美しく哀れな曲
『キッドA』のラストを締めくくるのがこの“モーション・ピクチャー・サウンドトラック”だ。
この曲は、レディオヘッドの曲の中でも歴史が古く、ファースト・アルバム『パブロ・ハニー』の時代にはすでに存在していた。『キッドA』バージョンは荘厳なハルモニウムとハープが印象的で、美しい。そして、この曲には無音部分が意図的に用意されていて、聴く人が置き去りにされているような不思議が感触がある。
この曲の主人公はおそらく自殺している(あるいは自殺を試みる)。そして酷いパラノイア状態だ(レディオヘッドを語る上で散々出てくるワードをぼくも使ってしまった…)。
モーション・ピクチャー・サウンドトラック、つまりサントラと名付けたこの曲で、レディオヘッドは何を表現しているのだろうか。
モーション・ピクチャー・サウンドトラック 和訳
赤ワインと睡眠薬の力で、
なんとかきみの腕の中へ戻れる
安っぽいセックスと哀れな映画の力で、
自分に見合った場所に辿り着ける
あんたおかしいと思うよ、たぶんね
手紙を送るのはもうやめて、
手紙はいつだって燃やされるんだよ
映画の中とは違うんだ、
映画がくれたものは小さな罪のない嘘ばかり
あんたおかしいと思うよ、たぶんね
来世で会おうよ
レディオヘッド 『キッドA』‟モーション・ピクチャー・サウンドトラック” 対訳:山下えりか
手紙はいつだって燃やされるんだよ
この主人公は現実が耐えられない。
そして生きるにしても、死ぬにしても「自分の意思」というものが希薄だ。
赤ワインと睡眠薬の力で、
なんとかきみの腕の中へ戻れる
安っぽいセックスと哀れな映画の力で、
自分に見合った場所に辿り着ける
現実に適応している人たちに対して「狂ってる」と感じている。だけど、断定はせずに「たぶんね」と続くのがこの人物らしい特徴だ。
あんたおかしいと思うよ、たぶんね
そして、もう一つの声が語る。
手紙はいつだって燃やされるんだよ
映画の中とは違うんだ、
声はこれが「現実だ」と語る。ドラマチックなことなんかない。図書館で偶然同じ本に手を伸ばすこともないし、曲がり角で正面衝突することもない。現実は極めて現実的に進むから、手紙(コミュニケーション)は、いつだって燃やされる(断ち切られる)。
映画(フィクション)がくれたものは小さな罪のない嘘(都合のいい出来事)ばかり
そしてこの人物は、来世で会おうよ(I will see you in the next life)と言ってこの現実を捨てる。
来世(next life)と言っているのが面白い。つまり、この人物は「次」があると思っている。フィルムを止めて、次のフィルムに交換するように。だから、この曲には無音部分があるんだと思う。無音部分、この人物は死んでいる。そして「次」が始まる。だけど「歌」は歌われない。そしてまた完全な「無」音に戻り。この曲は終わる。儚く哀れで美しい、現実をテーマに扱った『キッドA』にふさわしいエンディングだ。
コメント