パティ・スミス/Mトレイン ブックレビュー

レビュー/雑記
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パティ・スミス『ジャスト・キッズ』に続く二作目の回顧録(メモワール)

夢で男に語りかけられるシーンからこの回顧録はスタートする。彼はカウボーイ・ハットを被ったハンサムな男。彼はパティ・スミスに向かって「無について書くのは簡単なことじゃないよ」と語りかける。それに対してパティ・スミスは「無について話すほうがずっと簡単ね」と返す。

この回顧録は「サムに」捧げられている(献辞に《サムに》とある)。おそらくこのサムというのは2017年に亡くなった劇作家のサム・シェパードだろう。60年代にパティ・スミスはサム・シェパードと共作で戯曲『Cowboy Mouth』を制作し、プライベートでもパートナーとして同棲するなどしていた(冒頭にカウボーイ姿で登場するのは戯曲『Cowboy Mouth』のオマージュかな)

前作『ジャスト・キッズ』は、ロバート・メイプルソープとの思い出を中心に綴った回顧録で、今作『Mトレイン』は夢で出会ったサム・シェパードに導かれるように、パティ・スミスの心の中を開示していく。

この物語の主題は、旅、カフェ、死者へのリスペクトということになる。

カフェ

パティ・スミスにとって「カフェ」はただの場所ではなく、ライフスタイルの一部であり、ロマンティックな場所でもあった。

パリの詩人や作家たち、哲学者のように、自分のホームカフェを持ち、小さなテーブルでせっせと原稿を書く、ということに強烈な憧れをもっていたパティは、自身でもカフェを開きたいと思っていた時期があったらしい。

カフェの名前を「カフェ・ネルヴァル」と決め、実際に物件の手付金を払い、さあ、カフェをスタートするぞ、という手前までいっていたらしい。そのタイミングで、後の夫となるフレッド・ソニック・スミスに、一緒にデトロイトで暮らそう、と告げられニューヨークをあとにすることとなり、カフェを開く計画は立ち消えになる。

パティ・スミスは世界中にお気に入りのカフェがある。パリのル・ルーケ、ウィーンのカフェ・ヨゼフィーヌム、アムステルダムのブルーバード・コーヒーショップ、シドニーのアイス・カフェ、トゥーソンのカフェ・アキ、ポイント・ローマのワオ・カフェ、ノース・ビーチのカフェ・トリエステ、ナポリのカフェ・デル・プロフェッソーレ、ウプサラのカフェ・ウロクセン、ローガン・スクエアのルラ・カフェ、渋谷の喫茶ライオン、ベルリンの鉄道駅構内のカフェ・ツォー。

現在のホームは、ニューヨークグリニッジヴィレッジにあるカフェ・イーノ。そして、初めてニューヨークに来た日から通い続けているカフェ・ダンテ。

カフェ・イーノは物語の途中で移転し、ダンテは閉店してしまう。

この本でぼくたちは、カフェという神秘的な小さな宇宙とパティの思考にふれることができる。

死者

パティ・スミスは憧れの作家やアーティストのお墓を巡るのが好きだ。埋葬された自分の英雄のそばに行くことで霊感を得ようとしているのか、とにかく旅に出るたびにお墓へ赴く。

今回の回顧録でお墓参りに行くのは、ジャン・ジュネ、シルヴィア・プラス、芥川龍之介、太宰治、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラ……。

死者ではないけれど、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にドハマリしていたパティは、渋谷に滞在しているときに「世田谷にある村上の井戸を探しに行こうか…」と考えたりする。それぐらい心酔した作品らしくかなり熱い言葉を残している。

(ねじまき鳥クロニクルを読んで)これが私を打ちのめし、地球の不毛で完全に無垢な地域へと突っ込んでゆく隕石のような、止めようのない軌道へと投げ込んだのだった。

パティ・スミス 『Mトレイン』 P117

これは、村上ファンにとっては嬉しいと思う。

パティは、小説に出てくる土地や、事象に心惹かれることが多く、現実とフィクションの中間地点としてカフェやお墓に思いを馳せているのかも、と思ったりした。

ぼくがお気に入りのエピソードは、サン⁼ローラン監獄の石をジャン・ジュネに渡しに行く、というエピソード。フランス領ギアナにあった身の毛のよだつ監獄サン⁼ローラン――現在は廃墟になっている――がジュネの小説『泥棒日記』に言及されているのを思い、パティはこの冒険を思いつく。

当時はまだジュネは存命で、友人のウィリアム・バロウズ(こっちも存命)を通して、監獄の石をジュネに渡す計画を立てる。これだけで小説が出来そうなエピソードだ。

この回顧録には、死者との対話が多く登場する。夫のフレッド・スミス。弟のトッド。アーティストたち、そして盟友ルー・リード。

ルー・リードの死の報せを受けたときのシーンはなかなか堪える。ルーのいないニューヨークは、想像するのがむずかしい、とパティは語る。輝かしい、この都会の、わがままな王子がこの世界を去った、と――。

この回顧録は、悲しみを乗り越えよう的なエセヒューマニズムとは程遠い。パティは、この世界の唐突に起こる残酷さにその都度打ちのめされている。「無について書くことは簡単じゃない」んだ。

この本のタイトル『Mトレイン』のMはMind(心)のMらしい。心の列車に乗ってパティは、記憶や思い出を辿り直す。心のおもむくままに。そして停車駅の途中で、パティは死者と会話をして、自分自身を発見していく。ぼくはその生身の愛情深いパティの思考にふれて今を生きることの美しさに圧倒される……

さあ、みんな自分のお気に入りの飲み物を取って心の旅に出よう。

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