世界との接し方
池澤夏樹の代表作『スティル・ライフ』は第98回芥川賞受賞作品だ。
芥川賞ということで身構える人がいるかもしれないけど、かなり短い小説だから(短めの中編? 長めの短編?)1時間ぐらい読書の時間を作ってもらえれば、静かで端正な文学世界へ連れて行ってもらえる。
池澤夏樹は理系の村上春樹なんて言われることがあるみたいだけど、遠からずって感じかな。多分、洒脱で、都会的で(キザで)、カタカナ英語が多くて、哀しいリリシズムがあるというところが、そう感じる要因なのかも。
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることことを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
池澤夏樹 スティル・ライフ 中公文庫 P9
こんな感じで『スティル・ライフ』はスタートする。
どんな物語が立ち上がっていくんだろう、とわくわくする書き出しだ。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
池澤夏樹 スティル・ライフ 中公文庫 P10
世界はぼくたちを助けてくれない。
大事なのは「ぼくの中の世界」と「外の世界」との間に連絡をつけること。調和をはかることなんだ。
でも、どうやって?
『たとえば、星を見るとかして』もしくは『星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども』
クールな文章だよね。こういう文章に出会うと気持ちがすぅーっと楽になる。この作品でいうところの『水の味がわかる』ようになる。
俺たちは外的世界や日常から案外多くのストレスと、プレッシャーを受けている。世界は俺たちのために存在しているわけではないから、自分で調和をはからなければならない。
例えば何をしよう?
そんなことを考えるだけで、すでに俺たちは調和に向かって一歩踏み出していると思う。多分、些細なことでいいんだ。というか些細なことのほうがいいのかも。
「ちょっと自分の足場が不安定だな」「毎日が息苦しいな」そんなときにこの小説は助けになってくれると思う。
この小説は〝ふらふら人間〟を自称する「ぼく」と、「ぼく」よりちょっと年上の「佐々井」くんの青春小説としても読むことができる。
二人の関係は一見希薄にみえるんだけど、言葉にしていない言葉が通じていたり、言葉通りのことしか通じていなかったり、理性的なコミュニケーションが面白い。まったく情動的じゃないんだよね。変に湿っぽくないところに作家のセンスを感じる。センスというか美意識のようなものが。
『スティル・ライフ』は手ですくった水が指の間から零れ落ちるようなきらきらした物語だ。
コントロール不可な世界と隔絶されながら一杯やりたい人にこの作品をおすすめしたい。自分なりに外の世界と連絡をつける方法を考えながらグラスを傾けよう。
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