レディオヘッド 『キッドA』 キッドA 歌詞考察

歌詞考察
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『キッドA』のタイトル・トラック ロックからの脱却

『キッドA』の‟キッドA”である。

流れるのは、リズミカルなドラムパターンに、オンド・マルトノの電子音に、機械的な歌(歌というよりはヴォイス)。

『OKコンピューター2』を期待していた人たちや批評家は大いに困惑したと思う。

誰だってそうだよね。レディオヘッドの良さは? と訊かれたらこの時点では、トム・ヨークの声、メロディ、エモーション、ギターのアンサンブル、ハーモニーなんかが挙げられたと思うんだけど、そのどれもがこの曲には存在しない。自分たちの長所を捨て去って、新しいものを獲得しようとしている。

トム・ヨークの発言で、「ロックなんてゴミだ」発言が有名だけど、これはどういうことかと言うと……ちょっと引用しますね。

ロック・グループやりたいなんて思ったこともない。ピクシーズはクソロック・グループじゃなかった。R.E.Mだってソニック・ユースだってロック・グループじゃない。ニルヴァーナだってそうだ。エレキ・ギターを使ってる、使ったことがある、それだけでロック・グループになるのかい?

マーヴィン・リン著 『レディオヘッド/キッドA』

もうちょっと引用すると

ロック・ミュージックなんてクソだ、ムカつく。ゾッとするね! とにかくうんざりなんだ。つくづく嫌になる。あんなの時間の無駄だ。音楽そのものを言ってるんじゃない。ステージでギターを弾いてドラムを叩いて歌う、それを言ってるんじゃない。僕が言いたいのは、それにくっついてくる神話だ。僕は本当にそれに悩まされてる。バカみたいにツアーして、決まったことやって、決まった人と喋らなきゃいけない、そういう考え方がつくづく嫌だっていうんだよ。

マーヴィン・リン著 『レディオヘッド/キッドA』

なるほど。ここまで言ってくれると「ロックはゴミだ」発言の真意がわかる。

ロックで成功すると、「ロック」からどんどん遠い状況になっていくということなんだ。ロックの世界は「レコード会社」と「大企業」が仕切っている。

レディオヘッドはデビューから『OKコンピューター』まで、さんざんレコード会社からうんざりさせられる目にあう。デビュー時にプライマル・スクリームをお手本にしろ、と言われたり、『ザ・ベンズ』のレコーディング中は「期待できる新曲ができなかったら支払いオプション保留」と告げられ、『OKコンピューター』を聴いたレコード会社は「売り上げ予測を200万枚から50万枚に変更」する、など。レディオヘッドの思い描くビジョンがなかなか実行できない。

そしてレコード会社との契約があるから、年に数回コンサートを行わないといけないし、決まった時期にはアルバムをリリース、プロモーション活動もある。スタジアムやコンサート会場には、大企業の広告がデカデカと飾られ、アーティスト活動はきっちり企業に管理される。これがレディオヘッドにはきつかった。

有名ロック・アーティストになるというのは、サラリーマンになることと一緒だ、と気づいたレディオヘッドは、自分たちのアートを貫くために「ロック」を捨てる。

自分たち自身でホームページを立ち上げ、ホームページ内には企業の広告を一切載せない。プロモーション活動を一切行わない。自分たちが納得するものができない限り、アルバム・リリースはしない。「ノー・ロゴ テントツアー」を主催、1万人を収容できるポータブルテントを使ってライヴを行い、会場内の広告、企業スポンサーは一切なし。ようは完璧なDIYの実施。もちろん、すでに有名で影響力を持ったレディオヘッドだからできたことだけど、それを実施するアーティストってのはいなかったわけで、これは物凄いことだと思う。

でも、ちょっと考えると「完璧なDIYの実施」こそが、ロックバンドが目指す場所な気がするんだけど。でも、まあ難しいよね。だってこれは20年前の話なんだから。

キッドA 和訳

ぼくらの頭は串刺しで

きみたちには腹話士がいる

ぼくのベッドの隅っこの影の中に立っている

ネズミと子供たちの群れがぼくについて街の外へ…

おいで、子供たち

レディオヘッド 『キッドA』‟キッドA” 対訳:山下えりか

ぼくらの頭は串刺しできみたちには腹話士がいる

トム・ヨークは「歌詞は無視しろ」と言って、歌詞カードをつけないことに決めたんだけど、日本版には山下えりかさんの対訳がついているので、それをもとに考察していきます。といっても、『キッドA』の歌詞は、ダダイスト方式(トム・ヨークが言うには※シルクハット方式)で作られていて、言葉と言葉の間の脈絡が切断されていたり、意味が不明瞭で、ちょっと難解。

※シルクハット方式 バラバラに切り刻んだワードをシルクハットに入れてそこからランダムに引っ張り出す方式。

じゃあ、歌詞に意味なんかないのか、と言ったら意味はあると思う。じゃないと、「きみたちには腹話士がいる」の腹話士、Ventriloquist ヴェントリロクイストなんて歌いづらい単語をタイトルトラックに入れないと思うから。トム・ヨークは、単に感情や人格を消したかったんだと思う。

「ぼくらの頭は串刺しで」

レディオヘッドの当時の閉塞感や、自由に身動きがとれない状況を表しているのかな?

「きみたちには腹話士がいる」

「きみたち」は本音を喋らない、または自分以外に喋らせる、企業や不特定多数の見えない人たちともとれる歌詞。

「ネズミと子供たちの群れがぼくについて街の外へ…」

童話の『ハーメルンの笛吹男』を思わせる歌詞。

『ハーメルンの笛吹男』のあらすじはというと

『ハーメルンの笛吹男』

1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町にを持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男[注 1]が現れ、報酬をくれるなら町を荒らし回るネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。約束を破られ怒った笛吹き男は「お前たちの大切なものを代わりにいただこう」と捨て台詞を吐きいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にある洞穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩で塞がれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。

『ハーメルンの笛吹男』Wikipediaから引用

笛吹男がレディオヘッドで、ハーメルンの街の住民が音楽企業に当てはめてみるとけっこうおもしろい。

音楽企業の依頼を受けたレディオヘッドは、任務を遂行するけれど約束の報酬は渡されない。その報復として「お前たちの大切なものを代わりにいただこう」と言って、レディオヘッドは街の子どもたちを連れ去っていく……。「街の子どもたち」というのが、企業を通さずに作品を発表するアーティストたち、DIYの精神だと考えると、現実がこの歌詞に追いついてきてるといえる。現在、レーベルを介さずとも、作品は発表できるし、自分で発信するテクノロジーも揃ってきている。この子どもたちが成長していくと、「音楽業界」という神話は衰退、崩壊していくだろう。

もちろんこの考察はぼくの個人的な戯言でしかないんだけど、良い歌詞というのは、ある種「余白」があるというか、物語を想起させる気配みたいなものがあって、この曲にはそれがある。

単純に歌詞が美しいし、二十年経っても色あせない不思議な詞だな、と思う。不気味で、イマジネイティヴで、美しい。黙示録的にも聴こえるし、社会政治っぽくも聴こえる。

ぼくはこの曲を聴くと、『ハーメルンの笛吹男』が頭に浮かび、ハーメルンが浮かぶと、ピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』が浮かび、『夜明けの口笛吹き』が頭に浮かぶとシド・バレットが頭に浮かび、シド・バレッドが……

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