ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらしさが色濃く反映された曲
“黒い天使の死の歌”はヴェルヴェッツの最初期からあった曲で、ルー・リードの詩とジョン・ケイルの音楽的感性が幸福な形で結びついている。文学的で、実験的で、これぞヴェルヴェット・アンダーグラウンド! という曲だ。
グリニッジ・ヴィレッジにあるカフェ・ビザーレを拠点としてライブを行っていたヴェルヴェッツ。ビザーレのマネージャーはこの曲が嫌いだった。マネージャーは「黒い天使の死の歌は強烈すぎる、今後、その曲を演奏したらクビだ」とバンドに宣言する。
クリスマスの日さえ、ビザーレで演奏させることを強要されていたヴェルヴェッツは、すでにこのクラブにうんざりしていたから「ちょうどいいや」ということで、”黒い天使の死の歌”を最高のヴァージョンで演奏して、望み通りクビになる。
世に言う(言わない)「黒い天使、ビザーレ解雇事件」である。
実はこの解雇の2日前にバンドはアンディ・ウォーホルとビザーレで会っていて、なんとなく一緒にやる雰囲気になっていたんだろうから、解雇なんてバンドにとっては問題じゃなく、本当にちょうどよかったのかもしれない。
この曲、初めて聴いたとき、ぶっとんだ。そして歌詞の難解さにもぶっとんだ。ぼくはいい意味でぶっとんだけど、ビザーレのマネージャーは悪い意味でぶっとんだんだね、きっと。
だけど、この曲を初見で、「ふーん、普通じゃん」て思う人はいないと思うのね。え? これってロックなの? 歌とかないし……って感じると思う。
黒い天使の死の歌 和訳
運命の無数の選択が
皿の上に並べられた
失うべきものを彼に選ばせるために
黒天使が泣いた
眠りにすっぽり覆われた幽霊の血ぬられた国ではなく
選びに行った
東方の古都の街路でもない
放浪者の兄は夜通し歩いた
髪が
顔に
G・Tのナイフで裂かれた長い長い傷
ラリー・マンのおしゃべりが夜明けまで続いた
彼の頭蓋骨にさよならを言うまで
かん高い叫び
まぶしく輝き 時のせいで赤い線が刻まれ赤く縁どられ
アイス・スケートをはいた精神の選択に浸され
鐘から魂をそぎ落とす
切れた口血を流すカミソリの刃痛みのせいで忘れろ
殺菌剤が残すクー・グッドバイ
だから君は飛ぶ
選びに行った東の心地良い茶色の雪へ
もう一度選べ
いけにえの残骸が忘れづらくさせる
君がどこから来たのかを
出てくる目ヤニで痛みを知る
もう一度選べ
神聖冒瀆世捨て人ロバーマンのリフレイン
馬の喪失のために
ラットの尻尾のほこらに行った
もう一度来いよ 出発を選べ
エピィファニーの恐怖が君を辱めたのなら
髪を短くしてウェーブをつけろ
居ようとする
側を選べ
もしその石がかすめて教訓を二つに分けたら
ネズミの跡の色をおけすべては緑だその間を試せ
もし選ぶなら
もし選ぶなら
負けるようにしろ
残骸の喪失のために来ること始まること
ゲームを始めろ
アイ・チ・チ
チ・チ・アイ
チ・チ・チ
カ・タ・コ
選べ
失え
行け
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド ”黒い天使の死の歌” 対訳:AKIYAMA SISTERS INC
もし選ぶなら負けるようにしろ
不気味な曲だ。とくに「キコキコ」鳴らされるヴィオラの不穏な音。天井を歩く悪魔の足音のような、とにかく普通じゃない。ルー・リードのメロディレスの言葉の応酬も不気味だ。
この曲は多分、メロディを歌わないことでたくさんの言葉を曲に「入れ」れると考えて作られたんじゃないかな。ロックやポップはメロディを歌うから言葉も(ある程度)限定的になってしまう。その形式を壊そうとしたんじゃないかな、と思った。
もともと文学少年だったルー・リードは、カラマーゾフの兄弟のロック版を作りたいって考えていたぐらいだから、ロックの歌詞じゃきついな、と思ったのかも。だからメロディーを取っ払って、ポエトリー・リーディング的なスタイルにしたんじゃないかな。パートナーのジョン・ケイルはもともとロック畑じゃないし、なんなら実験音楽畑の人間だしね。
さて、この曲のキーになるのは「選ぶ」という言葉だろう。何度も出てくるので以下にすべて書き出してみた。
失うべきものを彼に選ばせるために
眠りにすっぽり覆われた幽霊の血ぬられた国ではなく選びに行った
選びに行った東の心地良い茶色の雪へ
もう一度選べ
もう一度選べ
もう一度来いよ 出発を選べ
居ようとする 側を選べ
もし選ぶなら 負けるようにしろ
選べ 失え 行け
冒頭と結末にヒントがありそうだ。
冒頭では、
運命の無数の選択が皿の上に並べられた/失うべきものを彼に選ばせるために
と、歌われる。いくつもある選択肢の中かあら「失う」ほうを選べと言う。
そして物語の後半
もし選ぶなら 負けるようにしろ
と歌う。
なんだか、バンドのステートメントを表しているような気がしてならない。そして、彼らの後に続く「パンク」と呼ばれた人たちも、この旗を掲げているように思える。言わば規範のようなものかも。
さすが、自分のバンドに「アンダーグラウンド」とつける人たちだ。もし選ぶなら勝つように、と歌ったらそれはヴェルヴェット・アンダーグラウンドではないだろう。
ただ、この”黒い天使の死の歌” 失うばかりではなく、ところどころ再生を示唆しているような箇所もあって、そこがまたいい。例えば、もう一度選べという言葉が2回出てきたり、もう一度来いよ 出発を選べという歌詞がそうだ。選択は一度だけじゃない、そして最後の歌詞、選べ 失え 行け この順番なんだ。失うものを選択する――そして再生する。
“黒い天使の死の歌”は、哀しさはまったく感じない。最後の「行け(Choose to Go)」が大きな肯定を記しているように感じるから。
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