春、水底と音の光
雨とともに言葉が降りはじめ、夜のしじまに、K.618の旋律(註1)が満ち、光の粒が地平線の彼方へ優しく流れ落ちていった。静寂のなかで、ニ長調の柔らかな光が差し込み、部屋の壁一面に投影される影は、動物的な匂いと、まるで音楽のように、対位法の幾重にも重なる陰影が虚実の狭間をたゆたう世界のおぼろげな輪郭を織りなしていた。ふたつの重なり、繊細な波──沈黙のなか、陰影が語る言葉は深く、あらゆる対立の調和とともに官能的旋律を奏でる。窓の外は、街の灯りが雨に濡れ、アスファルトが星の代わりにきらめいている。
Ave verum corpsの演奏が止み、膝に絆創膏を貼り直してほしい、と妻がピアノの蓋を閉じて僕に言ってきた。
この季節、鎌倉の家にたくさん咲いたでしょう? 桃、梅、木蓮とか沈丁花だとか。香りがして、スペインでも咲くのかな、何の花の香りかな、と思って追いかけてたら、白のジャスミンだったの。そしたらブーゲンビリアのたくさん咲いてるのを見つけたの──娘を幼稚園に送った帰り道、上を見上げながら写真を撮っていたところ、道路標識か何かのポールにぶつかって転び、膝を擦りむいたそうだ。
それで、よくポケボウル三つも買って抱えて帰ってこれたね、と僕が言った。ポケボウルというのは一皿14€弱のハワイ丼のような魚介類がたっぷりとライスに乗せられた料理だ。
だって、美味しそうだったから、あのお店が目的地だったのよ。FENDIの店の前で、何かのデモがあったりしたけど、平日の午前中だからか、4、5人しかいなかったわ。首相もEUじゃめずらしくパレスチナ支持しているからいい方向にいくといいのに。(註2) カサ・バトリョ(註3)の大通りあたりはいつもひとが多いのにね、と可愛らしい丸い鼻に皺を寄せて話してくれた。パレスチナやウクライナ関連のデモだったり、カタルーニャの独立にまつわるデモや恩赦決議(註2)に抗議するデモも時々あるし、あるいは単なる営業妨害かわからないけど、巻き込まれたり危ないからひとりであまり近づかない方がいいよ、と僕が言うと、彼女は呆れた顔をして、なんだかんだであなたって保守的なのね、と言いながら、寝室に入っていった。
誰もいなくなった部屋というのは、目の前にあった現実が虚構の霧の向こうへ消え、代わりに虚構が向こう側からやってきた空間のようでもある。
そのような夜、見知らぬ方々の背負ってきた荷物をひとつずつ下ろすかのようなエッセイを読むと、雨の中を傘も持たずに知らない街をひとり歩いている僕に、通りすがりの誰かが道案内をしながら傘に入れてくれたような気持ちになる。数多の出逢いや別れ、辛いことも楽しいことも、振り返ればそれは過ぎ去り忘却の彼方の星屑となって時々輝きをやさしい──やがては自らも星屑になるのを悟るかのような──まなざしで見つめるかのような文章たち。
──雨があがると跡形も無く消えてしまうのに。
やさしい名もなきエッセイたち、日記文学を読むというのは、春の恋に似ている時もある。
気づけば紀貫之の『土佐日記』のページを捲っていた。
心の澱を掬うには、漢文よりもひらがながよい──そのようなことを貫之が考えて書き手を女性に仮託したのかどうかは実際のところはわからない。けれども、そのような気持ちはどこかわかる気がする。貫之はある意味、日記文学の先駆者でもあろうか。
『土佐日記』は定家らに写本され、受け継がれてきた。
日記の二月九日、「君戀ひて世をふる宿のうめの花むかしの香かにぞなほにほひける」と記されており、僕の好きな『古今和歌集』の和歌が自然と甦る。
ひとはいさ 心もしらず ふるさとは
『古今和歌集』紀貫之
花ぞ昔の 香ににほひける
貫之の和歌は恋心を静かに品ある官能を湛えながら吐露するかのようでいて、実に奥深く、人生そのものを俯瞰しているようでもあり、結晶化された言葉が如何様にして普遍性を持つかを読むひとの目の前に現前化する。平安時代、貴族の政治的場面でも和歌が活躍し、また、持つものと持たざるものとの格差は現代より溝が深く拡がっていた。大岡信によれば、「文章の世界と政治の世界と、いずれにも、ある行きづまりの徴候があらわれていた。それは偶然の一致ではなかっただろう。」と大岡信も指摘(註4)しているとおり、当第一の歌人、貫之が当時の社会と政治問題を考慮しなかったとは思えない。貫之は、水を鏡とし、空を俯瞰した。水底と空の対は単なる情景ではなく、現実社会、宮中、政治、権力、唐についてなどをかなり「慎重に」(大岡)暗喩していても不思議ではなかろう。
水底の月の上より漕ぐ舟の棹に
『土佐日記』紀貫之
さはるは桂なるらし
これを聞きて、ある人のまたよめる、
影見れば波の底なるひさかたの
空漕ぎわたるわれぞわびしき
貫之の従兄弟、紀友則もそうした才をわかちあっており、また、物憂く品がある。
久方の 光のどけき 春の日に
『古今集』紀友則
しづ心なく 花の散るらむ
ところで、貫之の邸宅の前庭には桜樹が多く植えられていたようだ。桜の花がきっと日本では咲いている頃だろう。この数ヶ月、あるいは、数年、何をしても心落ち着くことはなくとも、淡々と目の前の日常を紡いでいると歳月だけが足早に散っていく──窓に映る僕を僕は眺めた。ガラス板の向こう側の不条理に満ちた世界で生きる僕であり、僕によく似た見知らぬ誰かだ。窓の外側に広がる現実と、僕にとっての真実の世界。歌人や作曲家たちの旋律が湿り気のない円環状の永遠となって、ふたつの領域とそれぞれの領域が持つ虚構と真実を結びつけながらやって来た。カーテンを閉め、部屋の灯りを消し、妻と娘の眠るベッドに潜り込んだ。
あの曲、俺でも練習したら弾ける?もう寝たの?
世界のざわめきを遠ざけた僕たちの系(註5)に、静寂が再び訪れ、僕たちのあいだを深々とした沈黙が満ち、夜が流れた。遠くの旋律と、部屋の隅々に投げかけられた陰影が、彼女を通して僕の湖に響き渡る。窓の外の光たちが滅び痩せた大地にふたたび種が鳥たちによってまかれ、再生する姿をこの小さな部屋の中で再現するかのように──光と影が交差する狭間あるいは空で、星々たちが水底から産道をくぐり抜ける。
さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける
紀貫之
註釈
註1.アヴェヴェルムコルプス
カトリックで用いられる聖体賛美歌である。トリエント公会議で確立された対抗宗教改革の一環として典礼に取り入れられ、主に聖体祭のミサで用いられた。モーツァルトやフォーレ作曲の作品が有名である。
モーツァルトによる合唱曲アヴェヴェルムコルプスK.618は、モーツァルト晩年の傑作のひとつ。
厳かで静謐な旋律が特徴的な短くとも宗教性と芸術性の高い作品。
調性はニ長調
46小節からなる作品構成
冒頭は3つの主題提示から始まる
中間部で短いフーガ風の対位法的書法が現れる
終結部で第1主題が再現される
冒頭は3つの主題から始まり、それぞれが繰り返されながら展開していく。
中間部で短いフーガ風の対位法的な書法が現れ、 再現部で最初の主題が戻り、作品は終結する。
リスト編曲版について
リストによるピアノ編曲版も、この構成を踏襲しており、原曲の精神性を保ちつつ、ピアノのための技巧を加えたアレンジとなっている。
註2.
スペインのサンチェス首相は22日、アイルランド、マルタ、スロベニアと、パレスチナ国家承認に向けた第一歩を踏み出すことで合意したと明らかにした。
スペインなど欧州4カ国、パレスチナ国家承認への取り組みで合意スペインのサンチェス首相は22日、アイルランド、マルタ、スロベニアと、パレスチナ国家承認に向けた第一歩を踏み出すことで合意jp.reuters.com
カタルーニャについて
90年近く前、内戦下のスペイン北部の小さな町ゲルニカは無差別爆撃を受け、多くの命が奪われた。その悲劇へ怒りと悲しみをピカソが「ゲルニカ」に込めたのは周知のとおりだろう。また、ジャーナリストであり作家でもあるジョージ・オーウェルはルポタージュ『カタロニア讃歌』を残した。当時の対立は、現代のカタルーニャの独立運動にも深く関わっている。2017年10月1日の住民投票で賛成多数となったことを踏まえて同年10月10日、カルラス・プッチダモン州首相らが独立宣言に署名した。ただし、スペイン中央政府との対話を模索するため独立宣言は即時凍結され、保留状態となった。10月31日、スペイン高等裁判所は独立宣言の無効を宣言。有力指導者が軒並み拘束された。その後、サンチェス首相が拘束に対する恩赦案を提出し、新たな問題となった。
バルセロナ、5日目の抗議デモに50万人 衝突激化 ゼネストも【10月19日 AFP】スペイン北東部カタルーニャ(Catalonia)自治州の州都バルセロナで18日夜、独立派指導者9人www.afpbb.com
日本で報じられない「バルセロナ」デモの実際世界屈指の観光都市であり、独立問題に揺れるカタルーニャ自治州の州都バルセロナ。10月中旬には、最高裁判決に反発したデモが続toyokeizai.net
スペイン全土で数万人がデモ、カタルーニャ独立派恩赦案に抗議スペインのサンチェス首相代行がカタルーニャ自治州の分離・独立派に対する恩赦と引き換えに政権への支持を取り付けたことを受け、jp.reuters.com
註3.
カサ・バトリョはアントニオ・ガウディの建築のひとつ。夜になるとライトアップされ、大通り一面星々が降ったかのようなイルミネーションが見れる。
註4.
『紀貫之』大岡信 ちくま学芸文庫
註5.

参考文献
『紀貫之』コレクション日本歌人選5 笠間書院
『土佐日記』紀貫之
『紀貫之』大岡信 ちくま学芸文庫
『カタロニア讃歌』ジョージ・オーウェル 岩波文庫

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