる……。

人間の屑

主人公の清十郎は鬱屈していた。祖母が営む小田原の温泉宿で昼から酒を飲んで惚けていた。

戸棚から酒を取りにいくのも億劫な清十郎は腹ばいになって戸棚から酒を取り出そうとして、戸棚を引っ繰り返してしまう。そして清十郎は「俺の人生は腹ばい人生だった」と感じる。

未来に何の展望もなかった清十郎は友人久米夫が映画学校に行くというので、映画学校に入り、卒業しても映画の仕事に就くわけでもなく、引っ越しのバイトをしたり母親に金をせびったりしている。ある日、居酒屋で「とりあえず生」といったようなノリで、友人の久米夫と芝居をやろうということになり(映画はしんどそうだからとりあえず芝居で様子みるか、ということで)、知り合いのバンドマンもどき、グルーピーもどき、ジャンキー、本業はプッシャヤーの自称イベンターを誘って芝居をすることになる。当然、動機もやる気もない腹ばい芝居は失敗に終わり借金だけが残る。ちなみにこの芝居のタイトルは「母性の車海老」

次に清十郎は久米夫の発案でバンドを組む。「俺は楽器なんかできねえし、金もかかるんだろ?」というと久米夫は「お前はボーカルをやれ」という。

「(バンドなんて)大丈夫か?」「絶対大丈夫だよ。パンクバンドってことにすりゃあいいんだから」「なんでパンクバンドだったら大丈夫なんだよ」「パンクはへたくそなほどいいんだよ。真実味がある、とかなんとかいって」「そんなもんかい」「そうなんだよ」

町田康 『人間の屑』

ここでも腹ばい的な論理で、安易にパンクバンドを結成し、活動を開始する。

ボーカルは清十郎。久米夫はベース。片山がドラムで、アングがギター。こんな出鱈目なバンドなのにライブを重ねるごとに動員が増え、週刊誌が取材に来るようになる。自分たちは出鱈目に演奏しているだけなのに、音楽の専門誌に高く評価されていくところなんか評論家をおちょくっているようで面白い。

この腹ばいバンドの終焉はあっけなかった。ドラムの片山が真っ青な顏で、これを預かってくれ、とスチールの引き出しがついた書類棚を置いて帰っていった。中身はアシッド。LSDを染み込ませた紙だった。それを清十郎とアングは喜んで食べた。

もちろんこれは、気の利いたプレゼントなんかではなく、ヤクザと繋がりのあった片山が持ち逃げしたブツだった。あるライブの日に、暴力の上手そうな男性(ヤクザ)がやってきて、「片山はどこだ?」とやってくる。しらを切ってその場は免れたけれど、ある日片山は半殺しにされ、清十郎のアパートにやってくると言う。そして清十郎は実家の温泉宿へ逃げる。

そして清十郎は温泉宿で鬱屈している。「演劇がうまくいっていれば、バンドがうまくいっいてれば、片山がアシッドなんか持ってこなければ」そんなことを考えながら、庭にやってくる猫を愛で、酒を飲み、婆さんから毎日千円を渡されボケっと過ごす日々。

転機は突然やってくる。実家の温泉旅館の板前である岩田が清十郎のファンだったという。東京に住んでいたころよくライブに行ってましたよ、と語る岩田は、東京に住む女の子の友だち二人も清十郎さんのファンだから今度、遊びに来させますよ、と言う。

旅館に遊びに来た女の子、小松とミオはそれぞれにノリもよく岩田と四人で楽しく遊びに遊ぶ。二人が帰るときに清十郎は小松の連作先を受け取り、別れを惜しむ。

祖母が清十郎のお気に入りの猫を「猫ヨラズ」を散布し、殺してしまったのを契機に清十郎は東京行きを決意。祖母の貯金箱を盗み、電車に飛び乗る。貯金箱に十万円ぐらいは入っているだろうと検討をつけていたが入っていたのは碁石だった。

途方にくれた清十郎は小松に電話をかけて居候となる。ヒモの日々を続けていると、はじめは清十郎さんと呼んでいた小松も、呼び捨て、おまえ、てめえ、脳無し、穀潰し、ヒモ野郎と呼ばれるようになり、小松が妊娠して仕事を辞めたのを知り、小松から逃げて、ミオの家に転がり込む。ミオは小松と違って難しいことは何も考えない軽いノリの女の子で、毎日ファミコンでツインビーをやったりして楽しく過ごす。だけど、ミオが妊娠してしまったり、狂人と化した小松が清十郎のバンド関係の人間に連絡したことによって、東京にいれなくなり、自分の母親が住む大阪に逃げることを決める。

うどん屋になった清十郎は真人間になろうと努力する。繁盛したうどん屋を、さらなる売り上げアップと、地域への文化創造の貢献のためナイトクラブに改装するが、まったくうまくいかず三ヶ月で閉店。今は生まれてきた子どもの名前を呼ぶことができない。

恥の多い人生でした。嘘の多い人生でした。と呟き、ナイトクラブは、ミオと祖母の旅館で板前をしていた岩田を呼び寄せて、ライブハウスに改装して運営を任せる。

自分は日雇いの仕事を始め、真人間の道を目指す。

ある日、狂人と化した小松から手紙が届き、東京に捨ててきた娘の写真が入っている。一緒に住む可愛い娘と、東京に残してきた娘の間で煩悶し、覚せい剤に手を出すようになる。日雇いに行く回数も減り、「ミリタリーマガジン」の通販でライフルや迷彩服を購入し、戦争ごっこに傾倒していく。

ライブハウスの経営がうまくいってきたから社員旅行へ、ということで、清十郎、ミオ、娘の蝶々、岩田、の四人は祖母の営む温泉旅館へ行くことにする。

先に着いていた清十郎は、庭で見覚えのある猫を発見する。よく見ると可愛がっていた猫にそっくりだ。祖母が殺した猫の子孫に違いないと感じた清十郎は、持ってきていたビデオカメラを回して、猫に対して、猫の親や親せきなどの家系図の説明を記録していく。そして清十郎は捨てた子の存在が思い浮かび、自分自身の今までの生き方を記録しようと試みる。だけどうまくいかない。まったくうまくいかない。その瞬間、猫は道路に飛び出し車に轢かれそうになる。戦争ごっこをしていた清十郎は、咄嗟に車に向かって引き金を引く。

フロントガラスにヒビが入り、中から屈強な男たちが飛び出してくる。清十郎は逃げる。

そしてラストシーン、屈強な男から逃げながら清十郎は考える。「これまで逃げてばかりいた。しかし自分はもう逃げん」

平家十万の軍勢を蹴散らした、木曽義仲の逸話を連想しながら、清十郎はライフルをフルオートにしてぶっ放しながら男たちに突撃していく。

太宰治とパンクロック

『人間の屑』は太宰治の『人間失格』を念頭において書かれているはずだ。

共通点は、自意識の強い主人公と、薬物依存、精神の弱さだろうか。

『人間失格』の主人公の大庭葉蔵は、薬物依存に陥ったり、自殺未遂を起こし、精神病院に入れられる。そこで葉蔵は「自分は人間を失格した」と感じる。

清十郎の場合は楽な方へ楽な方へ逃げた結果、人間の屑としかいえない存在になっていく。

二人の違いはアイデンティティではないだろうか?

大庭葉蔵には大儀があった。偉い画家になろうという志もあったはずだ。それが落ちぶれて漫画家になって卑屈になり、不義や薬物で人間に失格したと感じるようになる。

清十郎には大儀のようなものはなく、その場その場の感覚でふらふら生きているように思える。自己(自我)というものが希薄だ。

象徴的なのは、自分の生まれてきた娘に対して思わず「蝶々はん」と呼んでしまう場面と、自分自身にビデオカメラを向けて自分を語ろうとしても空虚な言葉しか出てこない場面。

町田康は過去のインタビューで「パンクというのは自己否定的で空中に放棄してしまうようなところがある。自分に拘泥していない」と語っている。

この『人間の屑』は、パンクの流儀に則って、自己をもたない主人公が逃げて逃げて逃げて敗北するロック文学だと思う。

※セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』や、INUの『メシ喰うな!』を聴きながら読むと雰囲気が盛り上がると思います。

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