世界最速レビュー#12 水庭れん著『うるうの朝顔』
2023年6月14日ごろ水庭れんデビュー作『うるうの朝顔』が発売されます。
『うるうの朝顔』は第17回小説現代長編新人賞の受賞作です。講談社のエンタメ小説雑誌『小説現代』にも掲載されています。
世界最速レビューシリーズとは発売日まもなく書店員が、その小説の見所をたっぷりお伝えする連載です。
第17回小説現代長編新人賞受賞作!
ーー1秒が、あなたを変える。必要なのは「1粒の種」。
奇跡の花と不思議な青年をめぐる、再生の物語。綿来千晶は、息子に手を上げた夫と離婚したばかりで鬱々とした日々を過ごしていた。彼女は、偶然入った霊園事務所で日置凪という青年に出会う。親しみやすく価値観の合う凪に、ぽつぽつと悩みを打ち明ける千晶。すると彼は「ひとつだけ、おとぎ話をさせてください。」と「うるうの朝顔」という不思議な朝顔の種を取り出した。
講談社BOOK倶楽部
なんでもその花を咲かせると、現実とはほんの少しだけ変わった過去をもう一度体験でき、その瞬間から始まっていた心の「ズレ」が直るという。その夜、千晶には、姉が父に殴られた日の記憶がよみがえり……。
うるうの夢を見せる朝顔
小説『うるうの朝顔』は、登場人物たちが不思議な種を独自の素材を使って咲かせていく物語です。
うるうの朝顔は、あなたの人生のごくわずかな狂いを正してくれるといいます。
ときには1秒が増え、ときには1秒が間引かれる夢の中。
うるうの朝顔に見せられる夢に登場人物たちは救われていきます。
夢に見る世界とは
睡眠中に見る夢には、主に2パターンがあると思います。
ひとつは自分が夢の中で思考することができる場合。
もうひとつは何も考えられず気づかず、異常にも特に不思議にも思わない場合です。
いるはずのない場面に出くわしたり、知り合いではない誰かと誰かが友人のように一度に夢に出てきたり。
夢の中では気づかなかった「ちぐはぐさ」を朝になってみて疑問に思う、という経験は多くの人にあるのではないでしょうか。
今作『うるうの朝顔』の中で、特別な鉢や水を使って咲かせる朝顔で見る夢は、登場人物たちは皆、夢の中で思考を持っています。
現実ではこうだったはずが、ここでは場面で相手がこんな表情をするはずだ、ということがしっかりわかっているようです。
登場人物たちがきちんと記憶を認識しているからこその緊張感が読者にも伝わっています。
とてもドキドキしました。
何かが起こるべき「この瞬間」に、どうなってしまうんだろうと気になって仕方がありません。
知らないはずの夢の真相を知った気になったように読み進めることができるのです。
現実から逃避させてくれるフィクション?
『うるうの朝顔』前半にはこのようなせりふが出てきます。
「小説とかフィクションが好きな方が『現実から逃避させてくれる』って表現することあるじゃないですか。
あれって、どうして自分が逃げ込むようなニュアンスなんでしょう。
僕はむしろ逆の印象なんです。」
というあたりです。
創作を楽しむ事は、あなたにとって現実から逃避することですか?
それとも創作とは、あなたの現実世界に飛び込んでくるものでしょうか?
1つの小説を時間が経ってから読み直すときに、がらりと印象が変わった経験は、あなたにはありません?
創作の面白さとはまさにこのせりふの通りだと感じました。
昔に読んだ本を今読み返してみて明らかに印象が違う事もありますし、読んでいる登場人物は自分とは全く別の人物であるにもかかわらず「これは自分の物語だ」と感じさせる小説も確かにあります。
そのような創作物が「現実を変える力」を持つことについてひしひしと感じさせられる良い場面だなあと感じました。
小説『うるうの朝顔』の中では、本や映画など、様々な芸術を愛する登場人物が多く登場していきます。
ただ目の前の芸術をコンテンツとして楽しむだけではなくて、そこから思考を掘り下げていくことを楽しみとするような登場人物たちです。
私もそのような創作や芸術の楽しみ方にひじょうに共感します。
そのために『うるうの朝顔』の登場人物たちはみな友達のような気分で読みました。
著者の水庭れんもきっとこちら側のタイプの方なんだろうと仲間意識を感じます。
夢と現実の境目
夢の中や、誰かの創作世界の中。
そうして『うるうの朝顔』では現実世界と離れた場面でのやりとりが非常に多く盛り込まれています。
そんな中で中盤にはこのようなせりふを言う登場人物が出てきます。
「生きていくには、なにかひとつでも大切な秘密を抱えておきなさい。
そしてその秘密と同じくらい大切な人が出来た時、それを分け合いなさい」と。
この言葉もひじょうに考えさせられます。
つまり、その秘密を一緒に背負ってくれる人でなければ、人生でそれほど大切な人では無いかもしれないよ、ということでしょうか。
夢と現実の間のような、不思議な世界観をもつ小説『うるうの朝顔』の中でこの場面は限りなく現実に近い場面だと思います。
極めて現実的で、自分の生活をはっと省みる場面です。
異化効果のように差し込まれたこのせりふ。
1つの世界に閉じこもりすぎず、うるうに囚われすぎないためにあなたを救済してくれることとなるでしょう。
いつも小説現代新人賞には楽しませていただいて、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
うるうの時間
「うるう」とは、例えば「うるう年」のように、歪みを正してくれるものです。
長い年月をかけて地球が回転すると、4年分でちょうど1日を挿入すればその歪みがなくなる程度のの調整ができるということのようです。
少しずつずれていって気がつかない程度だったものがあるとき、突然大きな歪みを見せるのでしょう。
『うるうの朝顔』のような長い小説の中に差し込まれる「たった1秒」はものすごく短い時間です。
軽率に扱うことも可能ではあります。
けれども言えなかったひとこと、見せられなかった表情など「1秒の取りこぼし」が思いのほか大きかったことに私は衝撃を受けています。
私は1秒の手間を惜しまない人間になりたいと『うるうの朝顔』という小説を読んで思いました。
そして1秒の手間を惜しまない人の多い世界ができますようにと願います。
文:東 莉央
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