J.D.サリンジャー 『彼女の思い出/逆さまの森』 ブックレビュー

レビュー/雑記
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本国アメリカでは未だ発表されない幻の短編集

サリンジャーといえば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、そして、『フラニーとズーイ』や『ナイン・ストーリーズ』に代表されるグラース家ものが有名だ。

サリンジャーは取り憑かれたようにコールフィールドの物語と、グラース家の物語を書いた。文学界のヒーロー、ホールデン・コールフィールドは「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」で初めてこの世界に登場し、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、永遠となる。

グラース家ものでは、洒落た会話に彩られた、不可解な家族たちの世界を断片的に提示した。

どちらもイノセンスというのが一つのキーになっていると思う。それは、大人の世界への反発であったり、壊れてしまうものだったり……。

『彼女の思い出/逆さまの森』は、九つの短中編が収録された作品となっている。この作品にはコールフィールドも、グラース家も登場しない。サリンジャー特有の上質なユーモアと、洒脱な会話は見られるが、どこか暗い、血の匂い――戦争の匂い――が染みついている。

これらは、雑誌「エスクワイア」や「コスモポリタン」などに発表されたものの、本国アメリカでは未だに単行本化されていない。

サリンジャーの戦争小説

サリンジャーが第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦に参加したという話は有名だ。

作家デビューが1940年だったから、デビュー直後すぐに大戦突入ということになる。

イメージでのサリンジャーは都市生活者たちを描くニューヨーカーというイメージが強いと思う。描かれるのは雑多な都市や、深夜のバー。グラスを傾けながらする女の子との空虚な会話なんかはサリンジャーの得意とするところだ。

サリンジャーは戦争について書かなかった。あくまで直接的には。

だけど、この『彼女の思い出/逆さまの森』には、戦争(軍隊)を扱ったものが四作品収録されている。

表題作の一つ「彼女の思い出」は、〝一九三六年、大学の一年生の終わり、五科目中五科目、落としてしまった〟少年が、親父に呆れられ(〝あれがこうなって、これがああなった結果〟と書かれている)、ウィーンにちゃらちゃらと留学する。そこで知り合った美女はユダヤ人で、お互い片言でコミュニケーションを取りながら親しくなる。二人は別れ、やがてヒトラーがウィーンに侵攻する。

「おれの軍曹」では軍隊での生活が描かれている。冒頭はこんな始まりだ。

〝ホワニータにはしょっちゅう映画を観に連れていかれるんだ。数えきれないくらいな。それも戦争映画ばっかり。どの映画でも、ハンサムな若い兵士がかっこよく撃たれて、かっこいいまま、死ぬ間際だってのに、いつだって余裕たっぷりに、国にいる彼女への愛を語る〟

この物語のラストは、面倒見のいい醜男の軍曹が真珠湾の戦いで、頭を吹き飛ばされて死ぬ。

「すぐに覚えます」「新兵に関する個人的な覚書」も軍隊もので、掌編といってもいいぐらい短い滑稽譚だ。

これらの物語で、登場人物たちは戦争についての〝思い〟を口にすることはない。「嫌だな」とも「お国のために」といったことは語らず、ただ、そこに存在している。「善」や「悪」もなく、そこにいる彼らは、ときに滑稽で、ときに愚かで、実に無力だ。

逆さまの森

主人公はコリーンというドイツ系アメリカ人だ。彼女は莫大な遺産を相続した金持ちで、ニューヨークの高級マンションに住んでいる。やがて彼女は雑誌社で働き始め、それなりのポストを得る。

彼女は少女時代、レイモンド・フォードという美しい少年に恋をしていた。フォードは貧乏で、母親は明らかに息子に対する愛情が欠けていた。

ある日、フォードと母親は街から去り、三十歳になったとき二人は再会する。

フォードは〝コールリッジとブレイクとリルケをいっしょにしたような〟天才詩人になっていた。

コリーンの記憶通り、三十歳になってもフォードは美しいままだった。

再会を果たした二人はカジュアルな中華料理店でたびたび食事をするようになる。

コリーンの華やかな友人たちには酒飲みが多いのだが、フォードは酒を一滴も飲まなかった。

母親がアル中だったからじゃない。それにタバコも吸ったことがない。これは、ぼくが子どものとき、だれかに酒とタバコは味覚をだめにすると言われたからなんだ。ぼくはまったくそこなわれない完璧な味覚を持っているのはいいことだと思ってた。いまでも、まだなんとなくそう思っている。ぼくは子どもの頃に身に染みついた考えからまだ半分逃れられないままなんだよ

J.D.サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』 金原瑞人 訳

やがて二人は結婚し、平穏な生活を送り始める。

ある日、フォード宛に作家志望の二十歳の女の子から「私が書いた詩を読んで欲しいのですが……」という手紙が届く。コリーンはフォードに「読んであげたら?」と言うが、彼の態度は素っ気ない。

コリーンは親切心から二十歳の女の子、ミス・クロフトを自宅に招くことにする。

日曜日、約束通りミス・クロフトが二人の自宅にやってきた。

大都会にいること、憧れの詩人の家にいることに感激している様子の彼女の姿を見て、コリーンは呼んでよかった、と喜ぶ。

やがて、フォードがやってきて少女と会話を交わす。

「わたしの詩はどうでしょう?」

この問いに対して、フォードはきわめて冷淡に答えた。

「ミス・クロフト、送ってもらった詩は一つ残らず読んだ。きみは詩人じゃない。なぜなら、詩人ではないからだ。それは、きみの言葉が耳ざわりでもなければ、比喩表現が陳腐だったり不適切だったりするからでもなければ、シンプルに書こうとするいくつかの試みがうわべだけのものだから読んでいて頭痛がするからでもない。そういうことはたまにあるからね」

「発明の才能はあると思う」

「詩人は詩を発明したりしない――発見するんだ」

J.D.サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』 金原瑞人 訳

コリーンは緊張が走る室内でそわそわしながら、彼女はまだ若いんだから温かいアドバイスをしてあげたら? と言うが、フォードは時間がないとばかりに、部屋を出て行ってしまう。

気まずい空気が流れ、会は終了する。

その日を境に、優しかった夫の態度は徐々に変わっていく。帰宅する時間もどんどん遅くなり、やがて帰って来なくなる。そしてついにフォードはコリーンの前から消えてしまう。

ある日、いなくなったフォードから電話がかかってきて、「ミス・クロフトとニューヨークを発つことにした」と告げられる。

その後、コリーンはミス・クロフトの夫である人物に会い、実はミス・クロフトが三十過ぎであること。彼女が語っていた経歴は嘘だったことが明らかにされる。

コリーンはフォードの行方を探し続け、ついにミス・クロフトと暮らしている家を見つけ出す。でも、そこにいた夫はもうフォードではなくなっていた。

かつての天才詩人はあれだけ嫌っていた酒を飲み(ぼくは子どもの頃に身に染みついた考えからまだ半分逃れられないままなんだよ)、ミス・クロフトには邪険に扱われ、妻を見ても他人のようにしか感じられない。フォードはすでにイノセンスが失われていた。

この物語には幸福な人間が一人も出て来ない。

金も地位も手にしたコリーンは愛を失い、天才詩人には心がない。ミス・クロフトはフォードを手にするが、そこには生活が存在しない。共通しているのは全員が壊れているということだけだ。

読み終わったとき読者は感じてしまう。いつからこの人たちは壊れていたんだろう? って。

いつから逆さまになっていたんだろうってね。

何かを見て、そこが頂点だと思っていても、反対から見ればそれは底なんだ。

サリンジャーが書く絶望は静かで透明だ。小説の磁場は負に傾くようにできているものだけど、この小説には負を描いたときに現れがちな湿っぽさが存在しない。なんというか、ただ、壊れている。

この小説はある種の人間には強く響く物語だと思う。致命的に。

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