二十年以上東京に住んでいた僕が福岡に移住して考えたいくつかのこと ⑪島について考えた 我妻許史

投稿作品
スポンサーリンク
スポンサーリンク

島について考えた

 福岡に来るまで島に行ったことがなかった。福島には島がなかったし(島がないのにどうして福〝島〟なんだろうと思って調べたら、〝福島市周辺は、かつて湖に囲まれた地形でした。その湖の中心にあった信夫山に、阿武隈山地から吹き付ける冷たい風「吾妻おろし」が吹き付けていたため、「吹島」と呼ばれていました。その後、「吹」という字が縁起が悪いとして、「福」の字を当てて「福島」と呼ぶようになったとされています〟とのこと)、東京には島があるけれど、日常生活の中でそれを意識することはまずない。
 福岡に住む友人たちは、口を揃えて、「福岡に観光スポットは(あまり)ない」と言う。でも、僕は言いたい。福岡には島がある、と。
 子ども時代、僕にとって“海”といえば太平洋だった。だから今でも、海と聞くと、どこまでも広がる水平線と、果てしなく伸びる砂浜を思い浮かべてしまう。

 泳ぐのが嫌いだった僕は、よくテトラポッドの上をぴょんぴょんと飛び回って遊んでいた。飽きると平らな面に腰を下ろし、海の向こう──たぶんアメリカ──に思いを馳せながら、空と海の境目をじっと見つめていた。そこには何もなかった。すべてが空っぽだった。海の上には何もなく、空と海の境界がただ淡く滲んでいた。それは、太陽系の図にある黒い余白のようであり、“無限”という言葉みたいなものだった。
 福岡で海を見たとき、僕は驚いた。視界には必ず島がある。しかも、意外なほど近い。それは生活の一部であり、同時に神秘だった。

 「空っぽの海」と違って、そこには“踏みしめられる大地”がある。きっと見たことのない景色や、嗅いだことのない匂いがある。──そう思うと、心の奥からじわじわと興奮が湧き上がってきた。
 島へ行こう。そうして僕が選んだのは、玄界島だった。決めた理由は特にない。名前の響きかもしれないし、地図で見たときの大きさや形に惹かれたのかもしれない。
 フェリー乗り場に着くと、思いのほか多くの人が島行きの船を待っていた。
 最初は、島に渡る前に食料や酒を買おうかと思っていたけれど、これだけ人がいるなら、島でもきっとなんとかなる。そう考え直して、トルーマン・カポーティの『ここから世界が始まる』の文庫本を開き、出航までの時間を静かに過ごした。
 玄界島に着いた僕は、どこか浮き足立っていた。普段はあまり撮らない写真を、やたらに撮った。警戒心のない猫の姿を撮り、港の風景を撮り、なんてことない倉庫の扉まで撮った。

 気づくと、さっきまで一緒に船を降りた人たちの姿はすでになかった。港には僕と猫だけが取り残され、賑やかだった音が気付くと消えていた。
 僕は猫に別れを告げて、島を反時計回りに歩き始めた。まずはビールだな、と思って歩き出したはいいけれど、商店のようなものは見つからない。それどころか人が一人も歩いていない。道は静かで、聞こえるのは波の音だけ。十五分ぐらい歩いても風景は変わらず、見えるのは海と、足元のフナムシだけ。せめて、自動販売機があればいいのに。コーラが飲みたい、いや、水でいい。いや、どこかに腰掛けるだけでいい。そんなふうに気持ちが弱ってきたころ、僕の前方に小さな建物が見えてきた。
 近づくと、それは廃墟だった。岩場に立つその小屋はボロボロで、手すりはすでになく、階段は朽ちかけていた。
 僕は階段に腰掛けて、ハンドタオルで首筋から垂れる汗を拭いた。暑かった。静かだった。なんか思ってたのと違う、と思った。本当は大きな木の陰に寄りかかって海を眺めながらビールを飲んだりしたいのに、と思った。なんで、わさわざ島まで来て廃墟の階段で膝を抱えてなくちゃならないんだ、と思った。
 結局、何も飲むことなく、砂浜に降りることもなく、海とフナムシと錆びたガードレールを見ながら延々と歩いただけだった。
 港の手前で、ようやく腰を下ろせる場所を見つけた。誰もいない公園は、不気味なほど静かだった。まるで、死後の世界に迷い込んだみたいだった。

 僕はベンチに寝転んで、カポーティを読んだ。疲れていたから、内容が入っていかなかった。それでもしばらくは文字を追い、吹く風を受けながら読書を続けた。
 気づくと僕は眠っていた。起きたとき、空はまだ明るかったけれど、時刻は七時を回っていた。僕は慌てて港に向かった。
 最終便のフェリーには、僕と若い二人組しか乗っていなかった。きっと地元の若者だろう。彼らは何かに興奮して、笑い合っていた。島から街へ。彼らは今夜、島へは戻らず、街で一夜を過ごすのだろう。
 僕はふと、自分は何のために島に来たんだろうと考えた。
 歩くため、風に吹かれるため、疲れるため。──たぶん、“無”を獲得するため。

 それは、ちょっと文学に似ているような気がした。大袈裟かもしれないけれど、その「無」は過度な合理社会にささやかな反抗のようにも思えた。
 その後、僕はこの日の体験を元にして『玄界島のトルーマン』という小説を書いた。面白いかどうかはわからないけれど、踏めなかった砂浜に足跡を残すことができたような気がして一定の満足はしている。
 今でも、ときどき島へ行く。金印で有名な志賀島にある志賀海神社はお気に入りの神社の一つだ。能古島では観光客の少ない浜辺で、酒を飲みながらぼけっと海を眺めるのが好きだ。そうそう、最近では島に渡る前にきんきんに冷えた白ワインを魔法瓶に詰めてから渡っている。シチリア産の白(あるいはプロヴァンス産のロゼ)がおすすめだ。潮風とよく合う気がする。
 島にいるとき、僕はほとんど何も考えていない。別に「ときどき日常から離れて心をリフレッシュするのも大事だよ」と言いたいわけじゃない。もっと原始的なことだ。人間なんて大したことない。島はその原則を僕に教えてくれる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました