ルー・リードとジョン・ケイルが出会った日
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでおそらくもっとも有名でスキャンダラスな曲がこの“ヘロイン”だろう。
この曲は恐ろしい曲でもあるけれど美しくもある。
演奏は比較的シンプルで、音色はポップですらある。基本的に加速していくパターンとゆっくりのテンポになる2パターンの繰り返しだ。テンポアップ、テンポダウン、ヘロインが血管の中を駆け巡る状態を演奏の加速と減速によって表現している。シンプルな曲なのにドラマチックに感じるのはこの有機的なアンサンブルのおかげでもあると思う。
この“ヘロイン”、実はヴェルヴェット・アンダーグラウンド結成前からある最古のヴェルヴェッツナンバーで、ジョン・ケイル加入のきっかけとなった曲でもある。
ジョン・ケイルの経歴はロック界ではけっこう異色で、ゴリゴリのクラシック畑の少年だった。青少年オーケストラでヴィオラを弾いていたり、クラシックの高等教育を受けていた。
レナード・バーンスタイン奨学金を受けて、ウェールズからアメリカに渡ったケイルは、現代作曲家ヤニス・クセナキスの指導を受けるが、折りが合わなかったのか、ニューヨークへ移り住むことになる。そこで、ミニマル・ミュージックの父、ラ・モンテ・ヤングに出会う。そこでジョン・ケイルの実験音楽の日々が始まる。
ラ・モンテ・ヤングが主催してドリーム・シンジケートというグループが作られ、不協和音、ドローン、フィードバックノイズを駆使したフルクサス的、ダダ的な方面の音楽にのめり込んでいく。
同じ頃、ルー・リードはピックウィックレコードの作曲担当として、タコ部屋で、スーパーなんかで流すお気軽なポップスを作る仕事をしていた。ここでは芸術性なんかは求められていなかったから「カリフォルニアソングを10曲書け、次はデトロイト風を10曲だ!」と上から言われるままにひょいひょい曲を作っていた。
ある日、ルー・リードは「ジ・オストリッチ」という曲を作曲する。これが社内で評判になり、この曲を売っていこうぜ! ってことになる。
この「ジ・オストリッチ」は、ザ・プリミティヴスという名義でリリースされるが、ザ・プリミティヴスというバンド名が名付けられていても中身はルー・リード一人なわけで(現代のゴリラズみたいな感じ)、プロモーションする時に一人は困るな―、ライヴも出来ないしなー、ということで、ザ・プリミティヴスを実在するバンドにする必要性が出てくる。
ある日、前衛音楽家集団ドリーム・シンジケートのメンバー(トニー・コンラッド(ヴァイオリン担当)とジョン・ケイル(ヴィオラ担当))のところに、知り合いが
「俺の友達にレコード会社(ピックウィックレコード)やってるやつがいてさー、ロックバンド作りたいらしいんだ。そんで、長髪のやつがいないかって探してんだよー。お前、髪長いじゃんか。一度パーティーに来てくれよ」と誘う。
トニー・コンラッドは「俺、そんな長髪でもないし、ロックなんて全然知らねーもん」と言う。
知り合い「いいから、一度会ってくれよ。マジで」
コンラッド「ガキ共のパーティーだろ? めんどくせーなー」
知り合い「ガチで頼むって」
コンラッド「わーったよ。うっせーな」
ということで、ガキ共のパーティーに行くことになる。
僕らはそのガキ共のパーティーに出かけて行き、そこにいたイカレた連中に引き合わされた。連中は物珍しそうに、ギターが弾けるのかとか、ロックが好きなのかと訊いてきた。僕にはそいつらが宇宙人に見えたぜ。信じられなかった。これがクイーンズの生活のウラ側っていうやつだな、解るだろ。
トニー・コンラッド up₋tight ビクター・ボクリス ジェラード・マランガ共著 訳:羽積秀明
そりゃあ、若き秀才の前衛芸術家サマからしたらロックのたまり場は「生活のウラ側」って感じなんだろうな。
そして、この日のパーティーでピックウィックレコードのテリー・フィリップスと会うことになる。
テリーさん「お前らロック好きか?」
コンラッド&ケイル「……いやあ」
テリーさん「既にロック・スターになったような気持ちを感じられるか?」
コンラッド&ケイル「……(なに言ってんだコイツ)」
テリーさん「ふふふ、お前らギターは持ってるか?」
コンラッド&ケイル「持ってない……」
テリーさん「それじゃあ、誰かドラマーは知ってるか?」
コンラッド&ケイル「あ、それなら知ってる」
実際、僕らのアパートには素晴らしいドラムスを叩くウォルター・デ・マリアが住んでいた。ところが、これで話は決まってしまったんだ。その数日後には、僕とジョンとウォルター・デ・マリアは、コニー・アイランドにあったピックウィックのオフィスが入ってるレンガ作りの不気味な倉庫ビルまで出向くハメになっていた。
トニー・コンラッド up₋tight ビクター・ボクリス ジェラード・マランガ共著 訳:羽積秀明
これで話は決まってしまったんだ。というのがけっこうおかしいというか、面白い。
そして、若き芸術家3人はピックウィックオフィスでとんでもない契約を持ちかけられる。
曰く「ピックウィックと7年間のアーティスト契約。今後の創作活動の全てが親会社のリー・ヘリドン・プロダクションに管理される」
当然、全員サインは拒否。
それなら、うちの作曲者が作った「ジ・オストリッチ」のプロモーションのため数回だけギグをやってくれ、と打診され「それならいいかー」と言って、ザ・プリミティヴスが結成される。
このザ・プリミティヴズ、今思うとめっちゃ豪華なラインナップだ。
ルー・リード:ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。前衛性とポップさを兼ね備えた斬新かつ挑戦的な音楽性、陰翳と知性に富みながらも様々なスタイルを持つヴォーカル、音像を形成する上で欠かせないオリジナリティ溢れる独創的なギター・プレイ、人間の暗部を深く鋭く見つめる独特の詩世界を持ち、同時期にデビューしたデヴィッド・ボウイを始め、後のパンクロック、ニューウェイヴ、オルタナティヴロック、ひいては音楽界全体に及ぼした影響は計り知れない。20世紀以降における最重要アーティストの一人である。
ジョン・ケイル:ピアノ、ヴィオラ奏者でヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・メンバー。ザ・ストゥージズ、ジョナサン・リッチマン、パティ・スミスらをプロデュースし、ニューヨーク・パンクシーンを支えた。
トニー・コンラッド:作曲家、ヴァイオリニスト、映像作家、俳優、はたまた大学で教鞭を執るなど多岐にわたった活動を精力的にこなし、1960年代にはドローン・ミュージックを創造するなど、独自の感性を織り成した芸術作品を創り上げたエクスペリメンタル・アーティスト。2008年の横浜トリエンナーレではインスタレーションの出品と、演奏を行った。そのコンサートはジム・オルークとの共演。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの名付け親でもある(道でヴェルヴェット・アンダーグラウンドというタイトルのSMペーパーバックを拾った)。
ウォルター・デ・マリア:ウォルター・デ・マリア は、アメリカ合衆国の彫刻家・音楽家。インスタレーション作品などを多数制作・設置している。ランドアート(その場・その時しかないアート)「ライトニング・フィールド」が代表作。
こんなそうそうたるメンツで、ダチョウの曲(オストリッチはダチョウのこと)をスーパーマーケットや高校生のギグなんかで演奏していたんだから凄い。
ザ・プリミティヴズの活動は1ヶ月で終了となる。
理由は白けてしまったから。どうなるアテもないし、金にもならないし、レコードだって売れてない。
ただ、ジョン・ケイルだけは、ルー・リードに可能性を感じていたらしい。
僕が、ルーに会った時、彼は音楽出版会社の専属作曲家だった。彼は会社のために書いたという曲を聴かせてくれた。でもそれは格別新しくも、特に刺激的でもなかったし、ラジオでよくかかる凡百の曲と同じようなものだった。
ジョン・ケイル up₋tight ビクター・ボクリス ジェラード・マランガ共著 訳:羽積秀明
音楽のエリートのジョン・ケイルは会社用に作った曲には何の興味も示さなかった。さて、次からが今回の本題だ。
しかし次に、会社は絶対に採用しないだろうと文句をいいながら、別の数曲を聴かせてくれた。最初に演奏してくれたのが「ヘロイン」だった。そしてその曲は、僕を完全にノック・アウトしたんだ。歌詞と曲はメチャクチャに下品で破壊的だった。そして何よりも、彼の曲は僕の音楽的コンセプトと完璧に合致していた。
ジョン・ケイル up₋tight ビクター・ボクリス ジェラード・マランガ共著 訳:羽積秀明
神童が道を踏み外す瞬間である。
それでは、その下品で破壊的な――そして美しい”ヘロイン”の歌詞だ。
ヘロイン 和訳
どこへ行こうとしてるかはわからない
だけどできることなら
王国に行ってみたいね
まるで男みたいな感じがするからね
俺の静脈に大釘を打ちつける時とか
物事がまったく
別のものになっちまった時なんかさ
急いで逃げてる時
まるでキリストの息子になった気分さ
多分何もわかっちゃいないんだろうけど
多分何もわかっちゃいないんだろうけど
大決心をしたんだ
俺の人生を知ろうと思う
だって血が流れだしたら
ラリった奴の首に一発撃ち込んでやるのさ
俺が死んでいく時
おまえには何もできないさ、おまえの仲間だって
甘い会話を交わす
可愛い女の子たちにもな
ただ散歩に出ることしか
多分俺は何もわかっちゃいないんだろうけど
何もわかっちゃいないんだろうけど
千年前に
生まれりゃよかったのに
暗黒の海を航海していくんだ
この国から向こう岸まで
セイラー服に帽子を身に着けて
人間がすべての罪悪から自由になれない
この大都会から逃げるのさ
何にも惨めなことはないさ
多分、俺は何もわかっちゃいないんだろうけど
何もわかっちゃいないんだろうけど
ヘロイン、おまえこそ俺の死そのものさ
ヘロイン、俺の女房、俺の人生
俺の静脈に針を突き刺せば
頭の中で準備が出来てくる
死ぬよりずっと幸せになれるんだ
その一撃が解放されると
どうでもよくなっちまうのさ
町のJINJINZじゃなくて
忙しい音を立ててる
政治家なんかじゃなくて
誰もかれもお互いを
陥れようとしてるんだ
すべての死体が
山のように積まれてる
一撃が解放されると
もう、どうでもよくなっちまうのさ
ヘロインが俺の血に混ざると
血は頭に登って
ありがと、神様まるで俺は死人さ
ありがと、神様、俺は目覚めない
ありがと、神様かまうもんか
多分、俺は何にもわかっちゃいないんだろうけど
何もわかっちゃいないんだろうけど
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド ”ヘロイン” 対訳:AKIYAMA SISTERS INC
まるでキリストの息子になった気分さ
ヘロイン、おまえこそ俺の死そのものさ
ヘロイン、俺の女房、俺の人生
俺の静脈に針を突き刺せば
頭の中で準備が出来てくる
死ぬよりずっと幸せになれるんだ
ルー・リードはこの曲はヘロインの使用をすすめるヘロイン賛歌ではなく、ヘロインを使った状態を表現した曲だ、とどこかで語っていたと思うけど、歌詞はかなり生々しい。
だけど、おどろおどろしさよりも誌的な美しさを感じさせる。
千年前に
生まれりゃよかったのに
暗黒の海を航海していくんだ
この国から向こう岸まで
セイラー服に帽子を身に着けて
人間がすべての罪悪から自由になれない
この大都会から逃げるのさ
このシーンはいい。
「途方もないこと」をこんな風に表現するんだ、と思わずうなってしまう。
ヘロイン中毒の男が「千年前に生まれたらよかった……暗黒の海を航海するんだ。水兵が着るようなセーラーを着てさ」とつぶやいている様子が浮かんでいく。どこか映画的で、哀しさも感じるシーン。そして続く聖書的な独白。「人間がすべての罪悪から自由になれないこの大都会から逃げるのさ」
アダムとイヴは知恵の実を食べて楽園を追い出される。これが原罪。だからぼくたちは生まれながら罪を負っている。大都会では罪深い人間たちが自由になれない。この大都会から逃げる。もちろん罪からは逃れられない。逃れるには死しかない。ヘロインを打つ。まるでキリストの息子になった気分になる。
ありがと、神様まるで俺は死人さ
ありがと、神様、俺は目覚めない
ありがと、神様かまうもんか
できることなら王国(神の国?)に行ってみたい男は、「多分、俺は何にもわかっちゃいないんだろうけど/何もわかっちゃいないんだろうけど」と繰り返しながら、静脈注射を打つ。もちろん神様の息子にはなれないし、待っているのは悲惨な結末だけだ。だけど、この歌詞の描写とイメージは素晴らしい。
ヴェルヴェッツ前夜、ルー・リードは大都会の隅で、誰にも知られることもなくこの曲を作っていた。
ジョン・ケイルがルー・リードのこの曲を見出したときから数年間、ルー・リードとジョン・ケイルは暗い海を航海していくことになる。
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