現代アメリカの「文豪」コーマック・マッカーシーの代表作
現代アメリカ文学四天王の一人、コーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』である。
コーマック・マッカーシーって誰なのか、というと、毎回、ノーベル文学賞をとるんじゃない? と言われている正統派のアメリカの作家で、偉い批評家(雑だな)のハロルド・ブルームさんは、現代を代表するアメリカ作家四人の中に、コーマック・マッカーシーを挙げている(残りは、トマス・ピンチョン、ドン・デリーロ、フィリップ・ロス)。
今は「文豪」なんて人種は絶滅危惧種なのかもしれないけれど、コーマック・マッカーシーは、けっこう「文豪」の匂いのする作家だ。融通の利かない文体や、物語の重さや、リーダーフレンドリーじゃない文章スタイルなんか、けっこう「文豪」してると思う。
そして作品は無類の面白さだ。
越境する少年たち――青春の全部
この小説のストーリーは比較的シンプルだ。
主人公は十六歳の少年ジョン・グレイディ・コール。相棒のロリンズとともに地元テキサスから、自由の大地メキシコを目指す。
時代は1949年。彼らはヒッチハイクや鉄道ではなく馬に乗ってメキシコを目指す。そして、木立や川辺なんかで眠り、鹿やウサギを捕まえて、捌いて食べる。二人はワイルドに自活生活を送り、夜は焚火を起こして、煙草を巻いて一服する。
二人の少年は途中で、彼らよりもっと若いほんの子どものような少年と出会い、トラブルに巻き込まれていく。
序盤はこんな感じで、中盤、メキシコの大農場で主人公たちが牧童として働きだすところから物語が加速度的に面白くなってくる。やんちゃな不良少年の二人が愛する「馬」とともに自分の居場所を見つけ出すんだ! という無謀な冒険譚が、大農場で働き出してから深刻なトーンに変わっていく。暴力がある。致死的なロマンスがある。自分の力ではどうしようもない出来事が起こる。
馬と自由があればゴキゲンだった少年たちは外部の力――現実によって少年から大人になっていく。その内面の描写が素晴らしい。
例えばこんなシーン。
あのときはその寂しさをよく理解しているつもりだったのに実は何もわかっていなかったことに気づいて、子供のころから味わったことのないような孤独を味わいこの世界を自分はまだ愛してはいるが今は完全に阻害されていると感じた。世界の美しさには秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり世界の苦悩と美は互いにさまざまな形で平衡を保ちながら関連しているのであって、このようなすさまじい欠陥のなかでさまざまな生き物の血が究極的には一輪の花の幻影を得るために流されるのかもしれなかった。
コーマック・マッカーシー著 『すべての美しい馬』 黒原敏行訳 早川書房
もっとグッとくるシーンもあるんだけど、エンディング近くのシーンでネタばれになっちゃうから書かない。
「ワールド・イズ・マイン」的な少年の精神は、あるときを境に、「ああ、世界は自分なんかと関係なく勝手に進んでいくんだ」と気づく、という体験はぼくたちにもあったと思う。
世界は本質的には、「人間の苦闘にも名声にも無頓着」だし、「生者にも死者にも無頓着」だ。
これを虚しいと感じるかもしれないし、美しいとも感じるかもしれない、もしくは、儚いとも感じるかもしれない。この小説には、世界を知る手触りみたいなものが存在していて、少年は世界を通して「自分の居場所」というものを問い続けている。馬だけがこの小説では最後まで無垢なるものとして扱われていて、この小説をドライなだけではない、骨太で偉大なものにしている。
コーマック・マッカーシーは読みづらいと言われているけれど、読むのにはコツがある。ゆっくり読むことだ。長い小説ほどゆっくり読んだほうがリズムをつかみやすいと思う。それに、この小説は車や鉄道の時代に、前時代的な乗り物、馬で越境する少年たちの話なんだ。その速度観で読むと、もっと深く美味しいところを味わえると思う(大丈夫、トマス・ピンチョンよりは読みやすい)。
この小説には、冒険する十代の少年と、身分違いの恋、暴力、飢え、渇き、孤独、運命が詰まっている。「青春」の全部乗せだ。満足感は非常に高いよ!
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