悲劇の女優――フランシス・ファーマー
“フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル”この長すぎるタイトル、もちろん意図的である。
当時のオルタナティブバンド、パンクバンドは気の利いた、一見皮肉な一語をタイトルにつけるのが流行りで、カート・コバーンはそれに歯向かってこのタイトルをつけた。
さて、この曲の主題になったフランシス・ファーマーという人物はどんな人だったのかというと、一言で言うと「才色兼備」の女性である。
1913年シアトルに生まれたフランシス・ファーマー。
もともと文学的な才能があったフランシスはニーチェをテーマにしたエッセイ『神は死んだ』を書いて雑誌に表彰される。この時、フランシスは十六歳(!)。ジャーナリスト志望の彼女は名門ワシントン大学に入学。在学中、左翼系新聞社のコンテストで優勝した懸賞でモスクワへ旅行した。
彼女はジャーナリスト志望だったけど、フランシスのお母さんは彼女を女優にしたがっていて、パラマウント社のテストを受けて合格。いきなり映画の主演女優となる。
演劇界のスターの卵として順風万端な未来が待っていると思われたフランシスだったけれど、映画会社が求めているのは従順で可愛い女の子であって、知的な才女ではなかった。演技力よりもそのルックスで愛想よく画面に映っていてくれ、という映画会社のやりかたと、人間性を無視した労働スケジュール、ハリウッドのスター・システムに次第に疲弊して平常心を失っていく。
アルコールに救いを求めた彼女は、アルコール中毒者の常として徐々に坂を転げ落ちていく。酔っぱらって騒動を起こし逮捕された後、母親の手によって精神病院に入れられる。病院は彼女を助けるどころか打ちのめすことになる(インシュリン・ショック療法を施され、繰り返し電気ショックを与えられたり、氷風呂に入れられるなどの荒療治を受けた。)。退院後、父親とネバダを旅行中に逃げ出し、カリフォルニアで浮浪罪で逮捕。再度、精神病院に送られ、五年間閉じ込められる。この期間、毎晩看守にレイプされていた、と告白している(この時ロボトミー手術をされたという伝説があるけれどそれはデマ)。
凋落時のメディアは辛辣で、反キリストの共産主義者女優に降りかかった罰だ!と断罪した。
その後、社会復帰したフランシスは1970年56歳に食道癌で他界。
知的で才能のあったフランシス・ファーマーは、ハリウッド、世間、メディアの犠牲者といってもいいかもしれない。レッテル貼りに苦しみ、アルコールへ救いを求めた彼女の姿をカート・コバーンは自分の姿に重ね合わせたのかもしれない。
フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル 和訳
金を支払ってもらえばすぐにも
おまえは立ち去るとわかれば本当にほっとするよ
どこへ行けばいいかおまえが
尋ねていると聞けばすごく楽な気分になる
おまえが俺を告訴するとわかれば
やたらと落ち着いた気分になれるんだ
またしても同じことの
繰り返しになってしまいそうだ
悲しみに浸るあの心地よさが今の俺には懐かしいよ
彼女の偽りの証言を聞いても
おまえが俺たちについてくれるよう願うよ
そして奴らが浮くのか沈むのか確かめようじゃないか
俺たちのお気に入りの患者
これみよがしの忍耐
病に蝕まれたビュージェット湾
彼女は炎のごとく舞い戻ってきて
嘘つきをみんな焼き殺し
なきがらを灰で
大地を覆い尽してしまうだろう
悲しみに浸るあの心地よさが俺は懐かしいよ
ニルヴァーナ 『イン・ユーテロ』”フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル” 対訳:中川五郎
悲しみに浸るあの心地よさが俺は懐かしいよ
静かな怒りに満ちた歌詞だと思う。
カート・コバーンはフランシス・ファーマーの亡霊に取り憑かれているかのようだ。
“サーヴ・ザ・サーヴァンツ”でも歌っているけど、奴らが浮くのか沈むのか確かめようじゃないかというのは中世で行われた魔女裁判の様子。浮いたら魔女、沈んだら人間(沈んだら死ぬ)。
俺たちのお気に入りの患者
これみよがしの忍耐
この歌詞は精神病院の看守の視点だろう。邪悪で胸糞悪くなる場面だ。
カートは世間、メディア、権威主義は現代の魔女狩りと同じ構図だ、と歌っている。
またしても同じことの繰り返しになってしまいそうだとため息をついているのは、「結局、お偉いさんの思考はいつでも一緒」で金を支払ってもらえばすぐにもおまえは立ち去るとわかれば本当にほっとするよと考えているからだろう。
だけど、カートはカルマを信じている。
彼女は炎のごとく舞い戻ってきて
嘘つきをみんな焼き殺し
なきがらを灰で
大地を覆い尽してしまうだろう
そう歌って、フランシス・ファーマーが復讐を果たす世界を描く。
悲しみに浸るあの心地よさが俺は懐かしいよ
サビは悲しく、誌的な一節(フランシスだったらアルコール? カートだったらドラッグ? 成功の代償? 逃避として?)。
権威や世間からの暴力はセンシティブな人間には耐え難い。どうやったってその他大勢に加担していたほうが楽だし強い。この曲は『イン・ユーテロ』の中で最も勇気のある曲だと思う。
それにしても「嘘つきをみんな焼き殺し」ってのが凄いね。

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