幻想の堕胎薬ペニーロイヤル・ティー
“ペニーロイヤル・ティー”が書かれたのは1990年。カート・コバーンとデイヴ・グロールがオリンピアで一緒に暮らしていたときだった。
このときはピンとこなかったのか『ネヴァーマインド』への収録は見送られている。なんでだろうね? テーマが合わなかったのか、なんなのか。たしかに曲のスタイルはニルヴァーナスタイルの静と動、ヴァースコーラスヴァース式だから『ネヴァーマインド』に入っていても違和感がない気がするけれど、曲の持つ雰囲気、パワーを見ると『イン・ユーテロ』でしかありえないような気もしてくる。
「ペニーロイヤル」というのはミントなんだけど、中絶が禁止されていた時代や地域では堕胎薬として用いられていたことがあったらしい。お茶に含まれる化学要素が子宮収縮を引き起こす可能性があるけれど、それは致死量に近い分量を摂取した時にしか起こりえない、というカート好みの矛盾がそこにはあった(水に沈めて浮かんだら魔女、沈んだら《死》人間という矛盾のように)。
オリンピア・シーン
オリンピアという街で、キャリアを開花させていったカート・コバーンはここで重要な人物に出会う。
ビート・ハプニングのメンバーでKレコードを主催するカルヴィン・ジョンソンと、カートと恋人になるビキニ・キルのトビ・ヴェイルだ。
くそ田舎から出てきたパンク少年カートは、オリンピアの知的で洗練された「インディーの流儀」に触れて、めちゃくちゃ影響を受ける。
カルヴィン・ジョンソンはオリンピアのインディー・キングで、彼のポリシーや発言力は掟のように大きかった。
例えば「メジャーのバンドを聴くことはダサい、ロック的なふるまいはダサい、誰も知らないようなマニアックなバンドをフェイバリットに挙げるほうがクール」こんな感じ。
カートは日記の中でこう書いている。
「みんなが思っているより知的でかっこいい人間であることを証明しようとするあまり、俺はなすことすべて意識しすぎて、神経質になってしまっている」
カート・コバーン チャールズ・R・クロス著『ヘヴィアー・ザン・ヘヴン』
なんかこういうのわかりますよね。笑 ミスチル好きって言えない、みたいな。
カートは、キャルヴィンの気を引こうと左肘の下あたりに「K」というタトゥーを入れるくらい惚れ込んでいた。そして、田舎アバディーン時代に愛好していた音楽を非難していくようになっていく。
恋人のトビ・ヴェイルはフェミニストで、ファンジンを主催し(ライオット・ガールという造語を作りだした)、音楽やカルチャーに詳しく、自身のバンド、ビキニ・キルではドラムを演奏し、ギターも弾けて、カートはどうしてもこの年下のアーティストと交際したい、と思い彼女の思考やセンスに近づいていくことになる。
以下、カートの日記。
(1)楽器の演奏方法を習おうとしないこと。
(2)ダンス中は(他のいかなるときも)女性に痛い思いをさせないこと。
カート・コバーン チャールズ・R・クロス著『ヘヴィアー・ザン・ヘヴン』
世代の代弁者、グランジのカリスマ カート・コバーンにもこういう時期があったっていうことだね。ほほえましい笑
このときのニルヴァーナはサブ・ポップでレコードデビューしていたけど、話にならないぐらい貧乏で、話題にもされず、野心的なカートは、コロムビア・レコードとワーナー・ブラザーズにデモテープを送ることにした。
カートとクリス・ノヴォゼリックはやっぱりメジャー・デビューがしたかった。
この考えは恋人のトビからしたら禁忌中の禁忌で、メジャーとの契約は「あり得ない」忌々しいことだ、と非難する。カートはちょっとだけ軌道修正して、「メジャーと契約して、前金をもらったら解散して、Kレコードからレコードを出すつもりだ」と苦しい妄想じみたことを答える。
カートは、田舎のメタルマッチョ勢に逃れてオリンピアに来たんだけど、知的で先進的なシーンに属するにはロックすぎたということなのかな。
その後はご存じの通り、禁忌であるメジャーデビューを果たし、大ブレーク。オリンピアシーンとの関係は悪化。ドラッグにものめり込んでいくことになる。
その後、カートは未投函の手紙でトビに向けてこう書いている。
去年はおよそ500万ドルを稼いだが、あのちっぽけなエリート主義者、キャルヴィン・ジョンソンには一銭もやらない。絶対に! 俺のアイドルだったウィリアム・バロウズと共作した。あれほど嬉しかったことはない。1年ほどLAに住んで、帰って来たら。親友のうち3人が完全なヘロイン中毒になっていた。その誕生を目撃したライオット・ガールのムーヴメントも、今では大嫌いだ。というのも、初のライオット・ガール向けのファンジンを作った女の子とファックしたら、今度は彼女が俺とファックしたことを利用しているから。大げさでないにしろ、こちらが利用されたと感じるほどに。でも平気さ。俺は数年前から白人企業家に搾取される道を選んだから。楽しいよ。いい気持ちだよ。くそ貧乏たらしいインディーのファシスト政権には、1ドルたりとも寄付しない。飢え死にすればいいさ。アナログ盤でも食べてればいい。クズまで全部、食べるがいい。どの道もう、俺ほどカルト的人気があれば、才能に乏しい、ありきたりな天才的からはほど遠いカス作品を売れば食っていけるんだ。
カート・コバーン チャールズ・R・クロス著『ヘヴィアー・ザン・ヘヴン』
辛辣! ルサンチマン爆発というか。。 他人への嫌悪と同時に、その嫌悪が自分にも向けられているところがカートらしいな、と思う。
ちょっと長くなったけれど、“ペニーロイヤル・ティー“の話に戻ります。
オリンピアは知的で先進的な土壌があって、ボヘミアン的な人種が一定数いたらしい。そんな彼らは、薬用植物主義、民間療法主義的な思想があって、そんなロハスで知的な連中をカートは軽蔑していた、と。
それじゃ、どんな曲と歌詞なのかみていこう。
ギターソロのシーン、カートとパット・スメアの躍動感が凄い!
ペニーロイヤル・ティー 和訳
みんなと一緒に時間を持て余しているこの俺
俺はひどい姿勢をしているんだ
腰を落ち着けペニーロイヤル・ティーを飲む
俺の中から生命を絞り出すんだ
座ってペニーロイヤル・ティーを飲む
俺は貧血症の王族
あの世でレナード・コーエンを聴かせておくれ
そうすりゃ俺は永遠に嘆いていられる
嘘つきで盗人のこの俺
腰を落ち着けペニーロイヤル・ティーを一啜り
俺は貧血症の王族
あったかいミルクに下剤
それにチェリー味の胃薬なしではいられないこの俺
ニルヴァーナ 『イン・ユーテロ』”ペニーロイヤル・ティー” 対訳:中川五郎
俺の中から生命を絞り出すんだ
腰を落ち着けペニーロイヤル・ティーを飲む
俺の中から生命を絞り出すんだ
効かない堕胎ティーを飲んで、生命を絞り出す、と歌うカート。まるで自分自身の存在を中絶させたいと歌っているようだ。
オリンピア時代のうまくいかないキャリア、うまくいかないコミュニケーション、逃れられない貧困、そういったものを一掃したいという願望のように聴こえる。
あったかいミルクに下剤
『イン・ユーテロ』のテーマらしく排泄に関する言及。これも体の中から排除してしまいたいということなのかな。
それにチェリー味の胃薬なしではいられないこの俺
これは実生活の反映だと思う。カートは慢性的な胃痛をかかえていて胃薬を服用していたから。
あの世でレナード・コーエンを聴かせておくれ
そうすりゃ俺は永遠に嘆いていられる
致死量のペニーロイヤル・ティーを飲んだあと、カートは死後の世界でレナード・コーエンが聴きたいと願う。レナード・コーエンは禅に傾倒した厭世的な詩人、シンガー。
人の顔色をうかがって生きるよりも、内省の中で自分の世界を守る、というようなメッセージに感じる。
もしこの曲が『ネヴァーマインド』期に発表されていたら、ボヘミアン・ヒッピーへの皮肉(致死量のハーブで自分自身が死んじゃってるじゃん)の側面が大きかったかもしれないけど、『イン・ユーテロ』の中に収められた“ペニーロイヤル・ティー”を聴くと、もっとパーソナルで深刻な事柄に聴こえてくる。
だって、実質的なラストシングルがこの‟ペニーロイヤル・ティー”でそのカップリングが‟I Hate Myself and Want to Die”(死にたいぐらい自分が嫌いだ)なんだもの。

コメント