第1位 ルイ・フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』
ロックな文学第1位はルイ・フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』
いきなり引用で申し訳ないが、生田耕作訳の中公文庫の裏表紙の言葉を紹介したい。
全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた《呪われた作家》セリーヌの自伝的小説――
人生嫌悪の果てしない旅をつづける主人公バルダミュの痛ましい人間性を、陰鬱なまでのレアリズムと破格な文体で描いて、「かつて人間の口から放たれた最も苛烈な、最も忍び難い叫び」と評される現代文学の巨篇
ルイ・フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』 生田耕作訳
「かつて人間の口から放たれた最も苛烈な、最も忍び難い叫び」この、ニルヴァーナとドアーズとトレント・レズナーを掛け合わせたようなコピーを見よ!
リアム・ギャラガー並に同業者に辛いチャールズ・ブコウスキーも「まずセリーヌを読め。歴史始まって以来最高の作家だ」と語るほど、セリーヌの不良度は凄い。不良文学といえばビートニクだけど、その先輩格にあたるのがこのセリーヌだ(サルトル、カミュ、ヘンリー・ミラー、阿部薫なんかも影響を受けている)。
そう、これは文学史に残る問題作。アンチ・ヒーロー小説、つまりロックな小説なのである。
夜の果てへの旅
ルイ・フェルディナン・セリーヌ、本名ルイ・フェルディナン・デトゥシュ(セリーヌは祖母の名前)はフランスのセーヌ県クールブヴォワで生まれる。
パリの場末で貧しい少年時代を過ごし、苦学して医師免状を取得。第一次世界大戦に志願入隊、武勲を立てるが重症を負い、強い反戦思想を植えつけられる。
国際連盟事務局員として、イギリス、アメリカ、キューバを遍歴、その後はパリの場末町クリシーに住みつき、貧民治療のために医者を開業、作家生活と並行して、終生医業を続けた。
処女作『夜の果てへの旅』を刊行したセリーヌは、破格な文体と衝撃的内容によって、読書界の話題を独占。若いころのサルトルやボ―ヴォワールも絶賛、その後の実存主義にも影響を与えた。
ストーリーは主人公のフェルディナン・バルダミュの目を通して語られる。名前からわかる通り、この作品の主人公はセリーヌの分身だ。
アナーキストな放浪者バルダミュは、世界を見る。人間を見る。そしてこう結論づける。
「世界はいまより良くも悪くもなり得ない。それはつねに醜く、つねに生きるに値しない」
戦争の恐怖、おぞましさ、愚かさ、植民地の搾取構造、資本主義の非人間性、民衆の無気力さ、旅をつづけながらそれらを見たバルダミュは、露骨に、大胆に嫌悪感をあらわにする。フランス文学界の伝統を無視し、この小説はスラングも満載で、人間の救いのない愚かしさを容赦なく暴き立てる。
セリーヌは「黒で塗りつぶした」本を書いた。それは革命的な本だった。
もうこれより遠くへは行けないのだ
結局、この威張り屋たちも、やっぱり僕と同じ敗北者なのだ!……奴らはまだ強がっている、ただそれだけのことだ! それだけの相違だ! 蚊が連中の血を吸い、連中の血管いっぱいに永久に消えない毒液を注ぎ込む役を引き受けていた……梅毒菌は現に今も連中の動脈を掘りくずしているのだ……アルコールが、彼らの肝臓をふくらませ……太陽は睾丸をひび割らせ……毛虱が陰毛に、湿疹が下腹の皮膚にこびりつき……じりじり照りつける光線はそのうち連中の網膜を焼きつくすだろう!……しばらくすれば、奴らの何が残るだろう? 脳みそのひときれ……そんなものがなんの役に立つのか? うけたまわりたいものだ? 奴らが出かける場所で? 自殺にか?
ルイ・フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』 生田耕作訳
この小説には上記のようにショッキングなシーンや汚い言葉がたくさん出てくる。そして目を引くのが「……(三点リーダー)」の多さだ。これはセリーヌに言わせると「文学の点描法」ということらしい。点描画家のスーラのあの手法を小説に取り入れた、と。不気味な効果を生んで……いるかもしれない……どうだろうか……
そして悪口がとにかく多い。広告に対しては「膿だらけの世界の癌」、現実は「断末魔の連続」であり、この世の現実は「死」、人生については「いんげん豆とかわりない」と言い放つ。
セリーヌは黒字に黒を、憎悪を書いた作家ではあるけれど、美しい文章も書いている。
要するに、自分のうちに生命を躍らせる音楽が鳴りやんでしまったのだ。冷酷な真相につつまれたこの世の果てへ、青春は跡形もなく消え去ってしまったのだ。ところで、自分のうちに十分な熱狂がなくなれば、いったい、外へ飛び出したところで、どこへ行くあてがあるのか。
ルイ・フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』 生田耕作訳
小さな教会の上部の時計が時を打ち始めた、いつまでもいつまでもやむことなく。世界の果てにたどり着いたのだ、こいつはしだいに明らかになりだした。もうこれより遠くへは行けないのだ、なぜならここから先にはもう死者しかいないからだ。
ルイ・フェルディナン・セリーヌ 『夜の果てへの旅』 生田耕作訳
ゾッとするほど美しい文章だと思う。
うろ覚えだけれど若松幸二監督作の『エンドレス・ワルツ』で阿部薫役の町田康(このときは町蔵かも)が、「要するに、自分のうちに生命を躍らせる音楽が鳴りやんでしまったのだ~」の部分を朗読していた記憶がある。この映画、めっちゃ面白いので興味がある方いたら観てください! 灰野敬二と町田町蔵が同じステージに立ってLIVEをしているシーンはロックファン必見!
主人公のバルダミュは、いくつものの「果て」を通過していく。作者セリーヌは戦争を体験して、いくつもの「死」を通過しているはずだ。その後、医者として働いていく中でも「死」は身近だったに違いない。だれよりも「死」を知っている作家セリーヌ。命は重いはずなのに、人類は自ら死に向かっているようにしか思えない。戦争、非人道的な資本主義、搾取、それによる貧困、すべて人類が発明し、せっせと自分の首を絞めている。そう、「ここから先にはもう死者しかいない」
セリーヌがこの作品を「人類愛のために書いた」と言っているのはそういうことかもしれない(ある意味この本はグローバリゼーション文学とも読めるかもしれない)。
人類愛のために否定を書いたセリーヌ。
彼の墓石には《否(ノン)》の一語だけが刻まれている。
※『夜の果てへの旅』を朗読した音源があるらしい……ぼくは未聴だけれど……個人的にはレディオヘッドの『KID A』を聴きながら、地球が小さくなっていく様を想って読むと雰囲気が盛り上がると思います。
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