みんなゲイだ
カート・コバーンはかつて地元アバディーンで鬱屈を募らせていたころ、よくスプレーで壁に「神様はゲイだ」と落書きをしていた。カートのお気に入りのフレーズだったらしく『ネヴァーマインド』収録曲の‟ステイ・アウェイ”でもこのフレーズが登場している。もちろんマッチョなゲイ嫌いの連中に嫌がらせするためだ。
『イン・ユーテロ』最終曲‟オール・アポロジーズ”でカートは「みんなゲイだ」と歌っている。
パティ・スミスは‟ロックンロール・ニガー”という言葉を使ったけれど、カートはゲイという言葉を使った。どちらも虐げられた人、ハンディを持っていると社会に思わされた人、を表していると思うんだけど、パティ・スミスもカート・コバーンも「ぼくたちも私たちもみんな一緒だよ」人間に優劣はないんだ、と言っているんだと思う。
『ロサンゼルス・タイムス』のインタビューでカートはドレス姿で現れてこう言った。
ドレスを着るっていうことは、俺が望むだけ女性らしくなれるっていうことを表している。俺はストレートだ……大したことじゃないな。でも、俺がホモだとしても、大したことじゃないんだ……性的に感じたままの道を進んでいる人たちを俺は尊敬するよ
カート・コバーン 『ロサンゼルス・タイムス』
この曲が作られたのは1992年、だからカートが25歳の頃。この達観したような優しい、優雅な曲が生まれた時、カートは『ネヴァーマインド』後遺症から抜け切れずにいた。
だけど、娘のフランシス・ビーンが産まれて、ある種、親としての責任感が芽生え、そのトーンがこの曲を形作ったようにも思うんだ。
この曲の初披露は1992年のレディング・フェスティバルで、‟オール・アポロジーズ”は生後12日のフランシスに捧げられている。
いつもの皮肉で破壊的なトーンは影に隠れて、堂々とした演奏だ。
晩年の演奏。チェリストが健気……!
オール・アポロジーズ 和訳
こんな人間じゃなくてどんな人間になればいいのか
悪かったね
ほかに何を言えばいいんだ
みんなゲイだ
ほかに何が書けるっていうんだ
俺にはそんな権利がないよ
こんな人間じゃなくてどんな人間になればいいんだ
本当に悪かったね
太陽のもとで
日の光のもとで
俺はひとつになった気分
太陽の光のもとで
日の光の中
俺は結婚し埋葬される
俺もおまえみたいだったらいいのに
どんなことでもすぐにおもしろがる
俺の塩の隠し場所を見つけだすんだ
何もかも俺の過ち
俺がすべての咎めを受けよう
恥辱にまみれて海に浮かぶ水の泡
冷凍庫での凍傷に日焼け
彼女の敵のなきがらの灰で窒息
俺たちはみんな何ものにも勝るかけがえのない存在
ニルヴァーナ 『イン・ユーテロ』”オール・アポロジーズ” 対訳:中川五郎
こんな人間じゃなくてどんな人間になればいいんだ
カートはほとんどの雑誌の取材を断っていたけれど、同性愛者向けの週刊誌『アドヴォケイト』誌のインタビューは受けることにした。そこでインタビュアーに「読者に最後にメッセージを」と言われて言ったのが次の言葉だ。
「俺には物事を裁く権利なんてないんだよ」
25歳の若者の言葉にしては達観しすぎている。
この曲は遺書のようにも読めちゃうようなところがあるけれど、妻コートニーと、娘フランシスに送られた曲だということを考えると「俺はこんな俺以外になれないんだ、(こんな父親で)ごめんな」という曲のように感じる。この曲でカートは自分をしっかり見据えているようだ。
俺もおまえみたいだったらいいのに
どんなことでもすぐにおもしろがる
このフレーズも娘に話していると思うとしっくりくるし、
何もかも俺の過ち
俺がすべての咎めを受けよう
ここも父性の発露と捉えることもできそうだ。
太陽のもとで
日の光のもとで
俺はひとつになった気分
家族のつながり、家庭を持てた喜びを表しているのかな。
マントラのように繰り返されるエンディングの、俺たちはみんな何ものにも勝るかけがえのない存在(All in all is all we are)というフレーズはあまりにも率直でカートらしくないと思ってしまうけれど、感動的だ。
この「率直さ」は、ジョン・レノンの『ジョンの魂』に通じるところがあると思う。
ジョン・レノンも皮肉屋でメディアを信頼していなかったロックアーティストだったけれど、『ジョンの魂』であけすけに心情を吐露して、歴史的名盤となった。
この曲でカートのソングライティングは次のステージに向かっていたはずなんだ。その「次」はカートには与えられなかったわけだけど。
ちょっと気になってフランシス・ビーンを調べてみたらすっかりレディーになっておられた!もうカートの亡くなった年齢を越えているんだね。光陰矢の如し。
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