フェイマス(有名人)の苦しみ
『アムニージアック』の最終曲“ライフ・イン・ア・グラスハウス”
ガラスの家の中の人生というタイトルのこの曲は、フェイマスの苦しみについて歌われている。
サウンドはジャズのビッグ・バンドを従えてのオーガニックな演奏で、『アムニージアック』らしい――時代の不確定さ――印象をもった曲だ。
どこか「過去」を思わせるサウンドテクスチャーだけど、歌詞の内容は圧倒的「今」。それどころかSNSが存在する現代では、むしろ状況は酷くなっているとしか思えない「社会」について、トム・ヨークは歌っている。
ライフ・イン・ア・グラスハウス 和訳
またしても
唯一の友達と面倒なことになっている
彼女は家中の窓ガラスに紙を貼っている
作り笑いを浮かべながら
ガラス張りの家で暮らしている
またしても
冷凍食品や過密飼育の鶏のように押し込められて
飢餓に苦しむ何百万もの人々に思いを馳せるんだ
政治の話はするな、石を投げて避難するな
殿下
もちろんですとも
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
もちろんですとも
しばらく残って世間話でもしたいですね
もちろんですとも
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
だが誰かが盗み聞きをしている
またしても
僕らは私刑(リンチ)に飢えている
そんな間違いを犯すのは妙なこと
もう片方の頬を差し出さなくては
ガラス張りの家で暮らしている
もちろんですとも
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
もちろんですとも
しばらく残って世間話でもしたいですね
もちろんですとも
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
ただ、ただ、ただ
誰かが盗み聞きをしている
Radiohead Amnesiac Life in a Glasshouse 対訳:今井スミ
僕らは私刑(リンチ)に飢えている
彼女は家中の窓ガラスに紙を貼っている
作り笑いを浮かべながら
ガラス張りの家で暮らしている
作り笑いを浮かべる彼女、つまり俳優業(フェイマス)の彼女は、常に行動を監視されている。
冷凍食品や過密飼育の鶏のように押し込められて
飢餓に苦しむ何百万もの人々に思いを馳せるんだ
トム・ヨークらしい皮肉だ。せっせと食料を貯め込んで、安全地帯から弱者に思いを馳せる。
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
しばらく残って世間話でもしたいですね
特別なことがしたいわけじゃない。ただのんびり過ごしたいだけ。だけど、いつも誰かが盗み聞きをしている。それは僕らは私刑(リンチ)に飢えているから。有名人が転落する姿は楽しい。快感だ。
きっと状況は悪くなっている。今ではフェイマスだけがリンチの対象じゃない。みんな誰かを罰したがっている。正当性をもって他人を攻撃する機会を手ぐすねひいて待っている。
安全地帯から弱者に思いを馳せるやつも、フェイマスを追いかけるタブロイド記者も、人格というものがない。問題なのはそんな世界に慣れてしまっている僕らだ。
のんびり腰を掛けてお喋りしたいですね
ただ、ただ、ただ
繰り返される「ただ、ただ」が悲痛だ。ぼくたちにできる美しい反抗は「ただ」生きることなのかもしれない。深く呼吸をして街を歩く。きっと大丈夫(トム・ヨークはきっと大丈夫とは決して言わないわけなのだが、それでも……)。
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