美しい化け物『キッドA』のオープニングナンバー
あまりにも大胆なアルバムである。通常のバンドなら、ドラッグにやられてしまったか、頭がおかしくなったのかと思われても仕方がないほどの大胆な変化である。
山崎洋一郎『キッドA』ライナーノーツより引用
パンドラの箱が開いた。あなたは、見てはいけないものを見てしまった。
~中略~
『キッド A』は誰もが見ないふりをしてきた、取り返しがつかないほど腐りきった世界の内側をすべて暴露してしまったような作品だ。
田中宗一郎『キッドA』ライナーノーツより引用
上記はレディオヘッドの傑作アルバム『キッドA』のライナーノーツの引用だが、「ロッキング・オン」、「スヌーザー」という二大ロック雑誌の編集長がこの慌てようである。
当時17、18歳だったぼくは、国道4号線沿いにあるK’s電気でこのアルバムを購入し、一人暮らしをしていた南福島のアパートで、アイワのCDコンポに盤をセットして再生ボタンを押した。
「……。」
1曲目の‟エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス”の印象的なピアノのイントロが室内を満たし、3曲目の‟ザ・ナショナル・アンセム”が流れるまで、上着も脱がず、茫然と立ち尽くしたまま、このアルバムを聴いたのを、昨日のことのようにはっきりと思い出す。
本当に最初の感想は「……。」だったし、凄いアルバムなのはわかるんだけど、これを理解する頭と素養がぼくにはなかった。ただ、肌では「これは圧倒的な何かだ」とは感じていて、取り憑かれるように何度も聴いた。田舎のガキですらこんな感じなんだから、山崎洋一郎、田中宗一郎両氏はもっと驚いたことだろう。それは両氏が鼻息荒く、混乱した心をライナーノーツに記しているという事実が『キッドA』のとんでもなさを表していると思う。
ロックバンドは変化する生き物である。でも、その変化というのは、打ち込みを取り入れるとか、オーケストラをバックに入れるとか、ゲストが参加するとか、アンプラグドのアルバムを出すとか、想像がつく範囲で行われる。
『パブロ・ハニー』→『ザ・ベンズ』 おお! ずいぶん進化したねえ!
『ザ・ベンズ』→『OKコンピューター』 これはポップバンドからアートへの飛躍だ!時代を切り開いた!
『OKコンピューター』→『?』
この流れでどんな風に進化するか想像できますか? まあ、ちょっとテクノとかビートが入ったアルバムにはなるかな? とか、そんな風には思うよね。ギターで実験的なことをして壮大なオーケストラが入ったりとかさ。つまり‟パラノイド・アンドロイド”の続編的な。
だけど、現れたのは『キッドA』である。まさか「ここまで歌わない」とは思わなかったし「ここまで感情を排する」とも思わなかった。「ここまでギターを弾かない」のも想定外だ。
山崎洋一郎が「通常のバンドなら、ドラッグにやられてしまったか、頭がおかしくなったのかと思われても仕方がないほどの大胆な変化」と言ったのもわかるよね。
こんなアルバムが一切のプロモーションも告知もなくスッと店頭に並んだのである。しかもシングルも、プロモーション・ビデオもなし!
いやはや、途方もない化け物みたいなアルバムだ。このアルバムは美しく、重いエレクトリックピアノと、心臓の鼓動のような四つ打ちで幕を開ける。さてこのオープニング・ナンバーはどんなことを歌っているのか?
エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス 和訳
すべて
すべて
すべて
すべてがあるべきところにある
あるべきところに
あるべきところ
あるべきところ
きのうぼくは目を覚ましたときレモンをかじっていた
すべて
すべて
すべて
すべてがあるべきところにある
あるべきところに
あるべきところ
あるべきところ
ぼくの頭の中のは二つの色がある
何だい、君が言おうとしたことって
言おうとしたこと…
レディオヘッド 『キッドA』‟エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス” 対訳:山下えりか
ぼくの頭の中のは二つの色がある
「すべてがあるべきところに」というのはどういうことだろう? 肯定? いや、そんな風には感じない。‟ウィ・アー・ザ・ワールド”的なソレではなさそうだ。
これは「地球」について歌っている曲なのかもしれない。
地球温暖化、気候変動、遺伝子組み換え食品の開発、地球の生態系バランスは崩れ、氷は解け続け、ハイパーグローバル企業は記録的な収益を上げ続ける。
これは果たして世界の「あるべき」姿なのだろうか? トム・ヨークはこの世界に「NO」と言ってるわけではない。「みんな、世界を良くしよう!」と啓蒙しているわけではない。なぜなら、自分たちも地球を破壊する片棒を担いでいる自覚があるからだ。
だから、トム・ヨークは自分の声ではなく人工的にエフェクトをかけられた声で歌う。
「ぼくの頭の中のは二つの色がある」というのは、こういった相反した考えが人間には渦巻いているからだろう。だから「ぼくは目を覚ましたときレモンをかじって」いるようなしかめっ面をしているのだろう。
トム・ヨークは「絶望」を描いたのか? それもちょっと違う気がする。自分から自分を引き剥がして、「この世界」を描写した、ということなのかも。
アートワークに描かれた、険しい無人の氷山が、何もかもを破壊し尽くした世界を想起させる。それを受け継ぐ下の世代の人たちにぼくたちに何ができるのか。
何だい、君が言おうとしたことって
言おうとしたこと…
人と人の距離が離れすぎて、「君」の声が届かない。
これが20年前に発表された曲だとは思えない。未だにこの曲は有効だし、人類は過ちを犯し続けている(ように)思う。もちろん、ぼく自身も。
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