池澤夏樹 『星に降る雪/修道院』
1945年、北海道に生まれた池澤夏樹。作家である福永武彦と、詩人である原條あき子を両親に持ち、埼玉大学理工学部を中退後、小説だけでなく、翻訳や書評まで幅広く手掛けている。
日本の”マジックリアリズム小説の名手”と言われている著者。この、「マジックリアリズム」とは、非日常的なことを日常的なことして描く技法のことで、池澤夏樹作品には、この技法がよく使われている。
非現実と現実の境界線が曖昧になるような、不思議な世界観が魅力的で、そんな作品の一つに『星に降る雪/修道院』がある。
タイトルにあるように、「星に降る雪」と「修道院」の2編から成る短編集で、この2つの短編集は、「人の生と死」がテーマとなっている。
星に降る雪
登山での不慮の事故でによって、親友を亡くした男性と、その親友が恋人だった女性。
もう会わないと思っていたのに、ふとした瞬間に交わる2人。そして、静かに語られるそのときの情景。
「漆黒なのに、空はこれ以上黒いことはあり得ないというほど黒いのに、その黒には何の実在感もなくて、その奥に無限に小さい光源が無数に並んでいる。微分的な矛盾がそのまま光景になっている」
こちらの世界と、あちらの世界。
男性は言う。
「地上の日々には意味がない。それは正しい方法で旅立つための準備の時間で、だから人はただ待つしかない」
それとは対照的に女性は、静かに話す。
「空を見ないで、来もしないものを待たないで、地面の上に立って、同じように地面の上にいる男を愛するのがわたしにとって生きるということなの」
静謐で美しい文章なのに、どこか物哀しさが漂っているのは、この二人が対局に位置する存在として書かれているからなのか。
亡くなった友人、死者とは、もう話すことは出来ない。それでも、亡くなった友人からのメッセージを受け取るために、星に近い場所で働く男性。
思い出すのが辛いからと、真っ直ぐに生きようとする女性。
どちらが正しいのか私には分からない。どちらも正しくて、どちらも正しくないのかもしれない。
分からないけれど、喪失を得ても、何があってもそれを抱えながら、それでも、わたしたちは生きていかなきゃいけないのだと思う。
修道院
異国が舞台のこの物語。
旅先で出逢った修道院に心惹かれる女性。そして、宿泊先で聞く、50年前にその修道院を修復した男性の物語。
現在から、過去に少しずつ繋がっていくこの物語もまた、「生と死」がテーマで「魂の救済」が、テーマでもある。
どうして修道院が出来たのか。その男に何があったのか。
「苦労して歩くことにはいつだって意味があるんだ。」
喪失を抱えて、それでも喪失というフィルターから見る世界は、きっと絶望ではないから。
どちらの物語も、解釈の仕方は、きっと人それぞれ違うけれど、どうか生きることを諦めないで欲しい、という作者の力強いメッセージを感じた。
生きていくには、あまりにも苦し過ぎる世界だと感じることもあるけれど、真っ暗で何も見えない暗闇の中でも、一粒の星みたいに、少しだけ光が見えることもあると信じて。
文:紫吹はる
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