『審判』の合間に書かれた傑作短編
カフカはサラリーマンだった。だから執筆は帰宅後、仮眠をした後に行った。
カフカは(多くのアーティストと同じように)ルーティンの人だった。毎日、判を押すように同じサイクルを繰り返し、執筆を軸に生活をした。執筆にのめり込んでいるときは、会社に休暇申請を出して集中して書いた。
『流刑地にて』を書いたのは1914年10月のことで、このときカフカは『審判』を書いていた。後半パートに入ってから書き悩んだカフカは一週間の休暇を取って、執筆に集中した。それでも思うように進まず、さらに一週間休暇を伸ばすことにした。それでも『審判』は進まない。そこでカフカはいったん『審判』を中断して『流刑地にて』を書き始めた。
『流刑地にて』は完成し、『審判』は未完に終わった。本来の目的は達成されず、意図せず書いた小説は完成させる。そんなところもカフカらしい。
流刑地にて
小説の舞台は流刑地の島。
物語は「実にたいした機械でしてね」と将校が学術調査の旅行家に向かって言うところから始まる。
登場人物は学術調査の旅行家、将校、囚人、そして奇妙な拷問器具。
将校は前司令官が考案した「たいした機械」である拷問器具に特別な思い入れがあり、旅行家に向かって、くどくどと思い入れたっぷりに説明して聞かせる。この詳細というのが実に精緻に語られるものだから旅行家をうんざりさせてしまう。
この拷問器具には三つの部分からできていて、〝ベッド〟部で腹ばいに固定し、上部にある〝製図屋〟が歯車を稼働させ、〝馬鍬〟が囚人の体に罪状の判決文を鋼鉄の針で刻みこみ、死亡させる。
動きがすべて正確に計算ずみなのです。≪ベッド≫の動きが≪まぐわ≫の動きと、ぴったり一致するようになっておりまして、まさしくこの≪まぐわ≫が判決を執行するのです。
「判決といいますと?」
「そんなことすらご存じない?」
フランツ・カフカ 『流刑地にて』 池内紀訳 白水Uブックス
この何も「知らない」旅行家は、知らないうちに自分の死刑が確定してしまう『審判』の主人公を思わせる。
将校は旅行家に、この機械は現在、存続の危機にある、だから存続できるように助力してほしいと懇願する。
旅行家は断る。
「お断りします」
将校は何度も目をパチパチさせた。しかし、その間にも相手から目をそらさない。
「なぜお断りするのか申しましょうか?」
将校は口をつぐんだままうなずいた。
「ここのやり方が気に入らないのです」
と、旅行家は言った。
フランツ・カフカ 『流刑地にて』 池内紀訳 白水Uブックス
それを聞いた将校は、拷問機械に寝そべっている死刑囚を解放し、裸になって自らその機械に横たわる。
そして機械を作動させ、拷問器具に刺し貫かれて絶命する。
倫理観の揺さぶり
どう考えても将校は死ぬ必要はなかった。だけど将校は、虫ケラのように死ぬことになった。
将校には信念があり、そこには倒錯した拷問器具への愛があった。この国の人間ではない旅行家は通過者だ。この国にコミットすることはできない。この分かり合うことのできない齟齬、乖離、ディスコミュニケーションが将校の命を奪うことになる。
常識は旅行家側にあり、将校はどう考えても異常だ。でも、反対側から見れば、将校こそが真っ当であり、その真っ当さを証明するために拷問器具を動かすことになる。ここに倫理観の揺さぶりがある。自明だと思っていた大地が揺らぐ瞬間だ。
この物語では、物言わぬ拷問器具だけが中立だ。どちらにも加担することなく機械は自らの使命を全うする。『流刑地にて』の真の主人公はこの拷問器具なのかもしれない。
コメント