ベートーヴェンの同名曲をタイトルにした〝愛〟と〝死〟の物語
トルストイはまだ映画が誕生する前に、映画的な視点を持った『戦争と平和』を書いた。
『アンナ・カレーリナ』では小説を芸術の高みに持ち上げた。
この『クロイツェル・ソナタ』では、ベートーヴェンの同名曲をタイトルにして、性愛と死の物語を書いた。
主人公の名前はポズヌィシェフ。汽車に乗り合わせた「私」に向かって延々と自分が犯した罪の告白をする。
192ページ中、170ページも喋りまくるポズヌィシェフも凄いけど、それを聞いてる「私」も凄い(当時のロシアの列車での移動は何日もかかるから、座席の向かいに罪を告白したがっている紳士が座ったら要注意)。
ポズヌィシェフは性愛を嫌っている。というか憎んでいる。そんなものはまやかしでしかないとでもいうような態度。
「私」は「でも、性愛がなかったら人類は存続できないのでは?」と素朴な問いを向ける。それに対して、ポズヌィシェフは「なぜ人類が存続しなければならないのですか?」と(これまた素朴に)返す。
ポズヌィシェフは、もし人類の目的と言うものがあるのなら、それを妨げているのは欲望だ、この世界は肉体的な愛を安全弁のようにしている欺瞞の世界で、性欲は悪だ、と言い切る。
妻と結婚したとき、ポズヌィシェフは「これは愛だ」と思っていた。だけど、諍いが起こるたびに、愛は離れていくような気がした。結婚生活は徐々に拷問のようになり、いつの日か愛は蒸発してしまっていた。
そこに魅力的なヴァイオリニストの青年トルハチェフスキーが現れる。妻は一瞬でこの青年が気に入り、まあ、妻とそういうことになる。
ポズヌィシェフは妻を愛していないはずなのに猛烈に嫉妬する。
音楽の魔力
ポズヌィシェフの家で行われた演奏会で、妻とトルハチェフスキーは、ベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』を演奏することになる。
この演奏を聴いたポズヌィシェフは「新しい感情、新しい可能性」が自分に開示されたように感じる。
あのソナタは恐るべき作品ですよ。
あれはいったい何なのでしょう? 私には分かりません。音楽とはいったい何なのですか? 音楽は何をしているのか? 音楽は何のためにそのようなことをしているのか?
レフ・トルストイ 『クロイツェル・ソナタ』 光文社古典新訳
音楽は私に我を忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうのです。
レフ・トルストイ 『クロイツェル・ソナタ』 光文社古典新訳
後日、ポズヌィシェフが出張から帰ってくると、妻とトルハチェフスキーが逢引しているのを見つけてしまう。怒りに我を忘れたポズヌィシェフはナイフを持ってトルハチェフスキーを切りつけ、その勢いのまま妻に向かってナイフを突き立てる。
ヴァイオリニストの青年は、ポズヌィシェフの攻撃をうまく避けて逃げ出すことができるんだけど、妻は渾身の一撃をまともに受けてしまい絶命。復讐は果たされたということになる。
犯人はポズヌィシェフだけど、共犯はベートーヴェンだ。何をバカなと思うかもしれないけど、トルストイはこんな風に書いている。
音楽は私に我を忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうってね。
ドアーズ然り、ローリング・ストーンズ然りってわけ。
さあ、次の世代のロックバンドたちよ、今こそ「なぜ人類が存続しなければならないのか?」をテーマに曲を作るんだ(AIに書かれてしまう前に)。
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