アーサー
突然、いつの間にか、気づいたらそれはいた。
僕が3歳くらいの頃だったと思う。
白い毛むくじゃらの犬だ。当時は大きな犬のように感じたが、今思えばマルチーズとかの小柄な犬だったように思う。
母親に「アーサーだよ。」と名前を教えられたのを覚えている。多分アーサー王からとったのだろうけど、なぜそんなたいそれた名前にしたのかはわからない。ただ3歳ぐらいの僕は当然アーサー王なんて知らないから(今もどんな人物か説明しろと言われても説明できない。)僕はなんとなく「朝」を思い浮かべた。
アーサーは家の中で飼われていた。彼(彼女だったかもしれないがわからない。)との思い出はそれほど多くない。庭の芝生でじゃれあったことと、夜寝る時には階段の下のスペースに置かれたオリに入れられていたことくらいだ。オリに入ることを彼が嫌がっていることはわかった。だけど、彼がなぜ狭いオリに入れられなければならないのかわからなかったし、できれば出してやりたかったが、僕の力の及ぶところではなかった。
ある日、僕はおぼつかない足取りで家の中を歩きながらサンドウィッチを食べていた。すかさずアーサーは僕の手からそれを奪った。僕は泣いた。食べ物を取られたことが悲しかったわけではなかった。ただ単純に驚いただけだ。
その出来事からほどなくして、突然、いつの間にか、気づいたらアーサーはいなくなっていた。
その時僕はどう思ったのか、よく覚えていない。多分、なぜアーサーがいないのかと母に聞いたと思うけど、母はなんて答えたのかは覚えていない。
アーサーと過ごした時間は長くなかったと思う。1年はないだろう、数か月、もしかしたら数週間かもしれない。だけど、アーサーという犬と過ごした時間があったということを、その後の僕の時間の中で、ふと思い出すことが度々あった。思い出しても、それがどういう意味を持つのかなどこれまで考えることはなかった。
大人になり、母にアーサーはどうしたのかと聞いた。食べ物を取られることを不憫に思い、息子がかわいそうだと考え、余所にあげたのだと聞いた。
そして今、40歳を目前にした今、またアーサーのことを思い出している。アーサーに対し僕は親密な感情を抱いていた。食べ物を取られてもアーサーに対し嫌な感情は特に抱かなかった。ただ驚いただけだった。一緒に遊んだ記憶と感情を思い起こす。そのことを思い出し、ふと思い当たる。
彼は僕にとって初めての友達だったのだ。
当時の僕よりずっと力持ちだったけど、一緒に芝生でじゃれあったアーサー。嫌がりながらオリに入れられていたアーサー。初めての親密な感情を抱いたアーサー。突然いなくなったアーサー。
彼はどこにもらわれたのだろう。どんな人生を歩んだのだろう。どんな死を迎えたのだろう。
僕は涙を流していた。彼を想った。
彼がいたら幼少期がどんなにいいものだったろうと想いを馳せた。
僕には3つ上の兄がいて、兄は僕のことをよく思っていなかった。よく殴られた。顔の形が変わるくらい殴られた。こどもにとっての3年の身体的な差は絶望的といってもいいくらいの差で、おまけに兄は少林寺拳法を習っていた。それでも容赦はなかった。なめ腐っていた。たぶん、「母を取られた」というような、先に生まれた者が抱きがちな思いが原因だったのではないかと思う。
大人になって気づいたが、僕の鼻の骨は少し曲がっている。おそらく兄に殴られてそうなったんだろう。兄はよく「鼻の骨なんて簡単に折れるからな」と言ってにやにやしながら僕を殴った。
両親は兄弟げんかには干渉しない主義だったようで、どんなに兄の理不尽を訴えて、助けを求めても取り合ってはもらえなかった。それで僕は、この家庭で一番偉いのは兄で、両親は兄に何も言えないのだ、自分の安心できる場所はこの家にはないのだと、そう理解した。
小学生の時、僕はクラスメイトにいじめられていた。無視される、物を隠される、自分の自転車だけ倒されている、陰で嫌なあだ名をつけられる、といった陰湿ないじめだった。殴られるのには慣れていたが、そういういじめを受けるのはつらかった。孤独だった。孤独や孤立は人を弱らせる。誰がやっているのかわからないようないじめだったから、クラスの誰にも話せなかった。
家に帰っては泣いた。一人で泣いた。両親は自分の味方ではないと理解していたから、両親にも話さなかった。話す気にもなれなかった。
また、小学3年生のころ、両親は不仲だった。夜になると怒鳴りあいの喧嘩を毎晩のようにしていた。学校と家で世界が完結するこどもにとって、両親が怒鳴りあう声を毎晩聞くのは世界の終わりのようだった。僕は自分の部屋で一人でただ泣いた。ただ喧嘩をやめてほしかった。
ある日曜日、日中から両親が喧嘩を始めた。いつもより激しい喧嘩で、怒鳴りあうだけではなく、父が母を壁に押しつけ、頬を平手打ちしていた。母は何かを父に向かい大声で叫んでいた。母の髪は乱れていた。僕はただただ悲しくて泣きながら「やめて」と言って、しがみついたが、僕の存在は忘れられているようだった。
いくらかして、突然母が静かになって、僕に向かい、天井のほうを見ながら遠い目で「きれいな鳥がいるよ。一緒に追いかけよう。」と言った。もちろん家の中だ。そんな鳥は探すまでもなくいなかった。幼いながらもただ事ではない母の様子にこれはまずいと思った。一緒にきれいな鳥を追いかけに行ったら、もう今の世界には帰れなくなる。そんな感覚があった。それもいいかと思う程に僕も混乱していたが、それは思いとどまった。
父もただ事じゃないと思ったのだろう。二人は離れ、喧嘩は一時中断となった。僕は僕で何が起きているかわからなくて、悲しくて、混乱して、2階の自分の部屋に行き、ただただ泣いた。
泣くのに落ち着いたころ、母の様子が気になって、1階に降りた。母は台所にいた。台所のシンクにもたれかかりながら座っていた。右手には包丁を持っていた。その包丁で着ていた白いシャツごと自分の身体を傷つけていた。刺すとか大けがをするような切り方ではなかったが、シャツに滲んだ血が鮮やかでその光景はかなりのショックだった。けど、母を何とかしなくては、という一心で母の手から包丁をそっと引き離し、母を寝室に連れて行った。母はある程度落ち着いた様子だったが、放っておくと自殺でもするんじゃないかという考えがよぎった。だから母がきちんと眠るのを確認するまでその場を離れなかった。寝た振りをしているかもしれないとも思い、化粧台のムダ毛用の剃刀やら、眉毛を整えるためのハサミなんかを手の届かないところへ隠した。
・・・・・・。
ねえ、アーサー、きみがいたら僕の幼少期はもっとずっといいものになっていたかもしれない。友達のきみが傍にいたなら、どんなによかっただろう。少なくとも僕は一人じゃなかったはずだ。僕の気持ちを伝えられる相手がいて、きみの体温を感じられていたなら、どんなに救われただろう。
でもきみはいなくなった。それは母が僕を思った上でのことだった。誰も悪くない。ただきみがいたならどんなによかっただろう。そう思うだけだ。
きみはどんな人生を過ごしたんだい。きみの新しい飼い主は優しかったかい。寒い思いはしなかったかい。その家にこどもはいたかい。最期は苦しくなかったかい。
僕は彼の死体の胴体に手をあてるところを想像した。その手のひらから彼の記憶を読み取ることを想像した。僕の記憶と彼の記憶を照らし合わせることを想像した。ちょうどテストの答え合わせをするみたいに。
きみが何度も僕の頭をノックしてくれていたんだ。
大丈夫、僕は今幸せを感じている。
コメント