『キッドA』と『アムニージアック』を繋ぐ曲
“モーニング・ベル”は、5拍子のリズムに穏やかなメロディで始まるポップ・ソングだ。ただ、中盤から後半に曲が進むにつれて不気味な、不穏なトーンになっていく。比較的、ポップスやロックのスタイルに則って、曲が進行していくのに何か「おや?」という違和感を感じる曲だ。カフカ的といってもいいかもしれない。いつまでも目的地に辿り着かず、しまいには自分の目的すらも失われ、不条理が自身を飲み込んでしまう。そんなイメージがぼくには浮かぶ。
普通っぽく聴こえるのに変。穏やかなのに不穏。そんな感じ。
この曲は、『キッドA』の姉妹的アルバム『アムニージアック』に別バージョンが収められていて、そちらは、『キッドA』バージョンほど張り詰めていない(だけど、不気味さは感じる)。
『キッドA』は、「現実――目を背けたい現実や、現実の果てに訪れる世界」を感じされるけれど、『アムニージアック』は、「忘れ去られた世界、過去、失ったもの」を想起させる。
『キッドA』のほうが、危機的で、『アムニージアック』は、もっと内省的で、儚い。
この“モーニング・ベル”が二つのアルバムを繋ぐ鍵なのかも。
モーニング・ベル 和訳
朝の
鐘
朝の
鐘
ロウソクをもう一本点して、
解放してくれ、解放してくれ
きみが
とっておけばいい
家具は
こぶ
が
できた
頭
に
(煙突をヒューヒュー唸って下って)
解放してくれ、ぼくを解放してくれ
車はどこに停めたんだ?
車はどこに停めたんだ?
きみの服は家具と一緒に芝生の上
まあ、ぼくももしかしたら
ぼくももしかしたら
眠たいジャック
火災訓練
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐる
ぐるぐるぐるぐる
(だれもがきみを知りたがる
だけどだれもきみにはなりたくない
だからきみは歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて…)
レディオヘッド 『キッドA』‟モーニング・ベル” 対訳:山下えりか
解放してくれ――
歌詞がもたらすイメージはけっこう散文的だ。ただ、いくつかの描写から、別離や、コミュニケーションの不全感、そして喪失感が伝わってくる。
きみが
とっておけばいい
家具は
この人物は、家具を(恋人に? 親? 配偶者?)渡して家を出ていく。
きみの服は家具と一緒に芝生の上
家具や、洋服が庭に放り出されている描写。
解放してくれ、ぼくを解放してくれ
安息の場所を捨てて「解放してくれ」と歌うけれど、解放された先は夢遊病者のように歩くことだけ。
だからきみは歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて…
そして、この人物は移動することもおぼつかない。
車はどこに停めたんだ?
支離滅裂なこの人物は、自分の望みが理解できない。解放されたいと願い、解放されたその先には失われた自分がいるだけだ(そしてそれにも気づいていない)。
朝の鐘が「現実」を鳴らしても、切迫感を感じず(頭にこぶができた)さまよっている。この人物は目覚めてもいなければ、死んでもいない。
生きていて「俺は本当に生きてるのか?」と感じる瞬間は、この現代ではけっこう多いと思う。
「現実」と「失い」の中間地点で“モーニング・ベル”は鳴っている。
(ブラッド・ピットがレディオヘッドは僕らの世代のサミュエル・ベケットでありカフカだ、と言ったのは伊達じゃない)
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