町田康/口訳 古事記 ブックレビュー 

レビュー/雑記
スポンサーリンク
スポンサーリンク

書店員によるブックレビュー町田康『口訳古事記』

この連載では、現役書店員の私が「この本こそ!」と思った傑作小説をレビューしています。

町田康『口訳古事記』は、講談社の純文学系文芸誌『群像』に2020年1月号から2022年12月号にかけて掲載。

後に2023年4月26日ごろ書籍出版されています。

現在、町田康『口訳古事記』は、文芸誌を読まない方にでも手に入る形になって出版されていますので、ぜひお手にとってみていただきたいと思います。

『口訳 古事記』(町田 康) 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
アナーキーな神々と英雄たちが繰り広げる、〈世界の始まり〉の物語。 前代未聞のおもしろさ!!日本神話が画期的な口語訳で生まれ変わる!町田康の新たな代表作。 「汝(われ)、行って、玉取ってきたれや」「ほな、行ってきますわ」 イザナキとイザナミに...

「口訳」の重み

「口訳」とは、一般的に使われている口語体に直した訳し方のことをいいます。

『古事記』は聞いたことがある方は多いかと思います。

けれども実際に『古事記』を与えられてすらすら読むことができるといるという方は少ないのかもしれません。

今回はそんな『古事記』が、日本を代表する作家の1人、町田康によって口訳出版されました。

どなたにでも『古事記』の内容がきちんとわかるような翻訳となっています。

実際に『古事記』という言葉を聞いて連想する以上に、町田康『口訳古事記』は文体が砕けています。

どこかで名前の聞いたことのある神様たち。

「実はこんなにはちゃめちゃだったのか」とびっくりするほどです。

神棚に祀りあげるような神様の形ではなくて、ともに草野球をし、酒を飲み交わし、毎日オンラインでメッセージを交わすような神様の形という印象です。

口訳化されたことにより、神様が日常と地続きになったような錯覚を与えます。

新訳、邦訳、そして口訳。

これらは偉大な文学を慎重に語り継ぐために、おおむね高貴に扱われるものです。

対してこちらの町田康『口訳古事記』においては「『古事記』を町田康が口訳した」という印象よりも、「『古事記』をとてもファニーに町田康の小説として書き上げた」作品だと思って良いのではないでしょうか。

笑いを堪えなくても大丈夫。

町田康の書き上げたアナーキーな神々の姿をぜひ読んでみませんか?

笑いを語り継ぐときに

初めて町田康『口訳古事記』を読んだ時には驚きました。

あまりにも砕けすぎて、神様を神様として認識していないような小説だと感じました。

ひじょうに面白い。

文章の訳し方がとにかく現代的でありますが、『口訳古事記』に登場する神様たちもとってもポップなのです。

やることなすこと現代的。

令和の時代に口訳されたことによって、『古事記』に登場する神々たちも令和の時代に適応しています。

つい『古事記』はこんな内容だったのかと不思議に思ってしまいます。

アナーキーな神々と英雄、そして町田康

この記事執筆当時、初版の町田康『口訳古事記』の日にはこのように書かれています。

「アナーキーな神々と英雄たちが繰り広げる、世界の始まりの物語」

まさに、このアナーキーというのが町田康『口訳古事記』を語る上でなくてはならないキーワードだと感じます。

とにかく自由奔放で勢い任せ。「ちょっくらやってやる」といった感覚のアナーキーっぷり。

これは町田康『口訳古事記』に登場する神様や英雄にのみにならず、この『口訳古事記』を執筆した町田康にも言えることなのではないでしょうか。

伝統ある日本最古のドラマを、あえて自分の形に書き直す。

主筋を全くいじらないままに、現在の読者に届けるためだけに書かれた町田康による『口訳古事記』。

既に知られているものや、信じられているものがある題材を、これほどのびのびと自分のものにしている作家・町田康。

世間の評判では一筋縄にはいかないと、はっきり理解した上で執筆をされたその勇気に心より拍手を送りたいです。

文:東 莉央

東 莉央

コメント

タイトルとURLをコピーしました