二十年以上東京に住んでいた僕が福岡に移住して考えたいくつかのこと ⑥移動方法について考えた 我妻許史

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移動方法について考えた

福岡に住み始めて最初に就いた仕事は事務職で、職場は百道浜にあった。最寄り駅まで徒歩十五分、電車で三駅、さらに降りてから職場まで徒歩三十分。この経路が最善と思った僕は、しばらくの間、この方法で通勤していた。
職場の人に「電車で来てる」と言うと、たいていは驚かれた。「そこ(駅)からは?」と聞かれて「歩いて」と答えると、眉を寄せ怪訝な顔をされた(あるいは白痴を見る目で見られた)。
「バスじゃないの?」
何の疑問も抱かず、この通勤方法を選ぶ僕は福岡の人からすれば異端。というか、はっきり変人らしい。
確かに、職場の前にはバス停があるし、実際九割の人がバスで出勤しているようだった。
でも、僕は辞める日までバスに乗ることはなかった。何だったら、電車を使わずに徒歩のみで出勤することもあった。
なぜ? と聞かれると、ちょっと困る。いくつか理由はあるけれど(バスは混んでいる。車酔いをするから本を読めない。乗り方が不明)、そのどれもが決定的な理由とは言えない。
きっと、歩くほうが楽だったからだと思う。この感覚は東京に住んだことがある人はわかるかもしれない。
例えば、神宮球場に野球を観に行く。最寄り駅は東京メトロ銀座線の外苑前駅だ。僕だったら総武線の信濃町駅から球場に行く。友人は千駄ヶ谷駅から来ると言う。ある人は大江戸線の国立競技場駅から。ある人は青山一丁目駅から。だいたいどこの駅で降りても球場まで五分から十五分ぐらいかかる。なぜ、最寄りである外苑前を使わないのか?
僕は杉並区の端っこに住んでいて、西荻窪駅を利用していた。目的地を外苑前駅に設定すると次のルートがサジェストされる。

パターン①

中央線に乗って四ツ谷に行く。
四ツ谷から丸の内線に乗り換えて赤坂見附に行く。
赤坂見附から銀座線に乗り換えて外苑前に行く。
三十一分

パターン②

中央線に乗って新宿に行く。
新宿から山手線に乗り換えて渋谷に行く。
渋谷から銀座線に乗り換えて外苑前に行く。
三十三分

パターン③

総武線に乗って荻窪に行く。
荻窪から丸の内線に乗り換えて赤坂見附に行く。
赤坂見附から銀座線に乗り換えて外苑前に行く。
三十九分

パターン④

東西線に乗って日本橋に行く。
日本橋から銀座線に乗って外苑前に行く。
五十二分

このように、外苑前駅に行こうとすると(パターン④はかなりトリッキーだけど)、だいたい三つか四つの選択肢が案内される(そして、たいてい乗り換えが発生する)。どのルートを選ぶかを考えるのは、けっこうストレスだし、乗り換えが発生するのが面倒だ(絶対混んでるだろうし)。
選択したくない。乗り換えもしたくない。そうなると、沿線上の適当なところで降りることになる。

パターン我妻

総武線に乗って信濃町に行く。
二十三分

信濃町から十五分は歩くことになるけれど、乗り換え駅のルート確認や、混雑を考えたら、こっちのほうが(僕にとっては)楽だ。面倒なら歩く。迷ったら歩く。とにかく歩き出してみる。蜘蛛の巣のように張り巡らされた東京の地下鉄を数駅毎に乗り換えるのは耐えられない。
おそらく、僕にはこの感覚が未だに残っているんだと思う。マップを見る。目的地を見る。駅を見る。よし、ここで降りて歩いてみよう(目的地まで缶ビール一本ぐらい飲めそうだな)、と。
体の楽と、精神の楽。どうやら僕は精神が楽でありたいらしい。精神のために長い時間歩かせてごめんな、脚。


その後、あるきっかけがあって自転車を買った。行動範囲が徒歩の三倍ぐらいになり、交通機関離れがますます加速した。

余談

地元、福島だと二、三百メートル先のコンビニに行くだけでも車を使う(車が加速しきる前に着いてしまう)。そんな土地だから、帰省するとまず、歩いている人を見かけない。一度、母校の小学校まで歩いてみたことがあるんだけど(歩いて四十分ぐらいかかる)、見事に人ひとりともすれ違わなかった。

たまに車が通ると、運転手がスピード緩めて、じいっと見てくる。「え? 歩いてんの? なんで?」あるいは「真っ昼間に、歩き……なんて不審なやつ!」といった目つきで。

僕はそのまなざしに対して、歩いててホントすみません……という視線を返す。運転手は、次からは気をつけろよ、といった態度で去っていく。

理不尽だけどしょうがない。歩いている僕が悪い。これで済んだだけマシだ。もし、僕が歩くだけじゃ飽き足らず、背広なんかを着ていたら……、きっと緊急で回覧板を回され、自治体や消防団や警察に囲まれて尋問されていたに違いない……。

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