村上春樹/一人称単数 ブックレビュー

歌詞考察
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村上春樹の変化

村上春樹、読んだことはなくてもおそらくほとんどの人が知っている作家だと思う。

ぼく個人の話をすると、初めて村上春樹を読んだのは、中学校2年の頃に『国境の南、太陽の西』と『ノルウェイの森』を読んだのが最初だったはず。

どちらも面白くて、特に『国境の南、太陽の西』は、その後『ねじまき鳥クロニクル』を読むまでは、ぼくの中でけっこう長い間ナンバーワンフェイバリットだった(ちなみにパティ・スミスもねじまき鳥~が好きらしくギターケースに入れていたらしい)。

ぼくが、村上春樹が好きなところは、「都会的」で、「孤独」で、「個人的」で、「ミステリアス」で登場人物たちが何かを失っているところだ。上京したばかりの頃、一人で音楽を流しながら料理をして、ビールを飲みながら「……。」という感じで食事をしていると、村上春樹の登場人物になったような気がしたものだ。

村上春樹は、メディアへの露出も少なく、日本では握手会なんかもしないから、かなりミステリアスな存在だったんだけど、近年では自分のことを少しづつ語るようになっている。その変化は、初期から村上春樹を読んできていた読者なら驚きだと思う。

その変化は、デタッチメント(社会や関わりから離れる)からコミットメント(社会に関わっていく)へ、と言われた地下鉄サリン事件、オウム事件後の仕事からなのか、それとも『走ることについて語るときに僕の語ること』刊行後くらいからか、それとも イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞を受賞した時からか、それとも、自らラジオのディレクターになり村上RADIOを始めた時からか?

一人称単数

今回の作品、短編集『一人称単数』を読んで驚いたのは、著者自身と思われる主人公が何度も登場することだ。エッセイ集ならもちろん「僕」=「村上春樹」だけど、今回のように小説というフィクションの舞台に、自分自身を登場させることにかなりびっくりした。

村上春樹は、今まで自分の家族のことを話すことはほとんどなかった。奥さんや、飼っていた猫のことはよく出てきたと思うんだけど、まるで父親や母親なんか最初からいなかった、というように振舞っていたフシすらある。

それが今回の作品に収められている“ヤクルトスワローズ詩集”では村上春樹の父親の葬儀と、少年時代に父と一緒に野球を観に行った話や、母との現在のエピソードが語られる。

村上春樹は阪神間キッズとして生まれているから、地元ではもちろん関西弁を話すわけなんだけど、ぼくにはそれが不思議に思ってしまう。そんな生身の村上春樹が見られるのも今回の小説の面白さかもしれない。

今回、収められた全8作の中でぼくが一番印象に残ったのは“ウィズ・ザ・ビートルズ”だ。舞台は1965年、村上春樹(と思われる主人公)が初めてガールフレンドが出来たエピソードが語られる。当時のビートルズ旋風と、瑞々しい神戸の夏の情景と、もどかしくも甘い恋の戸惑いがいきいきと描かれている。この話が実話なのかフィクションなのかはわからないけれど、村上作品の読者ならこのガールフレンドの辿る結末を今まで登場したヒロインたちに重ねるかもしれない。

そして『東京奇譚集』に登場した品川猿の続編とでもいうべき“品川猿の告白”も面白い。こういうシュールでユーモアな作品があることで、作品全体のバランスを取っているように思う。ロックのレコードに、バラードやインストの曲が数曲入っているように。

そしてこの作品集の唯一の書きおろし“一人称単数”は鮮やかで都会的な一コマからスタートして恐ろしい場所に辿り着く佳作。読後感はちょっと「うーん怖い」と唸ってしまうような作品。

もう、「やれやれ」というのはやめた

今回の『一人称単数』を読み終えてすぐに『猫を棄てる 父親について語るとき』も読んだんだけど、こちらは、幼い時の村上春樹がお父さんと一緒に猫を棄てにいったエピソードを通して、父親「村上千秋」の人生について語る、というこれまた村上作品の読者をびっくりさせる作品になっている。

祖父・村上弁識がお寺の住職になり、その寺を5人いる息子の誰が継ぐのか(村上千秋氏は次男)、村上千秋の葛藤や、趣味の俳句作りや、戦争体験など、かなり赤裸々に描いている。

村上春樹はこの作品で、父親からなにかを継承しようとしている。そしてそれを記す事に必然性を感じている。

今までの村上春樹は、僕にかまわないでくれ、語るのは作品だ、的なスタイル、というか、立ち位置だと思っていたんだけど、『一人称単数』、『猫を棄てる 父親について語るとき』を読むと、自分自身の存在を残そうという気持ちが強くなってきているように感じる。

いつだったかのインタビューで、残り時間を考えると長編小説はあと2~3作品ぐらいと語っていたと思うんだけど、そういったことも無関係ではないはずだ。

近年の作品は、登場人物のニヒルさは影を潜め、代わりに透明性が増してきているように思う。今後の作品では、ぼくたちのイメージする「やれやれ」的な村上春樹は現れないかもしれない。

それが、いいことなのか悪いことなのかはわからないけど、村上春樹の真骨頂である長編小説がリリースされるのをぼくたちは、ぼくたちの人生の中で、ワインを飲んだり、ビールを飲んだり、デートをしたり、野球を観に行ったりしながら、時にはうんざりすることに「やれやれ」とつぶやきながら待ちましょう。

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