PJハーヴェイ/UH HUH HER ディスク・レビュー

音楽
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静かな傑作『UH HUH HER』

PJハーヴェイは2020年現在までに9枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。カート・コバーンのフェイバリットでもあった『ドライ』で鮮烈なデビューを果たし、近年の2作『 レット・イングランド・シェイク』『ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト』では、社会派といってもいいような活動を行っている。

祖国イングランドの血生臭い歴史、社会、国家についてを歌った『レット・イングランド・シェイク』では、マーキュリー・プライズを受賞(一人のアーティストが二度受賞するのは史上初)。

現時点での最新作『ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト』では、世界の暗部(紛争、内乱、抑圧、搾取、差別、暴力、格差)に目を向けた作品になっている。

語弊のある言い方になってしまうかもしれないけれど、もうPJハーヴェイを「女性アーティスト」と呼ぶ人はいなくなった。デビュー当時は「女性性」や「性差」についての格闘や、怒り、挑発なんかがあったと思うんだけど、いつからかその性別による個性は透明になっているように感じる。

「私のヴァギナは乾いている」という作品を作った女性が「アフガニスタンやコソボのドキュメント」を記す作品に至るまで、なにがあったんだろうと思って、ディスコグラフィーを振り返ってみると、ちょうどこのUH HUH HERが転換点のひとつになったんじゃない? と個人的に思った。

女の情念のようなブルーズが初期の代名詞だったはずのPJハーヴェイは、このアルバムで、そのトーンは透明に、澄んでみえる。

『UH HUH HER』期のインタビューで、PJハーヴェイはこう語る。

私がアーティストとして目指してきた位置ってそこだから。ニール・ヤングとかボブ・ディランとか。生きているうちにそこまで届きたいと思って頑張ってきたから

PJハーヴェイ 『UH HUH HER』 ライナーノーツより引用 

この『UH HUH HER』というアルバムから「個人」という視点から「普遍性」へ移っていったんじゃないかと思うんだ。ディープでダイレクトな作品から、より開放されたエネルギーを放つ作品へ。

だからこの後に続く作品で、社会や歴史にテーマが移っていったこともしっくりくる気がするんだ。こんな感じに。「個」→「普遍(客観性)」→「歴史」→「現代社会」

もちろん、こんなにパキっと簡略化はできないし、彼女のパーソナリティーが減じたという話ではない。アーティストの生理として、自然に「深化」していっているということなんだと思う。

さて、ニール・ヤングボブ・ディランを目指して作られたこの『UH HUH HER』は傑作である。大地を揺るがすような作品ではないけれど、「窓の外に目をやって風の吹く様を見る、そして間も無く朝がやってくる」そんな美しさを捉えた静かな傑作なのである。

ずっとずっと全部ひとりで作ってみたかった

『UH HUH HER』の凄いところは、ドラム以外の楽器を全部PJハーヴェイが弾いて録音しているところだ。そしてプロデュースも自分でやっている。

このアルバムの一つ前の作品『ストーリーズ・フロム・ザ・シティ、ストーリーズ・フロム・ザ・シー』はジャケットを見てもわかる通り、都会的で洗練されていてエネルギーに満ち満ちたアルバムだった。この『UH HUH HER』は彼女の故郷イギリス ドーセット(言っちゃなんだけどかなりの田舎)でじっくり没頭して作られた。

彼女が故郷に帰り、精神的にも音楽的にもルーツに立ち戻って作り上げたのがこのアルバムなのである。

このアルバムは、‟ザ・ライフ&デス・オブ・ミスター・バッドマウス”で幕を開ける。硬質なギターにドッシリとしたドラムが特徴だ。この曲を聴くと、ザ・キルズってPJハーヴェイの影響をめっちゃ受けてるんだなあと思う。サビの「wash it out wash it out wash it out(洗い流して)」と吐き出すように歌うポーリーがめちゃくちゃかっこいい。

2曲目‟シェイム”は、シンプルな名曲。

登る月もいらない

足かせもいらない

あなた以外の何もいらない

なんて無様なんだろう

無様さは、惨めさは、愛につきまとう影

あなたは私の人生を変えた

ふたりは青草のように瑞々しかった

そして私は夢中になった

最初から最後まで、そのキスに

PJハーヴェイ ‟シェイム” 対訳:染谷和美

まるでシェイクスピア劇のセリフみたいな世界観。

‟ザ・ライフ&デス・オブ・ミスター・バッドマウス”では、「その唇は毒の味」と歌っているのと対照的に、この曲では「そして私は夢中になった/最初から最後まで、そのキスに」と歌っている。

でも、どちらも同じようなことかもしれない。恋を失うときも、恋の真っただ中もぼくたちはけっこう不幸だ。

3曲目はタイトなパンクナンバーの‟フー・ザ・ファック?”

この巻き毛、まっすぐにはさせないわ」と歌うこの曲は、一言で言うと「命令するな」ということだね。

疾走感がないのに疾走しているこの曲はブルーズの新しい形かもしれない。

4曲目の‟ポケット・ナイフ”はイノセントに歌われる。

お願い、私の花嫁衣裳は作らないで

結婚するには、まだ若すぎる

見えないの? ポケットにしのばせたこのナイフ

PJハーヴェイ ‟ポケット・ナイフ” 対訳:染谷和美

無垢な花嫁の因習への抵抗が、ポケットにしのばせたナイフという言葉で表されている。

世界は回り続け/蜂は羽音を立て続け/そして私は走り続けるだろう」と歌うこの曲は、生への肯定を描いていて、それがナマな感じだから胸に響く。

5曲目は‟ザ・レター”この曲は親密なコミュニケーションについての曲。

手紙を書く、閉じる、封筒に自分の香りを詰める、香り、筆跡、二人の秘密の共有。返信を待つ時間のもどかしさ。恋の幸福の季節についての曲。

6曲目は‟ザ・スロウ・ドラッグ”

ブルー、それが今の色

今の私に必要な、あのドラッグが大好き

この気持ちを、このままに

PJハーヴェイ ‟ザ・スロウ・ドラッグ” 対訳:染谷和美

ブルー(憂鬱)に効くドラッグは愛しかない。

次の7曲目‟ノー・チャイルド・オブ・マイン”では、アコギ一本で1分のブルーズナンバーを披露する。「きみは災いに満ちている/きみは私の子供ではない」という不吉な歌詞が開放的に鳴らされて、8曲目‟キャット・オン・ザ・ウォール”へ突入。

夢の中でもラジオが流れてる

17才の頃に、私を連れ戻す

台所でクルクルと踊っていたあの頃

いっそ耐えられなくなるまで、この曲を聴いてやろう

PJハーヴェイ ‟キャット・オン・ザ・ウォール” 対訳:染谷和美

街を歩いていると、ふいに懐かしい曲が耳に飛び込んでくる、あるいは懐かしい香りを嗅ぐ。ぼくたちは一瞬でそのときの自分に戻されてしまう。その驚きがタイトルの「(ギョっとする)壁に上った猫」だ。

イントロがかっこいい。ライヴでめっちゃ映える曲。

9曲目‟ユー・カム・スルー”

私たちは待っている

夏を

太陽がまた運んできてくれるはず

宝物を、私たちに

ねぇ、友達でしょう

素敵な時間に乾杯よ

光り輝く希望の数々

あなたと私の健康を祈って

PJハーヴェイ ‟ユー・カム・スルー” 対訳:染谷和美

どこかヴァージニア・ウルフのような、古いイングランドの香りのする曲だ。人間的な切ない祈りについて歌う名曲。

10曲目‟イッツ・ユー”

若い頃の私は

日々を送りながら

想いを巡らせたものよ

誰のために祈ればいいのか…

それは、あなた…

PJハーヴェイ ‟イッツ・ユ-” 対訳:染谷和美

めっちゃ演歌な世界観。レンガ作りの家の暖炉の前でくつろいでいるかのような歌詞だ。ドーセットで一年間、社会と隔絶されながら作曲していた影響が現れているのかもしれない。

11曲目はヴィンセント・ギャロに捧げられた‟ジ・エンド”

インスト曲なので軽く聴きながしてしまう曲だけど、当時恋人だと噂になっていたヴィンセント・ギャロへ捧げられた曲のタイトルが‟ジ・エンド”ということは、そういうことなんでしょう。まあ、歌詞にはできないよね。なかなか。

12曲目‟ザ・デスパレット・キングダム・オブ・ラヴ”

めちゃくちゃ強い言葉の並びのタイトルだ、デスパレットで、キングダムで、ラヴですよ。

聴いてみると、静かな大作で、まさしくなタイトルなんだけどね。歌詞も凄くいい。始まりはこうだ。

脆弱な子供だったあなた

風にも負けていたくせに

強そうに、偉そうに歩いて見せる

絶望的な愛の王国を

PJハーヴェイ ‟ザ・デスパレット・キングダム・オブ・ラヴ” 対訳:染谷和美

PJハーヴェイ版「雨ニモマケズ」的な、というか、「雨ニモマケズ的な」存在を肯定するような曲だ。囁くように弾き語るこの曲のあとにはカモメの鳴き声が1分間鳴り渡る。視界が開けていくような感動がやってきて最終曲‟ザ・ダーカー・デイズ・オブ・ミー&ヒム”へ。

恋しい、恋しい

恋しい私の故郷

私が求めてやまないのは

人が生まれる前の世界

ノイローゼも無ければ

精神病もなく

精神分析も無ければ

悲しみもない

かけらを拾い集めよう

何とか生きていこう

壊れたパーツをテープで張り合わせ

この恋を引きずっていこう

PJハーヴェイ ‟ザ・ダーカー・デイズ・オブ・ミー&ヒム” 対訳:染谷和美

このアルバムの核ともいえる曲だ。切ない祈りの感情をドロドロさせずに透明に描いていて、なおかつ人間存在の小ささに光が照らされているかのような美しい歌詞。

「私が求めてやまないのは/人が生まれる前の世界」というコミュニケーションがなければ痛みがない、という問題を最後は「かけらを拾い集め」て「引きずっていこう」という決意に至る。ここにPJハーヴェイのソングライティングの強さがある気がする。

このアルバムには派手なサウンドがあるわけではないけれど、小さい声を大きく届ける静かなる傑作といえると思う。そう、ボブ・ディランやニール・ヤングがやっていたことのように。

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