第一回ドゥ・マゴ・パリ文学賞受賞者
レーモン・クノーとは……?
変人であり天才。シュルレアリスムを出発点として、小説、詩、脚本、映画のシナリオ執筆、ゴンクール賞の審査員、潜在文学工房「ウリポ」という文学グループを立ち上げる…、まあ、多才な人なんです。
この人の功績で一番好きなものは、ドゥ・マゴ・パリ文学賞誕生のエピソード!
どんなエピソードかというと……
1933年にレーモン・クノーの書いた実験的な処女作『はまむぎ』を発表した時、作品が前衛的すぎたために文壇から黙殺されてしまう。
それに激怒した、ミシェル・レリス等の作家仲間13人がポケット・マネー100フランずつ出し合って、フランス最大の文学賞「ゴンクール賞」発表の当日に、サンジェルマンデ・プレにあるカフェ「ドゥ・マゴ・パリ」に集まって、レーモン・クノーの『はまむぎ』のためにドゥ・マゴ・パリ文学賞を新設した。
めっちゃユニークだし素敵だよね。確かにどんな世界でも、なんでこんなしょうもない作品が評価されていて、こんな素晴らしい作品が評価されないんだ!ってことはあるからね。ちなみに現在もドゥマゴパリ文学賞は続いていて、姉妹店の渋谷にあるbunnkamuraドゥ・マゴ・パリでも独自にドゥ・マゴ・パリ文学賞を行っています。
エクスペリメンタル・ジェット・セット・文体練習
そして、この『文体練習』なんだけどめちゃくちゃ実験的変な本なんだ。
なんと、この本は
ある一つのシーンが99通りの異なる文体で書かれている、という驚異的な本!
その一つのシーンというのは、
ある日、混雑したバスの中で26歳ぐらいの若者が、乗客が乗り降りする度に人がぶつかってくる、と腹をたてる。そしてその2時間後に、広場で偶然その若者を見かける。若者は連れと一緒にいて、連れは若者に「きみにコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。
物語としてはこれだけ!
この断片を、あらゆる「文体」で次々に展開していく。物語はずーっと一緒。
バスでもめ事、2時間後に同じ若者を見かける。コートへのアドバイス。以上。
どんな文体や表現があるのか見ていくと、口語体、文語体、俗語、学問調、滑稽なパロディ、それに、隠語、古語、造語、専門語、外国語などもあり、メモ形式、物語形式、会話形式、手紙形式、電報、詩、戯曲、とあらゆるバリエーションで書かれている。
「比喩をたくさん使って書く」「虹にふくまれる色を使用して書く」「主観的/客観的に書く」「擬音を使う」「アナグラムで書く」等、制限を設けて書いているのもある。
これが、あのチャーミングな『地下鉄のザジ』を書いた作者と同一人物とは思えない……!なんて変な本なんだ。
この『文体練習』を完成させるのにレーモン・クノーは5年かかったらしい。インスピレーション源はバッハの『フーガの技法』
たしかに、単純な主題を組み合わせることによって構築性を具現化するスタイルはフーガに通じるものがある。
ちょっと冒頭のシーンをいくつか引用してみると
1.メモ
S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。
レーモン・クノー著 文体練習 朝比奈弘治訳 朝日出版社 P3
これは、ただのメモ形式。青年の年齢と風貌に関するメモ。
41.荘重体
曙の女神の薔薇色の指がひび割れを起こしはじめる時刻、放たれた投げ槍もかくやと思われんばかりの素早さでわたしは乗り込んだ、巨大な体躯に牝牛のごとき眼を備え、うねうねと蛇行する道を行くS系統の乗り合いバスに。戦いに臨まんとするインディアンのごとく鋭敏にして性格なる我が目は、その車中にひとりの若者の存在を捉えた。駿足のキリンよりもなお長き首を備え、中折れのフェルト帽に編み紐を巻いたその雄姿は、まさしく文体練習の主人公そのもであった。
レーモン・クノー著 文体練習 朝比奈弘治訳 朝日出版社 P48
ホメロスの叙事詩のパロディ。大げさで叙事詩に出てくる決まった言い回しを使っている。
42.俗悪体
昼はちょいと過ぎてたんだけどよう、やっとこ、Sに乗ったのさ、そいで、もち、金をはらってよう、首ばっか長くって、ばっかみてぇなもん、かぶってよう、紐巻いてんだぜ。
レーモン・クノー著 文体練習 朝比奈弘治訳 朝日出版社 P50
きわめて俗っぽい言い回し、文法や綴りは無視して、発音されている通りに表記しているらしい。『地下鉄のザジ』でもこの表記法は使われている。
それにしても対比が凄い……!
いやあ、凄いね。レーモン・クノー。文体練習はまさに「知の遊戯」であり奇書。本当に頭のいい人なんだと思う。
この『文体練習』はなかなか売っているところを見かけないけど、朝日出版社版は装丁も美しいので、部屋に置いておくと独特な存在感を放ちます。
誰か、実験的で、変で、世に埋もれていて、美しい小説を見つけたら教えてください。スタバ文学賞を作って賞金1万円をプレゼントいたします(作家のフレデリック・ベグベデがカフェ・ド・フロール(ドゥ・マゴ・パリの向かいにあるカフェ)文学賞を創設したらしい、マジか!)。
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