世界最速レビュー#14 濱野京子著『金曜日のあたしたち』
2023年6月20日ごろ、濱野京子の新刊『金曜日のあたしたち』が発売されます。
「世界最速レビュー」シリーズとは発売日まもなく書店員が、その小説の見どころをたっぷりお伝えする連載です。
高校受験に失敗し「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が大嫌いになり、くさりまくっていた陽葵は、ある日駅前でプラカードを持って立つ高校生たちと出会う。
静山社
「ストップ!温暖化」「気候時計、知ってますか? タイムリミットまであと6年!」……気候? 時計?
環境問題に熱心な高校生なんて、ちょっと変わり者なのかな、くらいに思っていたのに、その中にいたひとりの男子の笑顔がめちゃくちゃさわやかだったからというわけではないけれど、なんとなく近づいてみる。すると、それは「あたしを拒否った」高校の生徒たちで―ー。
学生たちが金曜日にすることとは
『金曜日のあたしたち』では、学生の金曜日の過ごし方が数多く登場します。
アルバイトをする子も、ボランティアに行く子もいるようです。
平日はいつでも部活の子も。
そして主人公のヒナは、学校生活をあまり楽しむことができずにくさくさとした気分で過ごしていました。
主人公がそんな時に出会ったものとは。
自分の憧れの高校に通う、1つ年上の先輩たちが行っていた「環境問題を訴える活動のスタンディング」でした。
彼らは月に2回ほど、金曜日に駅の近くで気候問題の深刻さを伝える活動をしています。
ここでまず、私はこのブックレビューを読んでくれているあなたに尋ねたいと思います。
あなたは地球の未来のことをどれくらい深刻に捉えていますか?
どれだけ熱心に地球の未来のことを考えているでしょうか?
Friday for Future
Friday for Future、通称FFFとは「未来のことを考える金曜日」という活動のことを指します。
近年、毎週金曜日に集い活動をする若者が年々増加しているといいます。
そんな中で小説『金曜日のあたしたち』の中では、若者の「なんとかしなければならない」という危機感が、空回りしていく様子が描かれています。
知らんぷりをしているだけで自分が思っているよりも、ずっと環境問題は深刻であると。
おそらくすべての読者が気がつくことになるであろう小説『金曜日のあたしたち』。
何物もめんどくさがる意識があるのは、大人側に多いでしょうか。
対して頑張っている姿が恥ずかしいという意識が、若者の中には流れているような気がします
頻出する「意識高い系」
小説『金曜日のあたしたち』の中で特に前半目立って現れた単語があります。
それが「意識高い系」という言葉です。
同じくらい、頭の良さや出来の良さを表すような単語も、言葉を変えながら連続して現れています。
はじめ私はこれらの描写を、主人公のヒナが、自分が入試で落ちた高校を突破して、かつ立派なスタンディング活動をしているグループメンバーたちへ向けた目線であると思い、読んでいました。
しかし、自分を下に見て、相手を手の届かないほど素晴らしい人間だと感じているヒナの意識だけがそういった言葉を言わせるのではないと気がつきます。
『金曜日のあたしたち』の主人公の成長段階
主人公のヒナは、小説『金曜日のあたしたち』の中で、いくつかの段階を踏みながら成長を遂げていきます。
まずは環境問題について全く無知であった段階。
危機感すらも覚えていなかった状態でした。
そこから金曜日にスタンディングをするメンバーと知り合い、危機感を覚えるようになった段階。
時に周りにののしられつつも一緒に勉強し、吸収していきます。
その次は自分がするべきことをわかってきたにもかかわらず、周りの目が気になって行動を踏み切れなかった場面です。最後に周りを巻き込んで声を上げる力を持つことになります。
環境問題の深刻さについて知ったけれども、周りの目が気になってきてしまう段階。
3つ目の段階において、ヒナを縛り付けるのが「意識高い系」という言葉ではないでしょうか。
駅前でスタンディングしている姿をクラスメイトに見られたくない。
マイボトルに水道水を入れて持ち歩いている姿を周りの人に見られたくない。
そんな思いがあったのでしょう。
これは若者の中に流れる風潮であり、私自身も感じたことがあります。
がんばっている人や真面目な人は恥ずかしくてダサイものであるというイメージを、いつの若者も乗り越えることができずに、今まで世代を継いできたのでしょう。
けれども、そのまま「意識高い系」になることをすべてのものが放棄をしたとしたら、気候問題はより一層深刻化していってしまうのです。
若いからこその当事者意識
3つの段階を経て、ついにヒナは自分の活動と意識に胸を張ることができるようになります。
若いからこそ、問題意識を持つことができた。
一方で、「意識高い系」は恥ずかしいものであるという風潮がある。
『金曜日のあたしたち』において若者像にはどちらの面も含まれています。
若者だからこそ、主人公のヒナがこれだけの行動を起こすことができたとしたら。
上の世代であれば、地球の未来なんぞそれほど重要では無いからです。
自分がいなくなっているかもしれない地球の心配をするよりは、思い思いに便利な生活を選びたがるものでしょう。
対して主人公のヒナたちは「自分が10年後、20年後に暮らしている地球がどれだけ大変なことになってしまうのか」という問題を突きつけられています。
「自分の未来の事だから」問題意識を持つことができたのでしょう。
そのような主人公たちに対して「若いのにえらいね」という言葉をかけるだけで通り過ぎていったり、
「よく知りも知らないくせに、何を偉そうに」とケチをつけてくる人たちがちらりと絡んでくるのが、私はどうしても許せなかったです。
『金曜日のあたしたち』という小説を読むことは、真剣で熱意のある人たちの立場を強くする社会作りのための、第一歩になるのかもしれません。
文:東 莉央
コメント