生々しさを追求した傑作アルバム『イン・ユーテロ』
『アイ・ヘイト・マイセルフ・アイ・ウォント・トゥ・ダイ』、『ヴァース・コーラス・ヴァース』……、『イン・ユーテロ』と名前がつく前にアルバムの候補となったタイトルである。
カート・コバーンはうんざりしていた。
前作『ネヴァーマインド』のメガヒットによるバンドを取り巻く状況の変化、コートニー・ラブとの結婚に対する報道、まとわりつくドラッグ問題。
バンドの出した回答は、誤解されたバンド像の破壊、自分たちの指針となる激しい怒りの一撃だった。
ニルヴァーナはパンクバンドとしての生々しさ、興奮、皮肉、ユーモア、怒り、愛、憎悪、誕生、死、それらをこのアルバムにつめ込んだ。もし魂というものがあるのならこのアルバムにはそれが入っている。
イン・ユーテロ
「子宮の中」と題されたこのアルバムのジャケットは人体模型に天使の羽根の組み合わせ、裏ジャケットは蘭の花とへその緒で飾った子宮と胎児の医療用モデルだ。
カート・コバーンの永遠のオブセッションといえば「人体」「病気」「胎児」「生殖」など。その生々しいイメージとディストーションギターの組み合わせがオリジナルだった。
同じモチーフをロックに持ち込んだらデスメタルやゴス風になってしまいそうだけれど、カート・コバーンのボロボロのデニムにカーディガン、洗わない髪の毛、反マッチョイズムというイメージも相まって、グロテスクでありながらキッチュ、破壊的でありながら神秘的、ポップでありながらオルタナティブと、一元的なイメージに留まらない存在感を生み出している。
『イン・ユーテロ』のオープニング・ナンバー”サーヴ・ザ・サーヴァンツ”
サーヴァント(従者)に仕えよ、というタイトルがつけられた曲は、ロック・クラシックのように比較的ゆったりなテンポと、エネルギーに溢れた破裂音で幕を開ける。
サーヴ・ザ・サーヴァンツ 和訳
十代の苦悩とやらは効果満点だったようだぜ
今じゃ俺は年老いて退屈しきっている
自称の審査員たちが審査している
自分たちが売りつけた以上のものを
あの女が沈むことなく水に浮かぶのなら
俺たちが思ったように一人の魔女
また新たな頭金
サレムの一画での
従者に従え…ああ 何てことだ
あの語り草になっている離婚なんて面白くも何ともない
骨が育つと俺は痛くてたまらなかった
まったくとんでもない痛さだった
父親(ファーザー)がほしくて
必死に頑張ってみたけど
かわりにとんでもない神(ダッド)を
背負い込んでしまっただけ
これだけはおまえにわかってほしいんだ
俺はもうおまえを憎んじゃいないってね
これまで一度として考えてみなかったことを
口に出そうとしてみても出てくるわけがないよ
召し使いに召し使えろ…ああ とんでもないよ
あの語り草になっている離婚なんて
面白くもなんともない
ニルヴァーナ 『イン・ユーテロ』”サーヴ・ザ・サーヴァンツ” 対訳:中川五郎
十代の苦悩は精算された
この曲でカート・コバーンは「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の第二弾はない、と宣言して、「自称審査員」たちを攻撃する。
十代の苦悩がもたらした恩恵(ティーン・スピリットのメガヒット)は「老い」と「退屈」だ、と。
そして、コートニー・ラブに対するメディアの攻撃は「現代の魔女狩り」だと歌う。
父親(ファーザー)がほしくて
必死に頑張ってみたけど
かわりにとんでもない神(ダッド)を
背負い込んでしまっただけ
このフレーズがこの曲の一番言いたかったことだろう。
俺は父親を求めていたけれど手に入れたのはただのダディ(パパ)だった、と。自分を無条件で擁護してくれる存在がほしかった。だけどそれは得られなかった。
だけど、それは過ぎ去ったことだ。次のラインでは
これだけはわかってほしい、もうアンタのことは憎んじゃいないんだ
と歌う。
なぜなら「十代の魂」は精算されたから。
そして、リスナーやメディアに対して離婚がカート・コバーンに与えた影響がニルヴァーナを作った、「世代の代弁者」「病める魂」というような、神格化、偶像化はよしてくれと釘を刺す(ニルヴァーナのメンバーの両親は全員離婚している、それをバンドのアイデンティティだとは思わないでくれ、と)。
あの語り草になっている離婚なんて面白くも何ともない
このオープニング・ナンバーはあけすけにパーソナルな心情を吐露しているように感じる。
1曲目の1行目の歌詞で『ネヴァーマインド』の続編はない、と歌い『イン・ユーテロ』の世界を提示していく。
それは『ブリーチ』と『ネヴァーマインド』で培った攻撃性とダイナミックなポップ・ロックを越えた未踏の世界観だった。
最終曲『オール・アポロジーズ』の最後の歌詞が
俺たちはみんな何ものにも勝るかけがえのない存在
というのが素直に響く。
「涅槃」と名乗るバンドの最終曲らしい。混乱と怒り――うんざりした現実を過ぎ去った風景を描いているように思える。
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