仕事について考えた
考えたくなくても考えなければならないのが仕事のことだ。
無職になって一か月が過ぎた。届くのは、次のようなメールばかり。
「この度は弊社求人にご応募いただきありがとうございました。頂戴いたしました書類をもとに検討させていただいた結果、誠に残念ではございますが、今回の求人についてはご希望に添いかねる結果となりました。多数の求人の中から関心をお寄せいただいたにもかかわらず、誠に申し訳ございません。末筆になりますが、今後のご活躍ならびにご成功をお祈り申し上げます」
「今回応募いただいたお仕事につきましては、社内にて総合的に検討させていただいた結果、残念ながらご案内に至りませんでした。せっかくご応募いただきましたのに申し訳ございません」
「エントリーいただいておりましたお仕事について、今回派遣先が希望する条件により近い方がいらっしゃいましたので、本件へのエントリーに関しましては大変申し訳ございませんが見送らせて頂きたく存じます。エントリー頂きながらご希望に添えず大変申し訳ございません。また、ご希望に近い求人がありましたら、改めてご連絡させていただきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします」
なるほど。「検討」はされているらしい。だが、採用までは至らない。まあ、しょうがない。次、次。タウンワーク、ハローワーク、インディード、はたらこネット――あらゆる求人情報をチェックして、ポチポチと応募を重ねる。
仕事内容を確認し、給与を見る。勤務地と交通費の有無をチェックし、会社概要を調べて、どの年代の人が多く働いているかも確認する。この作業が、まあまあ地獄だ。時間はかかるし、たいてい徒労に終わる。
……ていうか、釣り求人やめません?
「電話ナシ♪ 経験不問♪」なんてうたっておきながら、案内されるのはいつもコールセンター。しかも、「この求人は埋まってしまってまして……」と別の案件を紹介されるが、元の求人はなぜかまだ掲載され続けている(そしてまた、コールセンター)。どれだけ俺に電話させたいんだよ!
福岡に移住してから、二つの仕事を経験した。どちらもオフィスワークだったが、どちらもブラックだった。ひとつは監獄、もうひとつは理不尽。責任は重く、賃金は安い。
東京でも同じ派遣会社に所属していた僕が感じたのは、福岡では仕事に対する姿勢がエモーショナルだということ。派遣であろうがアルバイトであろうが、「働かせてもらっている」という謙虚さが漂っている。正社員に対して、どこか“敬意”というか“遠慮”があるような気がする。 一方、東京ではその逆だ。正社員が派遣やバイトに頭を下げ、「働いていただいている」という態度で接してくることが多い。
この違いは、たぶん求人の数の差なのだろう。選択肢が多ければ、「次」がある。だから、別にその仕事に固執する必要がない。けれど、これだけ不採用が続くと、雇ってくれてありがとうございますぅぅぅ。と思ってしまうのもわかる気がする。実際、僕はこんなに不採用になった経験がないし、今採用の連絡が来たら「ありがとうございますぅぅぅ」とシャウトして、赤飯を炊いてしまうかもしれない。
怖い。エモいのはいやだ。感情は抜きにして、雇用主と働き手の関係は対等であってもらいたい。感謝と敬意はお互いさま、という関係であってほしい。
そんなことを考えながら、メールを開く。「あなたへのおすすめ求人!」とある。内容を見る。
「【メイン業務】*電話応対:お店の不備に関するクレーム対応(例:店員の態度が悪い・商品に異物混入していた等)」
メールを閉じて考える。俺は、クレーム電話に対応するために福岡に来たわけじゃない、と。それから、冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。一本目を一気にあおり、二本目をテーブルに置く。それから、パソコンの前に座り直し、「福岡市 求人」と入力。エンターボタンを強く叩く。頭に町田康の『へらへら坊ちゃん』がチラつく。ブコウスキーの表紙が目に入る。ローリング・ストーンズが流れ出す。僕は立ち上がり、キッチンの前で軽く踊る。

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