三島由紀夫/午後の曳航 ブックレビュー

レビュー/雑記
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青春の死 センセーショナルな三島作品

『午後の曳航』は、センセーショナルな作品だ。

第一部夏では、惹かれ合う男女二人とその別れ、海に焦がれる男と少年が描かれ、第二部冬では、憧れだった存在を失った失望が描かれる。

海の男竜二は、船乗りとしての生き方に「光栄」を見ていたけど、海を捨て一人の女を愛することに決める。多感な少年である登にとって「英雄」であった竜二のその決断は、許しがたいことだった。

登場人物は、船を愛する多感な13歳の少年、黒田登と、その母房子

房子は横浜元町にある高級ブティック「レックス」のオーナーで、5年前に夫を亡くしている。

二等航海士の塚崎竜二は、房子の恋人で登が憧れる存在。

不良グループのリーダー「首領」は頭が良く、残忍な性質をもつ。

第一部 夏

母の房子と横浜山手の家に暮らす登は、あるとき抽斗を抜き取ったところに穴があることを発見する。この穴からは母の寝室がよく見え、登は度々母の姿を覗き見している。ある夜、登は覗き穴から母と竜二が服を脱いでいく姿を目撃し、「奇跡の瞬間に立ち会った」と感じる。

翌日、見慣れない部屋で目を覚ました竜二は、二十歳の頃の自分は「光栄」を渇望していたということを思い出す。

『光栄を! 光栄を! 光栄を! 俺はそいつにだけふさわしく生まれついている』

『俺には何か、特別の運命がそなわっている筈だ。きらきらした、別誂えの、そこらの並の男には決して許されないような運命が』

ストイックな船乗りだった竜二は、房子と一夜をともにしたことで、船乗りとして歩んできたこれまでの人生と、状況が一変したことに驚き、戸惑ってしまう。

同じ日に房子も「夫を亡くしてから私はあんなに男の人と長い会話をしたことがない」と感じる。

当然の帰結として二人は恋仲になる。

一方登は、不良グループの仲間に、竜二のことを「そいつはすばらしい奴なんだ」と話してきかせる。

リーダーの少年、首領は「それが君の英雄なのかい」と訊ね、登は「あいつはきっとそのうち何かすばらしいことをやるよ」と答える。

それを聞いた首領は嘲笑し、「そんな男は何もやらないんだよ。君のおふくろの財産を狙うのがオチだろ」と冷たく言い放つ。

首領は「この世界は虚しいものだ」という考えを持ったニヒリストで、この考えを仲間内で啓蒙していた。

その日の午後、グループは首領の家で猫を殺し解剖することになる。

「三号(登のこと)、お前がやれよ」

猫の殺害を命じられた登は、首領に命じられた通り猫を殺す。

その帰り道で、偶然竜二と会った登は、へらへらした態度の竜二を見て『この男は僕に好かれたいと思っている』と感じて幻滅してしまう。

登にとって海の英雄であった竜二に対して気持ちが冷めていくのを感じる。

第二部 冬

冬になって、竜二が海から帰ってくる。

竜二は迎えに来ていた房子と抱き合い、再会を喜ぶ。

体調を崩していた登は、竜二がお土産を持って部屋に入ってきても、仏頂面をしたままだった。

新年がやって来て、竜二は房子にプロポーズをする。

「結婚してくれないか」

素朴な言葉に房子の心は打たれ、結婚することを承諾するが、またすぐ船に乗るのなら結婚するのは難しいと答える。

それを聞いた竜二は、答えを濁すが、心の中では船乗り稼業はもう廃止だと決意していた。

やがて、竜二は船乗りをやめ、房子の指導のもと、ブティックの経営を手伝うようになる。

この転身に幻滅した登が仲間に愚痴ると、首領は「君はそいつをもう一度英雄にしてやりたいのか」と言う。

「そいつをもう一度英雄にしてやる方法が一つだけある」

ある日、登が学校から帰ると、母と竜二が余所行きの服装をして待っていた。

母に「これから映画に連れていってあげる」と言われ、前から観たいと思っていた映画だったから登は喜ぶ。

映画が終わると、二人は登を座席がある本式の料理屋に連れて行き、母から「塚崎さんがこれからはパパになるのよ」と告げられる。

その夜、登は抽斗の隙間から寝室を覗き見する。

いつもならバレない悪戯が、この日初めてバレてしまう。房子は激怒し、登を泣きながら叱責する。

「もう私じゃ手に負えないわ」

そこに竜二が現れ、登を諭すように叱責する。

その優しい叱責を受けて登は『この男がこんなことを言うのか。かつてはあんなにすばらしかった、光り輝いていたこの男は』と思い、親愛がはっきりと軽蔑に変わってしまう。

後日、登は首領に竜二のことを相談に行く。

首領は「やつを処刑しよう」と宣言する。

アジトに竜二を連れていって、眠らせた後、その体を解剖する。

処刑の内容を聞いた仲間はビビッてしまう。だけど首領は、少年法を盾に、殺人を犯してもどうってことないと仲間を説き伏せてしまう。

それは穏やかな日差しの午後だった。

登は竜二に「僕たちの乾ドックに来てみんなに海の話を聞かせてやってほしい」とお願いし、竜二は息子になった登に心を開いてもらうチャンスとばかりに快諾する。

はしゃぐ少年たちは、竜二をは「こっちこっち」と連れていく。小柄な少年たちが大人を引いていく様は、六艘のタグ・ボートが、一隻の貨物船を曳航している具合だ、と竜二は思う。

市電に乗り、山を登り、やがて目的地に到着すると、竜二は「乾ドックってどこだい?」と少年たちに訊ねる。首領は答える。

「ここが僕たちの乾ドック。山の上の乾ドック。ここでイカれた船を直したり、一度バラバラにして造り直したりするんだ」

「ふうん。こんなところまで船を曳き上げるのは大変だな」

「簡単だよ。わけないよ」

こうしてアジトに連れてくるのに成功した少年たちは、竜二に船や海についてを語らせ、頃合いを見て睡眠薬入りの紅茶を取り出す。

紅茶を渡したのは登だった。

竜二はその紅茶を一息に飲みこむ。そして思う。

飲んでから、ひどく苦かったような気がした。誰も知るように、栄光の味は苦い。

栄光の味は苦い

「ここが僕たちの乾ドック。山の上の乾ドック。ここでイカれた船を直したり、一度バラバラにして造り直したりするんだ」

『午後の曳航』で描かれる曳いた船というのが竜二のことだと知って、ゾッとする瞬間だ。

この作品からは、救いのようなものを感じることができないかもしれないけれど、栄光を得るためには自分の美、信念を曲げてはならない。さもなければ残されたものは死だ、という三島由紀夫の美に対する芸術観が表れているようにも感じられる。

この作品の第一部「夏」は「海」に、第二部の「冬」は「陸」に置き換えてもいいという評があるみたい(戦前・戦中と戦後にも)。それ以外にもこの小説にはさまざまな対比が描かれている。大人と子ども、父と子、行く男と待つ女、純粋さと残虐性。

中でも存在感を放っているのが、不良グループのリーダーである首領だ。家柄が良く、頭が切れ、残虐性を発揮することに微塵も躊躇いがないこの少年は、その後日本で起きる悲惨な少年犯罪を予感させる存在として際立っている(どこか子どもっぽいところがある竜二とは対極)。

登が、どこか宙ぶらりんな存在に描かれているのが面白い。母への愛と嫌悪、竜二への憧れと軽蔑、手放しでのめり込むことができない首領への忠誠。

事実だけを見れば、首領に命じられるままに猫を殺し、最後のシーンではかつての英雄をアジトに引きこむ役割を担うことになる。

つまり、大人を拒否する子どもの側に立ったということになるんだけど、それがどこまで自分の意思であるのかがわからないところが、この小説のもつリアリティなんだと思う。

純粋な悪としての存在、首領。海の英雄である竜二。二つの引力に引っ張られる少年の未成熟な心。歌劇のタイトルが『裏切られた海』とつけられたのも、なるほどなと感じる。

『午後の曳航』はさまざまな解釈ができる作品だ。ある人にとっては不快な感情を引き出すかもしれないし、ある人にとっては固有の美を見出すかもしれない。当然、小説に答えはない。だからこの作品は何度も読まれ、今も妖しい光を放ち続けている。

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