ビートニクのラブ・ロマンス
ジャック・ケルアックといえば『オン・ザ・ロード(路上)』。『オン・ザ・ロード(路上)』といえばビートニクのバイブル。ビートニクといえば、アウトサイダー――ドラッグ、アルコール、非同調主義と、かなりロックンロールな文学だ(実際、ボブ・ディランやジム・モリソンに影響を与えた)。
今回取り上げる『地下街の人々』は、そんなビートニクたちの生態と、作者のジャック・ケルアックの分身といえる主人公三十一歳のレオ・パースパイドと、二十二歳の黒人女性マードゥ・フォックスの刹那的恋愛を描いた作品だ。
舞台は、ビートニクたちの拠点サンフランシスコ。
主な登場人物は、主人公のレオ、ヒロインのマードゥ、アレン・ギンズバーグのモデルのアダム・ムーラッド、シティ・ライツ書店の経営者のモデルのローレンス・ファリンゲティ、そして若き詩人ユーリ。登場人物のだいたいが貧乏で、ラリっていて、退屈していて、何かを成し遂げようという欲求だけはあって、昼夜逆転生活をしていて、悲惨で、享楽的で、苦しい。
主人公のレオはいつも苦しんでいる。ハメを外すためにジャズを聴きに行く。酒を飲む。朝まで友人の家でドラッグにふける。レオは母とアパートで二人暮らしをしていて、朝になったら家に帰らなければならない。そして原稿を書く。
ある日、レオはクールな黒人女性マードゥと出会い恋に落ちる。マードゥのほうは、レオに対してそんな気持ちはなかったけれど、レオとつるんで出かけるようになり、つき合うようになる。
ジャズの文体
目当ての女性とつき合って、レオの苦しみはなくなったか? 答えはノー。レオの苦しみは別の苦しみになっていく。
レオはマードゥが重荷になっていく。マードゥは精神科に通っていて、もとから心が不安定だ。マードゥが一緒にいてほしい、と願っても「母親がいるから」、「小説を書くから」と行ってレオはずっとは一緒にいてくれない。そんな中、レオは「地下街の人びと(ビートニク)」と朝まで乱痴気騒ぎに繰り出しにいく。
レオは、「地下街の人びと」たちとつるむけれど、腹の中では彼らを軽蔑しているふしがある。レオは小説が書きたい。だけど、毎晩現実から逃げ続けている。愛に逃げ、酒に逃げ、自分から逃げて、才能を虚しい時間に費やしている。隣にいる哀れで純粋な黒人女性への連帯感はあるけれど、現実と向き合うのが怖い。レオはこの小説で、ハイとローを繰り返す。明日なんか来ない勢いで、アルコールとドラッグを摂取したあとの容赦の無い朝日に照らされて、バスで自宅に帰るシーンは読んでいてけっこうつらい。
物語は中盤で、ユーゴスラヴィア人の二十二歳の詩人ユーリ・グリゴリックが登場して恋愛関係に一石を投じる。この若く、ハンサムで、かなり生意気な青年はまだ無名だけど、力のある詩人で、野心を持っているようだ。
マードゥを傷つけずに別れたいと考えていたレオはユーリの登場で、考えが大きく変わる。暗い嫉妬心が芽生えるわけだ。にわかにマードゥが切実な存在になっていく……。
まあ、ありきたりっちゃありきたりな話だけど、ありきたりじゃないのがジャック・ケルアックの文体だ。文章の中にジャズの即興のような内面が差し込まれていく。ビートニク版「意識の流れ」とでもいうようなこの手法によって、この小説のリズムを作りだしている。これがとてもクールだ。
例えばこんな文章。
孤独な地下街の住人である彼女はぼんやりと日々を過ごし、シーツを洗濯屋へもっては行こうとするのだが、急にじめじめした夕方になって間に合わなくなってしまったからだ。そのせいでシーツは灰色になったが、ぼくにはその方がよかった――柔らかいから。――とはいえ、この告白のなかでいちばん深い部分にある股間や、股間にあるものをさらけだすことはできない――だったらなぜ書くのか?――股間にはエッセンスがある――たとえそこにとどまっていなければならないとしても、そこから出ても結局は戻ってくるものだとしても、ぼくは向こう見ずに組み立てつづけなければならない――たとえそれが無意味でも――ボードレールの詩のためであっても――
ジャック・ケルアック著 『地下街の人びと』 真崎義博訳 新潮文庫
自分の言葉に反応してダッシュで繋いでいく。その都度、その都度の反応は、相手のコードを聴いてそれに対応していくジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)のようで、スリリングな効果を生んでいる。
「意識の流れ」という文学手法は、ジェイムス・ジョイスやヴァージニア・ウルフが有名だけど、ケルアックの場合は「ブンガク」っぽくならないのが良い。そして、さりげなくボードレールへのへの言及がされているけれど、これは多分、ボードレールが愛した黒人混血女性ジャンヌ・デュヴァルを、マードゥに重ねてのことだと思う。マードゥのシーツのクリーニングに間に合わなかったというエピソードが、ボードレールの詩にまで流れていくのが面白い。
ケルアックは文章を書くのがめちゃくちゃ速かった。『オン・ザ・ロード』は三週間。この『地下街の人びと』はドラッグをやりながら三日で書いた。なぜそんなに飛ばすのか? ケルアックは考える間もなく書くことで、無意識に湧いてくる言葉を書きたかったから。だから書き上げた原稿の推敲はなし(!)。ジャズのライヴと一緒で一回性にかけるスタイル。
平凡なテーマであっても、このスタイルでケルアックが書けばスリリングな小説になる。ただ、かなり寿命を縮める書き方だろうなあ、とも思ってしまうけれど。
この『地下街の人びと』は、ジャズやロックが好きな人はぜひ読んでもらいたい小説だ。チャーリー・“バード”・パーカーの演奏シーンは圧巻だから(ここは丁寧に書いている気がする)!
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