クリムトの接吻 断章
ひょっとすればあり得るかもしれない別の歴史をひらく視座は、いかに実現可能性は薄かろうと、未来に働きかける真摯な呼びかけであると言っていい。
『空襲と文学』W.G.ゼーバルト
個の強い嫉妬は時として多くの血を流す。もうすぐ戦争がかの土地で始まって一年になる。「神」に選ばれた欲望の皇帝が安住の地でとおくの民たちに指示し血を流させる。何のために?
アンドラーシュ・シフの弾くバッハ平均律クラヴィーア曲集第一巻、六番BWV.851のプレリュードとフーガをずっと聴きながらチョコレートの箱に入っていたカードの絵、クリムトの接吻をぼんやり眺めていた。
三声のフーガは神への愛─執着─嫉妬のようにも聴こえる。
彼女と僕が友情の証を確かめ合ったときはこのような感じだったろうか。
この絵のひと組の男女は互いに嫉妬し合うことなんてあったんだろうか。
嫉妬───アリストテレスによれば(*1)、他者の善いことを喜ぶのではなく、哀しむこと。
「私は誰かに執着したり嫉妬をしたことがあまりない。一時的な感情でならあるかもしれないけれど、ほとんどは、斜に構えて、大したことない、と思い、気にならない、ひとに執着しない。逆に言えば、私は尊大的態度が大きく、傲慢で鼻につくいやな人間ともいえるかもしれない。私はエゴと感性が突出しているからなのか、とても自信家でもある。だから私は他者の善を哀しむことがないし、他者の善を何とも思えない。要するに……」───と、ここまで僕のことを書いていて、これを書いていったい何がどうなるというのだ?ただの言葉遊びだろう、という結論に達してやめた。
僕はそれでもあるひとの死について執着している。ある女友達が死んだ。ずっとむかしのことのようでもあり、きのうのことのようでもある。正確には、いまから九年前だ。
彼女には家族があった。僕がそのことを知ったのは彼女が死んだことを知らされたときで、それまで、僕は彼女の年齢などを僕より少し上くらいだろうということしか考えていなかった。名前だって下の名前しか知らなかったほどに、彼女のことを何も知らなかった。
それでも僕と彼女は心が通じ合っていたと確信している。それは彼女が描いてくれた僕の肖像画に痕跡として残っている。彼女は僕ではなく、僕を描くことそのものを愛していた。
僕はそれで良いと思える。
絵を描く女と窓の向こうを見る男。
互いの瞳の中に各々自身は映らない。
余計な感情のいっさいを排除した「描く」ことと「見る」こと。
デッサンをやめる女とその女に視線を移す男。慰めや感傷の払拭された純粋な導きの光の中で、互いによって否応なく他有化(*2)されたふたりがひとつに溶け合い、ようやくそこに互いの《私》が立ち昇る。
*
「はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。」───ヨハネによる福音書
ロゴスが正義のデデキント切断(*3)だとして。
それはロゴスを使うものたちの連続性を実証することになる。
俺はロゴスを思い切り力のあらんかぎり振り回し、爪を剥がし、釘を打ちつけ、十字を切って、泣きながら許しを乞うロゴスを嘲り笑いながら、錆びたナイフで性器を抉り、ロゴスの口に咥えさせてしゃぶらせ、失神したら水と熱湯を被せ目を抉り暗闇の中で光を希求させてやる。押し寄せてくるロゴスの複製たち全員を引きずり出して同じようにしてやる。ロマンが婚礼のときにしたように(*4)俺もロゴスにこの儀式を讃歌させひれ伏させ俺がアスファルトに焼け焦げた影になるまでどこまでも追いかけてありとあらゆるロゴスに正義を───死の内にある永遠の連続───歴史への回帰を思い出させてやる。
*
僕は彼女の決断したことに嫉妬する。
あれを彼女が善きことだと思ったことを哀しむから。
音の粒たちが降り注ぐ中で、僕はあの瞬間を永遠に切り取ってくれた彼女に「接吻」の女を重ね合わせ、僕は《私》に接吻し優しく抱きしめた。
愛と赦しは恩寵の前にあるのだ。
祈りを捧げるのは神のためだけではなく、いま希望なき小さくとも貧しき幸あるひとたちのために。
おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!おまえのためでも俺のためでもない!
17回の祈りを終える。17は素数で数的に美しいと思った。だからどうした?僕はイエスさまに嫉妬するだろうか?神のひとり子のイエスさま、僕も神のひとり子だったなら、全きひとになれただろうか。
あゝ、そうして、魔法をかけることができたならどんなに素敵だろうか!
僕は僕のとても愛する女の子たちをあの大地に連れてゆきたい。
兵士たちの婚姻を禁ずる皇帝に屈することなく彼らの婚姻を認めさせようとした男、聖ウァレンティヌスは処刑され、愛を贈り合う象徴となった───クリムトの接吻のカードを挟むなんて、プレリュードのピカルデントとフーガのはじまりのデデキント切断みたいだ。チョコレートで飢えや寒さや愛の希薄さを凌ぐことはできないのに。それでも、クリムトの接吻のような絵画、あるいは芸術は、愛すなわち僕を照らし導く光の断章かもしれない。
馬鹿げた裸の皇帝、ロゴスはそのようにして愛の日に僕によって愛と赦しを受けたのでした。
かの土地に僕は魔法をかけました。
死んだひとたちを生き返らせて、仲直りさせて、「ごめんね」─「いいんだよ、赦してあげる」
寒さの中、互いを互いの肌で温めてあげました。
彼らは接吻しあい、あの庭に木蓮が咲く春がやってくるのです。
*
愛の痕跡に執着し、僕は彼女の遺してくれたスケッチブックを記憶の中で捲り続ける。寂寥が灰色の空の下の海の波濤のように押し寄せる。それを押しのけてゆくと光が雲の隙間から僕を導くかのように僕の肖像画が現れて僕に語りかける───おまえは、暗闇と真空の中、眼下に広がるこの光景の何を見て、何を聴いているのか?
見るべきものを見て、聴くべきものを聴いているか?
※1 アリストテレス著『ニコマコス倫理学』参照
※2 他有化は他者のまなざしによって否応なく拘束されることであり、対他存在の責任者は「私」である サルトル著『存在と無』参照
※3 デデキント切断は実数の特性である連続性の概念を指す。
※4 ソローキン著『ロマン』参照
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