トルーマン・カポーティ/ティファニーで朝食を ブック・レビュー

レビュー/雑記
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振舞いはワイルドで、生き様はロックな主人公 ホリー・ゴライトリー

先日、映画館で『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』というドキュメンタリー映画を観た。

この映画は遺作で未完の作品『叶えられた祈り』にまつわる証言、コメントを、親しかった知人、友人、作家仲間やライバルなどの新旧インタビューを基に作られた作品で、お馴染みのエピソードから、それは知らなかったなー、というエピソードまで語られていてカポーティファンならそれなりに楽しめる映画となっている。

個人的におもしろかったのは、ジェイ・マキナニーの作家ならではの鋭いコメントと、ライバルだったノーマン・メイラーの発言(カポーティは同世代の作家で完璧に近い作家だ)。そして『ティファニーで朝食を』の映画版を酷評するシーン。

へー、『ティファニーで朝食を』ってそうなんだーと思って、どんなあらすじだったっけな、と一瞬考えたら「あれ、俺ティファニー読んでないじゃん」ということに気づく。

そして、自分が読んだことのあるカポーティ作品を振り返ってみると、『遠い声、遠い部屋』『冷血』『叶えられた祈り』『夜の樹』『カメレオンのための音楽』『真夏の航海』『誕生日の子どもたち』。けっこう読んでいる。そう、カポーティの作品はけっこう読んでいるのに代表作の『ティファニーで朝食を』は読んでいないのである。

これは、いくつか理由があって、ぼくはメジャーすぎる作品をふっと避ける傾向にあって、映画『タイタニック』が流行っていればハーモニー・コリンの『ガンモ』を観て悦に入ったり、浜崎あゆみがヒットすれば、ブランキー・ジェット・シティを聴くような人間だったので(要は自意識と偏見が強い)、カポーティは読みたいけれど、ティファニーはなあ、と思っていたのである。

それとやはり映画版の影響も大きい。村上春樹訳が出るまで、長らく新潮文庫の表紙はオードリー・ヘップバーンの黒ドレスのやつで、それがレジにこの本を持っていく足を遠ざけていた要因のひとつだった。『ティファニーで朝食を』=「オードリー・ヘップバーン」の図式が強すぎるんだよ。

ぼくは映画を観終えた足で考えた。『ティファニーで朝食を』を買うなら今日をおいてほかにはない、と。そして買いました。読みました。これが面白かった。もし、ぼくと同じように偏見をお持ちの方がいらっしゃったら是非読んでいただきたいです……。

この小説が面白いのはキャラクターが魅力的だからだ。とくに主人公のホリー・ゴライトリーがいい。自由奔放な女性で、その振舞いはワイルドで、生き様はロックで、ニューヨークを舞台に、彼女がどんな行動をするのか目が離せなくなる小説なのである。 

ティファニーで朝食は食べない

舞台は1943年ニューヨーク。語り手は「僕」主人公はホリー・ゴライトリー。

「僕」とホリーは同じアパートに住んでいる。「僕」とホリーはほとんど面識がなかったけれど、アパートの郵便受けの「ミス・ホリデー・ゴライトリー トラヴェリング(旅行中)」という文字が印象に残っていた。

ある日、ホリーが深夜に帰宅してきて最上階に住む日系人のユニオシさんの呼び鈴を連打する。ユニオシさんは「何時だと思ってんだ! いつもいつも勘弁してくれ!」と怒鳴る。ホリーはしょっちゅうアパートの鍵をなくしてしまうらしく、玄関を開けてもらうために住民に開けてもらっていたのだ。

そして数日後からは、呼び鈴を押す便利な相手はユニオシさんから「僕」に取ってかわることになる。彼女が帰宅するのはだいたい深夜2時、3時、4時ぐらい。彼女は「僕」を叩き起こしてもなんとも思わない。「僕」のほうはというと、このホリー・ゴライトリーという美しい女性に対して興味を持ち始める。

「僕」は作家志望の貧乏な若者で、ニューヨークの片隅でひっそりと物を書いて暮らしている。ホリーはいつもクールな恰好をしていて、高級レストランで男たちに囲まれていたり、街で見かけるときもだいたい男たちと一緒にいて、羽振りがよさそうにふるまっている。

初めてホリーに会った時、モデルか駆け出しの女優のように思った「僕」だけど、どうやら違うらしいということがわかってくる。

ある日、ホリーがバスルーム姿で「僕」の部屋の窓をノックする。「下におっかない男の人が来てる」から匿ってくれ、というわけだ。

そして匿ってあげたにも関わらず、ホリーは「僕」の部屋にケチをつけはじめる。

「よくこんなところに住めるもんだ。これじゃまるで『惨劇の部屋』じゃない」「まあ、何にでも慣れちゃうものだから」と言ったものの、心中穏やかではなかった。というのは僕はこの部屋をそれなりに誇りに思っていたからだ。

「私は違うな。何にでも慣れたりしない。そんなのって、死んだも同然じゃない」

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

酷い。笑

そして、ホリーは「僕」に「あなたはここで一日何をしているの?」と訊ね「ものを書いている」と答える。

「作家ってもっと年をとっているものだと思っていたわ。~中略~ところでヘミングウェイって年寄り?」

「四十代だと思うね」

「悪くないな。私は四十二歳以上じゃないと燃えてこないのよ。馬鹿な女友だちが一人いて、私にいつも精神科の医者に診てもらえっていうの。ファザー・コンプレックスに違いないからって。とことん詰まらないことを言うわよねえ。だって私は年上の男を好きになるように、自分をせっせと訓練したってだけのことなのよ。そしてそれは文句なしの大正解だったわ。サマセット・モームっていくつくらい?」

「よく知らないな。たぶん六十代じゃないかな」

「悪くないわね。作家とベッドをともにしたことって、まだ一度もないの」

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

ホリーが性的にも奔放だということがわかるシーン。

それからホリーは「あなたが書いている小説を朗読してくれ」と「僕」に頼む。「僕」は緊張しながらも自作を誰かに聞いてもらえる誘惑に勝てずに朗読を始める。

ホリーの感想は「それでおしまい?」「何の話なのよ、いったい?」これには「僕」もけっこうムカつく。

お分かりのように、この小説のホリー・ゴライトリーは、映画のチャーミングでお洒落なオードリー・ヘップバーンとは大分印象が違う。

「僕」は、ホリーと友人付き合いをするようになって、少しずつミステリアスな彼女のことがわかっていく。

名前のない猫を飼っていること、ギターを弾くこと、毎週木曜日は刑務所にサリー・トマトというマフィアの大物に天気予報を伝えに行くことでけっこうなお金を稼いでいること。パーティーを開いたり、男たちと食事をすることでお金を稼いでいるということ(パパ活ですね)。田舎の競馬場でふらふらしていたときにO.J.バーマンという芸能エージェントをしている男に見いだされ映画デビューする直前だったこと。

O.J.バーマンが散々苦労して、大きい映画の役のテストを受けれるようお膳立てをする。だけどホリーの姿が見当たらない。そこにホリーから電話が来る。「今、ニューヨークにいるの」「おい!明日は映画のテストなんだ。早く戻ってこい」「いやだ」「大事な仕事なんだぞ」「私は求めてない」「じゃあ、いったい何を求めているんだ?」「それがわかったら真っ先に教えてあげるわ」ガチャン。

O.J.バーマンは、ホリーには「誰にもない」光るものがあると感じている。だから、ニューヨークで遊び歩いている現在の生活が理解できない。

O.J.バーマンじゃなくぼくでも思う。ホリー・ゴライトリーはニューヨークで何を求めているのか?って。

ここでようやくティファニーが登場する。ティファニー、それはニューヨーク5番街にある有名宝飾店だ。もちろん飲食スペースはない。これがポイントだ。※今は四階スペースでカフェがオープンしたらしい。

ホリーは女優にはなりたくないみたいだけど、リッチでフェイマスにはなりたいと思っている。

リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにとりかかるつもりでもいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていきたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、このままの自分でいたいの。

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

そして自分と一緒に生活している猫の頭を掻きながらこう言う。

かわいそうに名前だってないんだから。名前がないのってけっこう不便なのよね。でも私にはこの子に名前をつける権利はない。ほんとに誰かにちゃんと飼われるまで、名前をもらうのは待ってもらうことになる。この子とはある日、川べりで巡り会ったの。私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も。自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている

「それはティファニーみたいなところなの」

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

これがホリーの求めていることで、現実のティファニーでクロワッサンをかじることではない。

「自分といろんなものごとがひとつになれる場所」というのはきっと矛盾なく、乖離なく、完璧にエゴと自分自身の調和がとれる場所、そんな全能感を得られる場所のメタファーとして「ティファニーみたいなところ」とホリーは言っているんだと思う。

パティ・スミスだったらアルチュール・ランボーの墓の前かもしれないし、リアム・ギャラガーだったらジョン・レノンの生家でランチすることかもしれない。

そしてそれは、現実の「場所」や「もの」じゃなく、あくまで標みたいなものなんだと思う。

ホリー・ゴライトリーの過去

※以下ネタばれ含むなので結末を知りたくない人は読まないでネ!

「僕」はある日、ホリーの郵便受けをじろじろ眺めている場違いな男がいることに気づく。そして、その男は「僕」のあとを尾行してくる。探偵か裏社会の人間だろうか? 「僕」は「ハンバーグ・ヘヴン」という飲食店のバーに座ると男も隣に腰を下ろす。

「何かご用ですか?」

「僕」が男に訊ねると一枚の写真を取り出す。そこにはこの男と田舎臭いぽっちゃりした女の子が映っていた。

その田舎娘はホリーだった。ということは「あなたはホリーのお父さんなんですね?」と訊ねると男は「夫だ」という。

この男はドク・ゴライトリー。テキサスで獣医と百姓をやっている男で、田舎から失踪した妻を探しにニューヨークに来たということだった。ホリーの本名はルラメー・バーンズ。ある日、ドクの娘が「牛のミルクと七面鳥の卵を盗みにきた浮浪者を捕まえた」というので見に行くとそれが、ホリーと兄のフレッドだった。そのときのふたりは、骨と皮の状態で、あばらは浮き出て、脚はぐらぐらで、歯もぐらついておかゆも食べれない状態だったらしい。

ドクは二人を保護して食糧を与え、ホリーは賢く育つ。ホリーが14歳になったとき、ドクは彼女に求婚して二人は夫婦になった。とドクは話す。そしてある日ホリーはドクのもとを去った。兄のフレッドはドクの家に留まり戦争で兵隊に取られるまでテキサスでドクと暮らすことになった。

このあとドクとホリーは再会するんだけど、それは当然心温まるものではなかった。

ホリーは「私はもう14歳ではないし、もうルラメーではない」「ドクは野生のものを愛したことが過ちだった」と言う。

彼(ドク)はいつも野生の生き物をうちに連れて帰るの。翼に傷を負った鷹、あるときは足を骨折した大きな山猫。でも野生の生き物に深い愛情を抱いたりしちゃいけない。心を注げば注ぐほど、相手は回復していくの。そしてすっかり元気になって、森の中に逃げ込んでしまう。あるいは木の上に上がるようになる。もっと高いところに止まるようになり、それから空に向けて飛び去ってしまう。そうなるのは目に見えているのよ、ベルさん。野生の生き物にいったん心を注いだら、あなたは空を見上げて人生を送ることになる

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

ふいに吐露されるホリー・ゴライトリー哲学だ。

野生の生き物(ホリー)に深い愛情を抱いたりしちゃいけない。

野生の生き物にいったん心を注いだら、あなた(ドク)は空を見上げて人生を送ることになる

物語は佳境へ。

ホリーはブラジルの金持ち外交官ホセ・イバラ=イェーガーと交際を始めていた。

ホセは金と地位は申し分ないけど、けっこう退屈なやつで、とにかく世間の評判と外聞を気にするやつだった。ホリーはこのホセと結婚できればチャンスだ、と考えていて、なにがなんでもホセと結婚するつもりでいた。

そんなタイミングで「麻薬スキャンダルでプレイガールが逮捕」の見出しが全国紙に掲載される。ホリーが毎週木曜日に刑務所へサリー・トマトと面会していたことが麻薬の『連絡係』をつとめていたということで逮捕されてしまう。

そして、スキャンダルを嫌ったホセは、ホリーに「家名と評判があるから私のことは忘れてくれ」と手紙を残しさっさとブラジルに帰ってしまう。

保釈されて戻ってきたホリーはその手紙を読んでショックを受ける。だけど、逮捕前にホセからもらっていたブラジル、リオ行きの航空券を使ってブラジルに行くことに決める。

「僕」はホリーに恋心を抱き始めていたから彼女のブラジル行きにショックを受ける。

「何もホセに未練があるわけじゃないからブラジルに行くわけではない」とホリーは言う。ドク・ゴライトリーに求婚されたときも「結婚はしたことがないからしてみたい」と彼女は言った――。

これがホリー(野生)の行動原理なのかもしれない。

ブラジルに飛ぶ日は嵐で、最悪の天候だった。アパートの持ち物は「僕」に準備をさせリムジンに乗って空港へ向かう。途中、家族同然に暮らしてきた猫をスラム街で捨てる。

「どっかに行っちまえ!」と言って猫を嵐の中に放り出す。同行していた「僕」はショックを受ける。「なんてことするんだ」と。ホリーは「私たちは川べりでたまたま出合っただけで、どっちも孤独なんだ、お互い何も約束しなかった――」と語る。

だけど、ホリー自身も自分がしたことを後悔していく。「僕」は帰りに猫を必ず見つけて責任をもって育てると約束して、ホリーはブラジルへ旅立つ。

後日、ホリーから手紙が届く。

ブラジルはぞっとするようなところだったけれど、ブエノスアイレスは最高。ティファニーほどじゃないけれど、それに近いかもね。私はすっごく素敵なセニョールと仲良くなったの。愛? おそらくは。とにかく、住まいを探しているところ(セニョールには奥さんと七人の子供たちがいるので)。住所が決まったら知らせます。ミス・タンドレス

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』 村上春樹訳

もちろん、その後ホリーから住所が決まったという手紙は来ず、ホリーとの関係は途絶える。

スラム街で捨てた猫は、ある日、暖かそうな窓の中で優雅に日向ぼっこしているのを見つける。裕福な家に飼われたらしい。「僕」は、ホリーもこの猫のように自分の居場所を見つけてほしいと願う。

映画版でのラストはブラジルへ行かず、一緒に猫を探し出して、二人が雨の中抱き合って、美しいBGMが流れて終了。これにカポーティは激怒した。カポーティはこの作品をメロドラマとは捉えていなかったんだと思う。そもそもオードリー・ヘップバーンのような女性ではなく、マリリン・モンローに演じてほしかったみたいだ。

今だったら誰だろう。レディ・ガガとかエイミー・ワインハウスなんかがちょっとイメージっぽいなと個人的には思う。

この作品でホリーは自分の中の「ティファニー」を探して世界中を「旅行中」だ。従属するのが美徳だった女性の価値観を大きく変えた『ティファニーで朝食を』

タフにエゴを引き連れて自分の力で運命を変える女性の物語。今、ホリーが現実にいたらパンクバンドを結成していたかもしれない。

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