カズオ・イシグロ/わたしを離さないで ブックレビュー

レビュー/雑記
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書店員によるブックレビュー カズオ・イシグロ 『わたしを離さないで』

この連載では、現役書店員の私が「この本こそ!」と思った傑作小説をレビューしています。

今回は、私が今まで読んだ小説の中で最も深く刺さり込んだ棘となっている小説をご紹介します。

カズオ・イシグロ著、早川書房刊行の長編小説『わたしを離さないで』です。

カズオ・イシグロ作品のひとつのコア

『わたしを離さないで』のみならず、カズオ・イシグロ作品は場面を詳細に表す言葉数がとても少なく書かれています。

彼らのいる「ヘールシャム」という場所は

一体どんな学校なのだろう。

主人公キャシーたちはどんな境遇にあるのだろう。

と、そんな大事なことが半ばまで分からずに、読者は読み進めるのかもしれません。

なんだか不穏で残酷なかおりはするのに、それがどこからくるのか分からない心地の悪さ。

折り重なっている、決して美しくはない結末を暗示している描写。

「人間らしく扱われない」子どもたち

ヘールシャムにいるのは、ものすごく人間らしく生きる、「人間らしく扱われない」子どもたち。

こんなに夢も自由もない人生を歩ませるならば、初めから心の冷たい人間へ育ててあげた方が余程思いやりがあるのではないかとも思いました。

自分の出生に驚いたり。

未来の無さに絶望したり。

虚脱したり、涙したりする様子を本当に気の毒に思いました。

『わたしを離さないで』を初めて読んだときに、色々考えることのできる頭のよさや、高い人格形成は自分を傷つけるものに変わると初めて気が付きました。

勝手に決めつけられた人生のレールを逸れることは決して許されず、全てを泣く泣く諦める心の痛さはどんなものかと想像すると、何度も偽善のような涙が出てきます。

登場人物と読者を線引きする小説

終盤のエミリ先生の言葉には、私の考えとは真逆の思考が内包されています。

そんな人生だからこそ、せめて少しでも豊かに生活させてあげたい、と。

『わたしを離さないで』の中でエミリ先生は「自分たちにできることはほんのそれくらいだ」とあります。

このシーンのエミリ先生は、まるで己の無力さを嘆いているかのようです。

終盤になってやっと伝えることができたエミリ先生の胸の内。

大きくなった「子ども」たちへ打ち明けた思いには血が滲みます。

ヘールシャムの先生たちの、生徒一人ひとりに向けられた温かさを感じます。

ここまで涙をしながら読んできた自分の感想は第3者目線だったことに気付かされるはずです。

大人になった3人が期待を込めて、かつての師を訪れる場面。

この場面での会話は、会話をしている『わたしを離さないで』の登場人物達にも、それを文字で追う読者にとっても大切なシーンと言えるでしょう。

各々の立場が抱える痛みを、はっきり差別化している役割があるはずです。

タイトル『わたしを離さないで』

タイトルである『わたしを離さないで』。

この言葉に込められたキャシーの心境は、ヘールシャムでの場面で明示されています。

この願いをこうキャシーとは、赤ちゃんを抱いてあやすようにしながら、自らが母に引き剥がされるのを嫌がる少女なのか。

あるいは、世の中に殺され捨てられる自分の運命を嫌がる女性なのか。

キャシーがのちに「わたしはこう思っていた」と回想する意味と、ヘールシャムでマダムが「こうだろうと想像して見ていた」と言ったふたつの意味。

2種類の『わたしを離さないで』は共鳴しています。

本人にしか結局は理解出来ない一面があること。

けれども何となく「悲しい」「マイナス」なものであることは確実に伝わっている。

キャシーとマダムの胸の内で静かに起こる波紋を、よく読み手に伝えてくれます。

運命に従うその形とは

彼らは運命を逃れることは出来ませんでした。

その「逃れなさ」とは、受けいれて生活しているという形ではありません。

受け入れたというよりは、「諦め」のような認識をしているように感じます。

小説『わたしを離さないで』の中で、キャシーたちは途中で生きる事を諦めたり、自分を持つ事を忘れたりはしません。

投げ出さずにきちんと与えられた役を全うする。

でもそれができるまでに、きっとぼろぼろに傷ついてきたんだろうと誰しも容易に想像できるのです。

もしかしたらたくさん傷付いて、心をぽきぽき折られてきた人ほど、前を向いているのではないかなと思いました。

ヘールシャムのみんなより余程ぬるい事で自分を壊す人は本当に多いのかもしれません。

だからヘールシャムで暮らす彼らの、心の強さを尊敬します。

『わたしを離さないで』に読者の私が乗せたい思い

最後に。

この小説『わたしを離さないで』の世界で起こるような残酷なことが、どこまで現実にもあるものか、私はよくわかっていません。

ヘールシャムが実在しなくとも、世界のどこかでキャシーたちのような境遇の子供がいるのかもしれません。

大人になってから、キャシーたちと同じ人生のレールへ乗せられる人がいるのかもしれません。

私にはまだ、世界がよくわかっていませんが、確かに望むことがあります。

世の中に数多ある残酷なことが1つでも減ってくれる事を、ここに祈ります。

文:東 莉央

東 莉央

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