カズオ・イシグロ/夜想曲集 ブックレビュー

レビュー/雑記
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『夜想曲集』はカズオ・イシグロ初にして唯一の短編集

『夜想曲集』はカズオ・イシグロの手がけた初の短編集です。

邦題『夜想曲集』洋題 “Nocturnes” と名付けられた著者唯一の短編集は、「夜想曲」 ”Nocturne” というタイトル短編を含んだ5作の短編小説集です。

  • 「老歌手」
  • 「降っても晴れても」
  • 「モールバンヒルズ」
  • 「夜想曲」
  • 「チェリスト」

『夜想曲集』はこの5編で構成されています。

日本語に訳されたのはカズオ・イシグロ訳者として定評のある土屋政雄。

同訳者による著名著編と並べて読んでいくと、カズオ・イシグロが短編のために書きたかったものが見えてくるのではないかと考えました。

「老歌手」/『夜想曲集』

とある老夫婦のために演奏を頼まれた、プロのギタリストのお話です。

夫婦内での会話のテンポがいまひとつ掴めず、特に老婦人の方との接し方がよくわからなかった主人公。

職業すらも間違われる始末。

老婦人のキャラクターが最後までつかめないギタリスト目線の短編です。

サプライズとして依頼をされた演奏で思いもよらないものを目にします。その訳とは。

当人たちにしかわからない喜びや、悲しみ、涙の意味について。

一色の感情ではない、その「グラデーション」の解釈が多様にできる短編だと思います。

「降っても晴れても」/『夜想曲集』

おそらく『夜想曲集』の表紙になっているこの男女のモデルは、この「降っても晴れても」のエミリと〝ぼく〟ではないかと思っています。

大学の友人である男友達と、その妻・エミリ。

エミリもまた、大学時代の学友でした。

主人公は友の頼みにより、エミリと同じ部屋で数日を過ごすことになります。

ある日見つけた紫色のノートの中には、明らかに自分のことであろう時系列で、様々なことが書かれていました。

不愉快なページを手に握り締めてしまった主人公。

エミリに怒られないために、友と電話で必死のやりとりをしながら言い逃れを考える様は、20歳前後の大学生そのもののようだと感じました。

「モールバンヒルズ」/『夜想曲集』

舞台はロンドンだと明記されています。

「じゃ、あなた方はミュージシャンなんですか。つまり、プロの?」

主人公のこの台詞をきっかけに、目の前の人の職業と生活ぶりが分かった。

その瞬間から、この短編が目まぐるしく加速していきます。

自分の才能をもとに、夢を見る強さを持つということ。

「人生は落胆の連続」だと言うプロのミュージシャンの言葉を得て、主人公は新しいライフステージへ旅立って行きます。

その背景には、かつて自分に勇気を与えてくれたミュージシャンたちのもの悲しい場面があります。

運命の分岐と、それにかける大博打についてとても無情に書いた短編ではないでしょうか。

「夜想曲」/『夜想曲集』

妻の陰謀により、ミュージシャンとしてメジャーデビューをするには自分に美容整形が欠かせないのではないかと思っている主人公。

「個室」と名付けられた自分だけのスタジオを持ち、確かな腕を持つ主人公は、しかしジャズ奏者としてまだ日の光を浴びることができずにいます。

そんな時に驚くべき著名な女性と出会い、警備員の目をくぐり抜けて理想とする黄金を独り占めしようとします。

賞状やトロフィーを手に入れた後、果たして主人公はメジャーデビューを果たすことができるのでしょうか。

決して同意ではないその2つのものについて。

しかし、芸術家が追い求める夢としては端となく近いということについて、書き表しているように思いました。

「チェリスト」/『夜想曲集』

チェリストとして駆け出したばかりの主人公は、自分の小さな演奏会に来てくれたある女性音楽家と知り合います。

彼女は主人公の音楽、そして主人公の恩師の音楽に随分と辛口の評価を下すのです。

自分の恩師が名だたる人物であることをわかっていて、師の名前を出せばたちまち称賛の視線を浴びることに慣れてしまっている。

そんな主人公はこの女性との出会いによって、そんな自分に気づかされ、さらに彼女との会話を何度も反芻することにより「自分にとっての音楽は何か」を深めている様子を感じさせました。

『夜想曲集』5作の共通項

『夜想曲集』に収録された5作の短編すべてに共通するポイントとして、2点あげることができるのではないでしょうか。

この2つのモチーフは、それぞれの短編を読み解く上で慎重に解釈したいポイントです。

カフェ描写

まずはカフェ描写です。

この短編集には「カフェ」という単語が圧倒的に登場します。

そして、登場人物たちは紅茶やお酒よりも「コーヒー」を飲んでいます。

舞台が明記されないことも多いのですが、ヨーロッパ諸国もしくはイギリスかと感じさせるものが多かったです。

そのために私は紅茶やお酒よりも「コーヒー」の登場が多かったことに意図を感じます。

『夜想曲集』というタイトルの通りに、暗くどっしりとした限られた時間の中での出来事を書きたかったのではないかと思っています。

暗いものは、例えば「夜」や「コーヒー」です。

どっしりとしたものは、金持ちたちの「夜遊び」や、コーヒーの「マグカップ」。

そして限られた時間とは「その一夜限り」の出来事や思い出、さらに限定して「1杯のコーヒーをともに飲んでいる時間」ではないでしょうか。

音楽について

2点目ががこちら。登場人物たちの音楽への並ならぬ関心の高さです。

『夜想曲集』の登場人物たちは、プロの音楽家として活躍している、もしくは並外れた音楽への造詣の持ち主たちです。

実際に他者と音楽についての話をしているシーンもとても多く登場します。

彼らの音楽論はそのまま「人生論」になっているかのような口ぶりたち。

登場人物たちの人生が表れているような会話に、気を抜くことができません。

彼らの音楽への考えは、登場人物たちを読み解く大きな鍵となるでしょう。

文:東 莉央

東 莉央

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