サリンジャーの処女作『若者たち』
ジェローム・デイヴィット・サリンジャー、『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』の作者で、アメリカ文学界の伝説的な作家である。
サリンジャーのデビューは1940年、雑誌『ストーリー』に掲載されたのが最初だ。
さて、このサリンジャー、どういう形で文学の世界に飛び込んだのか?
当時、コロンビア大学の聴講生だったサリンジャーは、講師で『ストーリー』を創刊し編集長も務めるウィット・バーネットに自作の評価と雑誌への掲載を何度も頼む。バーネットはそのつどサリンジャーを突っぱねて、たまにアドバイスを送り、ときに励ます。そして『若者たち』でようやくバーネットは『ストーリー』誌への掲載を決める。原稿料はたったの25ドル。だけどサリンジャーはめちゃくちゃ嬉しかったと思う。これで作家への扉が開いたわけだから。
若者たち
デビュー作の『若者たち(The Young Folks)』はどんな小説なのか?
若者たちのホームパーティーの一コマを切り取った作品で、「若者」であったことのある人間なら必ず共感できる作品になっている。
若者というのはエネルギーが有り余ってはいるけれど、自分が何者なのかがまだわかっていない。だから自意識がこんがらがって、愚かに空回りしたりする。この作品はそんな若者たちの様子がリアルに描かれている。
登場人物は基本的に二人。エドナ・フィリップスとウィリアム・ジェイソン・JRだ。この二人の会話が物語の核となる。
エドナはパーティー中、誰にもかまってもらえなくて退屈している。
ジェイムソンはパーティーに来ている小柄なブロンドの女の子とお近づきになりたいけれど積極的に声をかけることができない。
このホームパーティーの主催者であるルシル・ヘンダーソンは、退屈しているエドナに見かねて、ジェイムソンをエドナに紹介する。そして見事なまでのコミュニケーション不全トークが展開される。
ジェイムソンははっきりいって、エドナとの会話にまったく気が乗らない。だから、エドナが喋っても「え?」とか「なんて言ったの?」と言ってエドナを苛つかせる。エドナはエドナで、ジェイムソンに興味がないから(凡庸で退屈なやつだと思っている)会話をしてあげているのに、なんでそんな対応をされなくちゃならないわけ? と思っている。
しかもジェイムソンはエドナから離れるために「俺、学校の課題やらないとだから、帰らなくちゃ」なんてことを言い出す始末。
「あの、その課題ってなに?」エドナがもう一度きいた。
「ああ。なんというか。どこかの寺院についた書かなくちゃいけないんだ。ヨーロッパにおけるなんとか寺院ってやつ。なんだけどね」
「それで、何をするの?」
「なんていうか、それについて、批評みたいなことをするんだ。それを書かなくちゃいけないんだよ」
小柄なブロンドの女の子と、女の子の仲間が、また大笑いした。
「批評? じゃあ、それ、みたの?」
「え、なにを?」
「その寺院」
「ぼくが? まさか」
「でも、みないで、批評なんてできるの?」
「ああ。うん。ぼくじゃなくて、ほかの人が書いてるんだ。ぼくはその人が書いたものをもとにして批評する感じ」
「へえ、そう。なんか、難しそう」
「え、なに?」
このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年 J.D.サリンジャー 金原瑞人 訳 株式会社新潮社
こんな感じで、ジェイムソンはブロンドの女の子のグループが気になって目の前の女の子との会話に集中できない。
周りは、イケてる男の子グループやパーティーの花的な女の子たちがどんちゃん騒ぎしている。
この小説の舞台は1930年代だけど、サリンジャーの描写を読んでいると「どの時代も似たり寄ったりなのかも」と思ってしまう。
大人からしたら滑稽。だけど当人の若者たちからしたら一大事。そんなシーンを切り取ってデビューしたサリンジャー。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』以前(戦争に行く前)の、軽やかな作品でそこまで有名ではないけれど、無視できない魅力の詰まった作品なので、気になった方はぜひ読んでみてください。
次回は、ホールデン・コールフィールドくんの初登場作についてレビュー書きます!
コメント