ルー・リードの文学の師 デルモア・シュウォーツ
デルモア・シュウォーツという名前を聞いてピンとくる人は、相当な文学好きか、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバイオグラフィを熟読してるかだと思う。
ぼくは後者。ルー・リードに影響を与えた人が書いた小説を読んでみたい、という動機で購入した。
まず、デルモア・シュウォーツという人がどういう人かというと、簡単にいうと早熟の天才。詩人T.S.エリオットやエズラ・パウンド以来の才能が出現した! と言われたほどの天才詩人だった。
24歳で短編『夢で責任が始まる』を発表すると同世代の若者たちの支持を得て一躍有名になる。
ただ、ここがデルモア・シュウォーツの絶頂期だった。その後は精神を患ったり、薬物依存、アルコール依存により落ちぶれていく。いろんな大学で詩作や文学を教えるようになるけれど、シュウォーツがユダヤ系だったことで迫害されたりもする(ニューヨーク北部シラキュース大学で当時学生だったルー・リードに詩作、ライティングを指導する)。亡くなる前はホテルで隠遁生活。孤独の中、ホテルで心臓発作を起こし亡くなる。
デルモア・シュウォーツはルー・リードにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を薦めている。その後、ルー・リードは「カラマーゾフに匹敵するロックを作るんだ」と言っているから、シュウォーツからの影響はかなり大きかったと思う。
ルーリードはその後、いくつかの曲をデルモア・シュウォーツに捧げている。
夢で責任が始まる
この短編小説は『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』に収録されている。
このアンソロジーは、村上春樹が立ち上げたプロジェクトで、ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を作ったときのメンバー4人+ゲストで川本三郎が参加して作られた。
12編はどんな感じかというと、
- モカシン電報 W.P.キンセラ 村上春樹訳
- 三十四回の冬 ウィリアム・キトリッジ 村上春樹訳
- 君の小説 ロナルド・スケニック 村上春樹訳
- サミュエル/生きること グレイス・ベイリー 村上春樹訳
- 荒廃地域 スチュアート・ダイベック 柴田元幸訳
- イン・ザ・ペニー・アーケード スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳
- 夢で責任が始まる デルモア・シュウォーツ 畑中佳樹訳
- 彼はコットンを植えない J.F.パワーズ 畑中佳樹訳
- レイミー ジェイン・アン・フィリップス 斎藤英治訳
- 嵐の孤児 メアリー・モリス 斎藤英治訳
- ビッグ・ブロンド ドロシー・パーカー 川本三郎訳
かなりマニアックなラインナップですね(ロナルド・スケニックって誰!?)。このアンソロジーが出た当時(1988年だから32年前)、村上春樹も柴田元幸もまだまだ若手って感じだったはずだから、若手特有の気合いみたいなものを感じる。こんな小説知らないだろ、的な。
さて、『夢で責任が始まる』はとても短い小説だ。30分あれば読了できてしまうと思う。
時代は1909年。場面は映画館。気づくと主人公の『僕』はスクリーンを眺めている。スクリーンに映し出されているのは自分の父と母の若い頃。若い父親はこれから母親をデートに誘おうと母親の家に向かっていく。若者らしく緊張とワクワクを胸に抱えながら。変だなあ、と思いながらも「僕」は映画を観続ける。
二人は遊園地に行くことになり、どちらも多少ぎこちなくはあるもののデートを楽しむ。父親は遊園地のあとレストランに母親を誘い、そこでプロポーズをする。母親は喜んでプロポーズを受け、泣き崩れる。それを見た父親は急に、なにもかもが面倒臭く感じはじめる。
そこで、スクリーンを眺めていた「僕」が叫ぶ。
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」
デルモア・シュウォーツ著 『夢で責任が始まる』 畑中佳樹訳
「僕」は知っているのである。二人の若者のその後を。うまくいかない結婚生活を。そしておそろしい性格の子供(自分)が産まれてくることを。
映画館で急に「僕」が叫んだものだから、まわりの観客は「僕」に批難の目を向ける。
その後も映画は進行し、母親の提案で写真館や占いの館に行くことになる。どちらにもまったく興味の持てない父親は次第に不機嫌になり占いの館で、母を置き去りにして館を出ていってしまう。
そこで「僕」はもう一度叫ぶ。
「あの二人は何やってるんだ! 何やってるのか、自分でわかってるのか? ママはどうしてパパのあとを追わないんだ? あとを追わないんなら、どうするつもりなんだ? パパには自分のやっていることがわからないのか?」
デルモア・シュウォーツ著 『夢で責任が始まる』 畑中佳樹訳
今度は、喧嘩した二人を非難する叫びをあげる。
そして映画館の案内係が飛んできて「僕」を映画館から放り出す。外は真冬の朝。「僕」の21歳の誕生日だった。
夢とも現実とも判断できない映画館を舞台にしたこの作品、「僕」は混乱しながらスクリーンに映し出されるシーンを眺めながら思う。「どうせうまくいかない結婚なんだからやめてくれ」と。ただ、二度目に叫ぶシーンでは「おまえら、なにをやっているんだ?」と思う。
映画は、撮られ、完成し、流されている。つまり編集はできない。父親と母親の不和はもう決まっていることなんだ。前半のトーンは「うきうき」と若者らしく、二人で「夢」のような未来を描いていたのに、母親がプロポーズを受け取った瞬間にトーンが一変してしまう。これが「責任」ということなのかは判断が難しいけれど、二人の夢想を実現するには結婚しか方法はなかった。そして、未来には後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人やってくることになる。
これは一見、悲劇的にも見えるかもしれないけれど、21歳の「僕」の目が捉えた朝のシーンは「窓のしきいが雪のくちびるで輝いて」いる。
これは、映画館(夢)でぎゃーぎゃー叫んでいた少年が厳しい世界(責任)に一歩踏み出した姿を描いた作品ともいえるかもしれない。『夢で責任が始まる』そう、ぼくたちは無自覚なままに深刻な状態に陥っていることに気づく生き物なんだから。
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