ライオット・シティの結論
プライマル・スクリームはときどきこの手のバラードをアルバムに入れる。ちょっとダルいなと思わずにぜひ聴いてほしい。デイヴ・グロールも「ロックのアルバムに数曲バラードが入ってると嬉しい」と言っていたよ。
この“サムタイムズ・アイ・フィール・ソー・ロンリー”なかなか良い曲であるだけでなく、ボビー・ギレスピーの歩んできた歴史を肯定するかのような内容になっていて、『ライオット・シティ・ブルース』の結論的な歌詞が歌われている。
“カントリー・ガール”から始まってこの最終曲に辿り着くまでに語られるのは、「罪」「ドラッグ」「キリスト」について。ライオット・シティを舞台に悪徳と退廃――地獄が描かれている(ときどき快楽)。
さあ、『ライオット・シティ・ブルース』の最終曲でボビー・ギレスピーは何について歌っているのだろうか?
サムタイムズ・アイ・フィール・ソー・ロンリー 和訳
少年たちよ おまえたちは救い出されるはず
罪は贖われるであろう
少年たちよ 人生は夢に過ぎない
罪は贖われるだろう
見かけ通りのものなど何もない
罪は贖われるだろう
すべてが許されている
本当の真実など何もない
やるべきことをやりながら
法の外に生きるんだ
見かけ通りのものなど何もない
罪は贖われるだろう
ときどきひどく淋しくなることがあるんだ
プライマル・スクリーム 『ライオット・シティ・ブルース』 サムタイムズ・アイ・フィール・ソー・ロンリー 訳:沼崎 敦子
やるべきことをやりながら法の外に生きるんだ
この曲で言いたいことは一つ。
「やるべきことをやりながら法の外に生きるんだ」
これに尽きると思う。
「ときどきひどく淋しくなることがあるんだ」のリフレインはライオット・シティを生きるキッズたちの心の声だと思う。タフな悪ガキたちにもこんな夜はある。
このパートはボビーは歌っておらず、無垢な声で歌われる。それに対してボビーは、父性を纏ったような大人の声で「すべてが許されている」と歌う。
多分、ボビーが故郷を捨てて、ロック・スターを目指していた時代に一番言ってほしかった言葉がこの曲の言葉たちなんだろうなと思う。「おまえたちは救い出されるはず」「本当の真実など何もない」だから大丈夫なんだ、って。
『ライオット・シティ・ブルース』はプライマル・スクリームのディスコグラフィの中でわりと地味な位置づけにされていると思うんだけど(まあ傑作が多いバンドだしね)、このアルバムは時代性を超越しているから、飢えや渇き、孤独を感じている人にとっては最高の友だちになってくれる作品だと思う。
それに、大人ボビーが少年ボビーに語っているようなアルバムでもあるから、彼のロック哲学を知る最高の作品ともいえると思う。
やるべきことをやりながら法の外に生きるんだ――ボビー・ギレスピー
(ボビー・ギレスピーの自伝が出たらしいね!めちゃくちゃ楽しみ)
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