世界最速レビュー#13 金原ひとみ著『腹を空かせた勇者ども』
2023年6月15日ごろ、金原ひとみ新刊『腹を空かせた勇者ども』が発売されます。
世界最速レビューシリーズとは発売日まもなく書店員が、その小説の見所をたっぷりお伝えする連載です。
私ら人生で一番エネルギー要る時期なのに。ハードモードな日常ちょっとえぐすぎん?ーー陽キャ中学生レナレナが、「公然不倫」中の母と共に未来をひらく、知恵と勇気の爽快青春長篇。皆が違って複雑で、困難がデフォルトの今を見つめる、
河出書房新社
幼くタフで、浅はかだけど賢明な、育ち盛りの少女たち。
『蛇にピアス』から20年、『マザーズ』から12年を経て、
著者が辿り着いた新たなる世界。
「この世に小説が存在していることを知らないような愛しい陽キャの小説を書きました。これまで書いてきた主人公たちとは、共に生涯苦しむ覚悟を持ってきました。でも本書の主人公には、私たちを置いて勝手に幸せになってもらいたい、そう思っています。」
ーー金原ひとみ
『腹を空かせた勇者ども』は著者・金原ひとみの「母」の姿を色濃く想像させる新作
金原ひとみにお子さんがいらっしゃるということは、自身が対談などで明らかにされています。
娘達の存在が小説にとって欠かせないものになっているということも、いろいろな場面で語られています。
「この人がいなければこの小説は生まれなかった」という経験が作家にはあるものなのだそうです。
『腹を空かせた勇者ども』の帯裏面にはこのようなコメントが掲載されています。
「この世に小説が存在していることを知らないような愛しい陽キャの小説を書きました」
小説家が、それもごく若い頃に芥川賞を受賞されている注目の純文学作家である金原ひとみが、「小説が存在していることを知らないような」ものがいると想定されているのだなという点にまずは驚きました。
そして彼ら「小説が存在していることを知らないような」ものたちには、自分を差し置いて幸せになってほしいと願っていらっしゃるというコメントに小説『腹を空かせた勇者ども』を読む前から涙が溢れてきそうになります。
そうした不思議な矛盾を兼ね備えているかのように見える奥深さが、特に現代の若手純文学作家にはまれに見ることができる特徴だと思っています。
小説『腹を空かせた勇者ども』
『腹を空かせた勇者ども』は、元気いっぱいで学校が楽しくて仕方がないような中高生の女の子の話です。
河出書房新社の純文学系文芸誌「文藝」に4回にわたって掲載された小説です。
単行本も4章仕立てになっています。
4つの章を通して、主人公レナレナが少しずつ成長していきます。
スマホを買い与えられてまだ間も無く、お母さんがいないと寂しくて仕方がないような姿から、聡明な母と話ができるようになっていく姿まで見ることができる小説です。
この物語『腹を空かせた勇者ども』の何より素晴らしい点は、娘目線で書かれた小説であるという点でしょうか。
小説の初めから終わりまで、各章通して一貫して、『腹を空かせた勇者ども』は現代の「娘」から見た「母」の視線解像度がたまらなく高いと感じます。
お父さんは少しばかり蚊帳の外。
ものすごく喧嘩をするけれども、とても根の深いところで分かり合っている。
小説『腹を空かせた勇者ども』はそんな母娘の物語です。
般若心経を知っているか
ごく若い頃の序盤の主人公レナレナは、「出張」によるお母さんの不在で寂しい気持ちを隠すことができません。
さらに「お母さんは自分に嘘をついていたのかもしれない」と不安に思うことで、より悲しさが増長されています。
しばらくはお父さんしかいない。
好き勝手過ごさせてくれて、テイクアウトのご飯をたくさんオーダーしてくれるようなお父さんとのゆるゆるとした生活を楽しんでいたにもかかわらず、ある日突然レナレナは爆発。
ちょっとお父さんに向かってヘイトな気持ちになっている主人公レナレナが、マシンガンのように発する言葉が面白いです。
何文にも何言にも及ぶ長文マシンガンの中にはこの一言。
「何が般若心経だよお前意味絶対わかってないだろ!」
忘れてはいけないのは、この主人公レナレナは「この世に小説が存在していることを知らないような愛しい陽キャ」であることです。
あなたこそ般若心経を分かっているんですか?
おそらくですが自分も何も知らずに、このせりふを吐いているのではないかと思います。
成長期かつ反抗期の娘の父に対するキレ方としてはなんとも独特です。
私はこの場面を、主人公・レナレナと著者が一致した「偶像」のようなものが1番濃く現れている場面ではないかと感じました。
母と娘の距離感
うわあっとすごい勢いでものを言う娘。
ちょっと上から高圧的に、低めの温度で理屈を振りかざす母。
『腹を空かせた勇者ども』の主人公親子は確かに、2人の哲学がなかなかにベクトルが違いそうに思えてます。
気の毒に相性が悪い親子なのかなと思うことも多々ありました。
けれどレナレナは何かがあるとお母さんにすがりつきます。
お母さんもところどころ玲奈さんを認めて褒めるような場面があります。
レナレナのお母さんは「ちょっとずれているんじゃないか」と思うようなところで、中学生高校生の娘をいっぱしの大人扱いをして接します。
なんだかそれがとても面白くて、1人の人として人権を尊重しているような接し方です。
けれどもどうしても「そこなの?」とツッコミどころを感じてしまいます。
それが、金原ひとみの面白さだと私は思っています。
正しいんだけれども何か違うこの違和感を自分の中で消化するのに時間がかかるのです。
小説『腹を空かせた勇者ども』
『腹を空かせた勇者ども』は3人家族なのに、完全にお父さんが疎外された2人の間の線での物語だと感じました。
『腹を空かせた勇者ども』の」小説の終わりには、この後お父さんは完全に2人の世界線から消えてしまうのではないかと少し感じました。
注目の大作家金原ひとみが描くのは家の中での「母」と「娘」の間の線での物語。
家族の話とも、女子高生の友情物語とも一味違います。
そんな世界観の小説はひじょうに読みやすく、読者の思い出もくすぐることでしょう。
その中で金原ひとみがお得意とする「不思議な矛盾を兼ね備えているかのように見える奥深さ」が効いてきます。
正しいんだけれども何か違う。
この違和感を自分の中で消化するのに、読者は時間を要するのです。
文:東 莉央
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