時の流れと想いの彼方にある部屋で
ここへ初めてきたのは二十年以上前のことだったと思う。
あの頃のわたしは疲れ果てていたし、わたしの母も既に十分に老いていた。わたしはお酒が飲めなかったので夕食時には母だけが、御猪口一杯の日本酒を三杯飲んだ。あれはきっと「東一」という銘柄であったと記憶している。母とふたりで旅行をすると、母娘の慣例ともいうべき小さな諍いや口論は必ず起こる。たぶん、この時も私たち母娘はいっぱしの女同士がするように互いの持つ小さな違和感と齟齬を牽制し合いながら、それを多少は面白がりつつ夜の食事をとっていた。いつもは飲まない日本酒を口にして、母はとろんと上機嫌だ。
おかげで彼女は日頃の心情をいつもよりもずっとストレートに吐露していた。しかし不思議とそうした彼女の物言いに対して、私は腹が立つどころかそんな母を可愛いとさえ思ってしまい、ちいさく微笑んでいたことを思い出す。
そして今、目の前にいるのはわたしの娘。
あの頃、わたしをほとほと疲れさせてばかりいた自由気ままなわんぱく娘は、当時のわたしと同じように疲れ果てている様子に見えた。そしてまた、私自身も、既に十分すぎるほどに歳老いている。
しかし二十数年前とはほんの少しだけ違う風景を見ていることも事実であった。この旅館自体も、この部屋から見える景色も、あの頃とはずいぶん違う。そして若い頃はお酒なんて一滴も飲めなかった筈のわたしが、御猪口一杯の日本酒に舌鼓をうち、心華やか夢現と饒舌に喋っているのだから時の流れとは面白い。
こんなわたしを娘は一体どんな目で見ているのだろうか?
ふと、昔の自分を思い出し、そんなことを考えてみた。考えてはみたものの、娘とわたしは全く別の人間なのだという当たり前のことに直ぐに気づいて彼女の心を見透かすことなど到底できないと諦めた。諦めてみると、不意に彼女がとても素晴らしい立派な女性であることを今更ながら初めて知ったような気になって、思わず眼前の景色がぐわりと揺れた。
もちろんこれまでだって彼女のことは何より誇りに思っていたけれど、どうしようもないこの感動が引き起こされたのは、その瞬間と空間が特別なものであったということと美味しいお酒を飲んでいたせいだということを、照れ隠しの言い訳として付け加えておこうと思う。酒が入ったちいさな器をじっと眺めて思い浮かべた遥かな歴史を飲み込むように、深く深く息を吸って吐き出した。しかし、こうして呼び起こされた想いそのものが、何物にも代えがたい私自身の生きた証なのだと、思い知ってまた泣きそうになる。
潤んだ瞳が恥ずかしく、また、こんな自分の気持ちなどを娘に気づかれたくなくて「この御猪口、かわいいわねぇ。旅館の人に言ったらくれるかしら」と、そんな風に言ったわたしに娘は呆れて「恥ずかしいことしないでよ」と、ため息交じりに肩をがっくり落として答えた。
「だって、記念に欲しいなって思うんだもの。聞くぐらいいいじゃない」少しだけ意地になったわたしをちらりと見遣り、娘は「あはは」と声に出して大きく笑った。そして「いいわよ、私が聞いてみてあげる」と言ってくれたのだった。
「その代わり。この水玉模様の湯のみとお茶っぱ、気に入ったの。下の売店で売ってるのを見かけたから、帰りにお土産で買ってよね」と、満面の笑顔で一言添えることも忘れない。
なるほど。ちゃっかりしているところは、やはり母娘。似ているようだ。
女二人、ふふふと笑い合ったことろで「もう一杯」と上機嫌に手酌した。
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