サリンジャー、最後の作品
サリンジャー最後の作品というと、ちょっとだけ語弊があるので正確に言うと、1965年6月に『ハプワース16、1924年』をニューヨーカー誌に発表したあと、2010年1月に亡くなるまで、サリンジャーは一冊の本も出版しなかった。隠遁生活中も執筆はしていたようだけど、出版は頑なにしたくなかったようだ。
なので、この作品『ハプワース16、1924年』はサリンジャー自身が出版を決めた最後の作品ということになる。
ハプワース16、1924年
この作品はいわゆる「グラース家もの」といわれる作品群の最後の作品で、主人公はグラース家の長男シーモア・グラース。
簡単にグラース家の構成を説明すると
- ベシー 母親 『ズーイ』にて登場
- レス 父親 影薄い
- シーモア 長男 グラース家の精神的支柱でカリスマ性のある人物。『バナナフィッシュにうってつけの日』の主人公。自殺する。
- バディ 次男 作家でサリンジャーの分身的人物。『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』の主人公。『ハプワース16、1924年』での語り手。
- ブーブー 長女 タネンバウム家に嫁ぎ、一児ライオネルの母となる。『小舟のほとりで』に登場。
- ウォルト 三男 ウォルトとウェーカーは双子。第二次世界大戦後の日本占領時にストーブの爆発で死亡。『コネティカットのひょこひょこおじさん』で間接的に言及される。
- ウェーカー 四男 ウォルトの双子の弟(ウォルトの12分後に生まれる)。カトリック系の司祭になる。
- ズーイ 五男 美形で饒舌な俳優。『フラニーとズーイ』の『ズーイ』に登場。
- フラニー 次女 美形、女優。『フラニーとズーイ』の『フラニー』に登場。
『ナイン・ストーリーズ』の第一作品『バナナフィッシュにうってつけの日』で「グラースもの」がスタートする。主人公はシーモア。そして「グラースもの」の最終作品『ハプワース16、1924年』でも主人公はシーモアだ。
『バナナフィッシュにうってつけの日』で自殺したシーモア、この『ハプワース16、1924年』では、ハプワースへキャンプに来ている7歳のシーモアが家族に宛てた手紙を、作家になったバディ(46歳)がタイプライターに書き起こす、という内容になっている。
シーモアは一種、カリスマ的な人物で、家族全員に多くの影響を与えている。サリンジャーにとっても大切なキャラクターだったはずだ。
このハプワース、あらすじは簡単だけど内容はむずかしい。
あらすじとしては、シーモアが7歳のときに、バディ(5歳)と一緒に行っていたキャンプ地ハプワースから、16日目に書いた、家族宛ての手紙という形の作品。9割がシーモアの手紙で、あらすじはただそれだけ。
そして、肝心の手紙の内容が7歳の少年が書いたとは思えないほど複雑で、とにかく読みにくい。性のことや、家族のことや、友だちのことや、予言めいたことや、批判や、前世や宗教のことや、文学作品への言及や、子どもっぽいことから老成したことまで……ちょっと待ってくれ、と言いたくなるぐらい怒涛の流れで100ページ近く語りまくる。
当時、ニューヨーカー誌のに掲載されたときの評判もすこぶる悪い。巻末に批評が載っているのでさらっと引用させていただくと––––
・「ハプワース」は、とうとうサリンジャーの気が変になったのだという暗示なのかもしれない。
・サリンジャーに何があったんだ? おかしくなってしまったのか?
このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年 訳者あとがき J.D.サリンジャー 金原瑞人 訳 株式会社新潮社
と、こんな感じだ。
ぼくは思ったんだけど、もしかしてこの作品は読者に向けて書いていないのかもしれない。
冒頭でも言ったけれど1965年に隠遁生活に入ってからもサリンジャーは執筆を続けていた。しかも誰にも邪魔されることのないように規則正しく朝の6時から書いていたらしい。出版はしないから読者はいない。誰にも読まれずに書くこと、それがサリンジャーのライフスタイルになっていった。
もしかしたら、このハプワースの時点でサリンジャーは、そういった領域に進んでいったのかもしれない。ただ、グラース家を宙ぶらりんにしておくことができないという責任感から自殺したシーモアの目を通してこの作品を書いたんじゃないだろうか。
読者のためじゃなければ誰のために書くのだろう? 自分のため? 神のため? 宗教的行為? もちろんそれはわからないのだけれど、7歳のシーモアが圧倒的に語る混沌には説明のできないパワーが宿っていて、この作品からはそれを感じることができると思う。
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