この世界でもあの世でもない――
折りに触れて何度も読み返す小説がある。それがこのリチャード・ブローティガン著の『西瓜糖の日々』だ。
著者のリチャード・ブローティガンで一番有名な小説は『アメリカの鱒釣り』だと思うんだけど、この『西瓜糖の日々』は忘れがたい印象と美しい余韻を残す素晴らしい作品だ。
この『西瓜糖の日々』の世界はぼくたちの世界とは違っていて、あらゆるものが西瓜糖で作られている。橋も、家も、言葉も西瓜糖でできている。
何言ってんだ? と思うかもしれないけれど、そう書いてあるんだからしょうがない。まあ、そこは「そういうもんだから」と思って読んでほしい。
この西瓜糖の世界は平穏で、ある意味ユートピアみたいなんだけど、何かが失われているような印象を受ける。不完全で、感情も少なく、幸福も不幸もないような、とても静かな世界だ。
これを読むと、村上春樹が影響を受けたというのもわかるなあ、と感じる。だって、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の”世界の終り”の世界とそっくりだもの。まあ、村上春樹の世界のほうが骨太で物語が大柄だと思うけれど。
ブローティガンの拵える世界は、儚くて、つかみどころの無い、ふわっと空中に浮いている”詩”のような世界。
ブローティガンは貧しくて不幸な少年時代を過ごして、まともな教育は受けられなかったみたいだけど幼少期から作家になることを夢見て『アメリカの鱒釣り』がヒット、ヒッピーたちのカリスマとして祭り上げられる。
だけど、ヒッピー文化の終焉とともに、本国アメリカでは、徐々に売上が下がり、終わっちゃった作家になっていく。そして、ブローティガンが読まれなくなっていった。
ブローティガンの小説は軽やかで、ユーモアもあったりで、想像がつかなかったんだけど、彼の歩んだ人生はかなりハードだ。二度の離婚、アルコール中毒、抑うつ病、そして拳銃自殺、と、現実の世界とどうしても折り合いをつけることができなかった人なんだと思う。
『西瓜糖の日々』を読むと、この世界は少年の逃避先というか、自分で作ったルールの自分だけの世界の構築という気がする。だから、この小説では何も説明はされない。なぜ西瓜糖なのか? どうやってこの世界ができたのか? そもそも西瓜糖ってなんなのか? 伏線も回収されず、静かに物語は進行していく。
閉じた世界。誰からも傷つけられない世界。
でも、この西瓜糖の世界は”完璧”な世界ではない。不安もあるし、不穏なことも起きる。ぼくたちだって、なにか嫌なことがあって一人で家に閉じこもっていたい時はあるし、実際にそうすることもある。だけど問題は解決するわけじゃない。今、この瞬間は外部から遮断はされているけれど、問題を棚上げしているだけで、不安が消えるわけじゃない。
いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、かっても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。あなたにそのことを話してあげよう。わたしはここにいて、あなたは遠くにいるのだから
リチャード・ブローティガン著 藤本 和子訳 河出書房新社
西瓜糖の世界は、現実じゃない。死後の世界でもない。だからといって、まるっきりおとぎ話の世界とも思えない。
とても遠くて、とても儚い、イマジネーションの力で自分を保つための世界なんだと思う。
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