耐えがたい世界からの脱出
2019年の10月の正午過ぎ、ぼくは会社で突然の吐き気に襲われた。食欲もなく身体がダルい。上司に状況を説明して会社近くの病院に行くことにした(ちょうど社内でノロウィルスが出ていたので会社も神経質になっていた)。
病院で診てもらうとまったくの健康体、異常なし。胃薬だけを渡されて10分ほどで帰された。
腑に落ちなかったけどしょうがない。医者が言うんだからってことでその後は普通に仕事して普通に帰った。
それから、時々仕事中に吐き気を感じるようになった。吐き気は一週間に一回ぐらいやってきた。その後、吐き気の感覚がだんだんと短くなっていき、毎朝えずくように……。これは真剣にマズイかもな。と思い、めちゃくちゃ不安だったけどメンタル系の病院に行くと、めでたく「うつ病」と診断された、と。
そして会社にうつ病の診断書を提出して自宅療養の日々へ。その療養期間中に読んでいた数冊のうちの一冊がこのミシェル・ウェルベックの『セロトニン』なんだ。
キャプトリクス
それは白く、楕円形で、指先で割ることのできる小粒の錠剤だ
ミシェル・ウェルベック『セロトニン』関口涼子訳、河出書房新社、2019年、P.3
46歳の主人公フロランは、抗うつ剤「キャプトリクス」が手放せない。そのせいで、副作用の性欲の減退と吐き気がつきまとっている。
いかにも悲惨で憂鬱な主人公だ。暗い小説なんじゃないの? と思うかもしれないがウェルベックの文体はエレガントだ。日本の私小説のようにじめっとしていない。
そして、このうつ病の中年は大企業に勤めていて金はある。そして美しい(けど性格は最悪な)日本人の恋人がいいる。
物語の前半で主人公は耐え難い状況から脱出を、つまり「蒸発」することに決める。合法的に、公的に、自分を社会から抹殺することにする。
レディオヘッド『KID A』収録曲の”How to disappear completely(完全に姿を消す方法)”みたいだ(繰り返し、ぼくはここにいないと歌われる)。
さて、この憐れな蒸発者の主人公フロランは軽蔑しているこの世界を捨ててどうなるのだろうか。逃げた世界には何があるのか? そこに待っているのは「救い」なのか「この世界お馴染みの倦怠感」なのか。
フランスの鬼才ウェルベックの書く最新作。有名な作品は『素粒子』と『服従』かな。ぼくは『ある島の可能性 』と『地図と領土』が大好き。だけどこの作家の書く小説はどれも面白いよ。モラル感の欠如は否めないので、真っ当な人は読まないほうがいいかも。だけど、現代において真っ当な人間なんているのかな? 要はそういうこと。
ちなみにぼくが服用していたのは「ワイパックス」と「ドグマチール」、「キャプトリクス」ってどんな感じなんだろ……。副作用が吐き気って嫌だよね。
さて、こちらのミシェル・ウェルベックのうつ病小説。うつの人も、うつじゃない人も、ハッピーな人も、人生に倦んでいる人も、たまには「ためになる」本じゃないものを読んでみてもいいんじゃない? だって「人生を向上」させるだけが人生じゃないってもうみんな知ってるでしょ。
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